松井田城 〜現実と妄想の狭間〜 (2013/8/3)

秀吉と北条の小田原合戦において、北方の最前線にあった上野の城です。
秀吉軍総勢20万!のうち、この松井田城の攻略を担当したのは、前田利家、上杉景勝、真田昌幸の3将でした。小田原合戦は言ってみれば戦国のオールスターが終結した戦いだった訳なのですが、その中でもこの松井田城担当の3将については豪華メンバーがそろったものだなと思いますよ☆


道無き道を行く

碓氷峠を越え、いよいよ北条領に入ってきたと思ったらその最前線にあるのが松井田城です。さすがに峠の要衝だけあって見事にいつも通りな山城でした。


散歩するにはちょうどいい?

もっとも標高400mのうち300mくらいまでは車で登ることが出来たので、現代人のアタシにとってはちょうどよいハイキングコースでした。でも車も無ければ道が舗装されてもいなかった攻城軍の3将は、さぞかし苦労したことでしょう(^^;


遺構がいっぱい

豊臣オールスターズに対する松井田城の城将は、北条軍団きっての名門一族出身にして智勇兼備の勇将、大道寺政繁です。政繁は秀吉軍の襲来に備えて早くから松井田城に大改修を加えておりました。


保存状態もバッチリです

山城というものは、補給が続いて城主のカリスマ性さえあればなかなか落城するものではありません。北条軍団でも1、2を争う名将が心血注いで築き上げた松井田城は、豊臣オールスターズの猛攻を見事に跳ね除けたのでした。


ココまで登るのに20分

力攻めでは無理と見た豊臣オールスターズは、物量にモノを言わせた持久戦を取ることにします。これが今まで通りの戦国の世だったのなら、攻めている方もいつまでも本拠地を空けてはいられないってことで、いずれ囲いを解くのが常でした。実際、北条軍団はこの支城と連携した篭城戦術で、上杉や武田の猛攻をしのいできたのですから。
でも秀吉軍は違います。その気になればいつまでも城を囲んでいることが出来るのです。豊臣オールスターズの堂々とした陣容を見てそのことを悟った大道寺政繁は、篭城一ヶ月をもってして、ついに降伏するに至ったのでありました。


何もない、だがそれがいい

ちなみにこの松井田城、マンガ花の慶次にも登場します。大道寺政繁はすげーカッコいい人物に描かれており、前田慶次とのかつての因縁話は多いに盛り上がるハイライトシーンとなっております。また、城攻めのシーンでは若き一本気大将、真田幸村の華々しい活躍も描かれているという、花の慶次的な聖地でもあるのですよこの松井田城は。
って言うか、そもそもなぜアタシがこの松井田城のことを知ったのかと言えば、この花の慶次のおかげなのですから(笑)


物見櫓跡からの眺め

マンガ花の慶次においては、真田幸村が決死の挑発を行って北条軍を浮き足立たせた隙に、豊臣オールスターズの本軍が突撃をかけるという展開になっておりました。
言うまでもなくこれは完全なフィクションです。実際にそんなシーンなど無かったことは分かっております。それでもアタシはこの物見櫓跡から、向こう側で幸村と慶次が舞いを舞っている姿を想像してしまいましたw 花の慶次はフィクションなれど、アタシの心の中には確かに、その物語と世界観が想いとして刻み込まれているのですよ。


松井田城はこんな城

松井田城 群馬県安中市
上信越道 松井田妙義インターより15分


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