八王子城 〜砕け散った防衛ライン〜 (2018.11.24)

本能寺の変で織田信長が倒れてからのこと、賤ヶ岳や小牧長久手と言った大戦を制して着々と天下統一事業を進めて行った豊臣秀吉の最後の戦いは関東の覇王・北条氏を相手にした小田原征伐でした。
さてこの小田原征伐、北条方はかつて武田信玄や上杉謙信をも退けた超巨大城郭・小田原城を頼みにし、秀吉の力を大いに見誤ってしまったことはよく知られていることかと思いますが、北条方が秀吉撃退に絶対の自信を持った理由は小田原城の存在だけではありません。関東の大半を制圧していた北条氏は小田原城を取り囲むよう、重要拠点に松井田城忍城その他もろもろの支城群を築き、お互いが連携しあって後詰の軍勢を送り合うという体制を整えていたのです。
この支城ネットワークによる防衛ラインがあったればこそ北条氏は豊臣軍を撃退できると考えていたのですが、秀吉率いる小田原征伐軍は北条氏の想像をはるかに超える超大軍勢だったのでした。


北条支城ネットワークの要衝

今回アタシが訪れたのは、その北条支城ネットワークの中でも特に重要拠点とされていた八王子城です。この八王子城は中央道の関東平野入口に位置する要衝に築かれており、北条方の事実上の総大将・北条氏政の弟にして知勇兼備の猛将・北条氏照が守っておりました。


こんなに本格的な山城だったのか

という訳でこの八王子城は北条軍最有力武将が守る最堅固の城という、言ってみれば支城ネットワークの要である最重要拠点なのですが、それがなんと!前田利家、上杉景勝、真田昌幸らの猛攻によりたったの一日で落城してしまったのです! もっともこのとき、本来の城主である北条氏照は小田原城に詰めていたために不在だったし、さらにそのうえ味方の裏切りまであるというマイナス要素だらけだったので、一日での落城も仕方ないと言えば仕方の無いことです。
でもこの八王子城が簡単に孤立無援状態となって落城したという事実は、北条支城ネットーワークによる防衛構想が全く機能しなかったという現実と、秀吉率いる戦国オールスターズの戦闘力の強大さをまざまざと見せつけることになったのでありました。
結局、北条方は小田原評定を繰り返したあげくに豊臣秀吉に降伏することになるのですが、小田原城に立て籠もる北条方の士気を一番にくじいた要因はこの八王子城の落城だったとも言われております。


なんでこんなに(略


ってことで実際に登って見て来た八王子城の感想はと言えば、

「所詮は支城だし一日で落城したってくらいだから、平山城に毛が生えたくらいなモンだと思っていたら、超本格的な大山城じゃねーか!」

と言うものでした。ええひさびさに出ましたよ、

「なんでこんなに出入りすんのに疲れる場所に城なんて作るんだYO!」


本丸跡までの道のりはおおよそ30分

なるほど確かに、いかにマイナス要因が重なったとは言え、これだけ強そうな山城がたったの一日で落城したと聞けば北条方がビビってたじろぐのも無理も無いかと思いますね。
それからどんなに凄い城を築いてみても、結局のところ士気と城主のカリスマ性の無い城などひとたまりも無いんだなということも改めて実感できました。


何もない、だがそれがいい本丸跡

戦国最強武将・武田信玄は「人は城 人は石垣 人は堀・・・」と歌っておりましたが、本当その通りです。
もしもこの八王子城を守っていたのが本来の城主である北条氏照だったとしたら、こうも簡単に落城することは無かったのではないかと思います。また、小田原城でムダな評定をやってる暇があったら、籠城していた6万とも言われる軍勢で本来の戦略通りに積極的に出撃して支城と連携した戦いをしていれば、ああも無様な負け方はしなかったのではないかと思います。
そう考えると改めて、大楠木公地黄八幡の偉大さが浮き彫りにされますね。


本丸ちょっと下からの眺め

八王子城
東京都八王子市元八王子町3丁目2664ー2
JR高尾駅からバスで15分

なおこの日はその後、東京まで遠征し、築地のマグロどん、玉子焼きなどを食べて来ました(^^)


何度食べてもおいしいかんののマグロどん


ついついおかわりしてしまうテリー伊藤の玉子焼き

◆◇◆ お便り感想♪お待ちしております(^^) ◆◇◆


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