石垣山一夜城・小田原城 〜見る側と見られる側と〜(2010.9.20)

かつて豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、あの手この手で小田原城にゆさぶりをかけて落城させたことは、過去に小田原物語で書いたところでありますが、その小田原屈服ハッタリ作戦においてもっとも北条方の闘志をくじいてしまったのは、この石垣山一夜城の存在でした。

石垣山は、小田原城天主から5キロほどある場所にある標高100m足らずの小高い丘なのですが、小田原城の天主からとてもよく見える位置にあります。
ある日の朝、いつものとおり夜遅くまでの小田原評定で寝不足気味の北条軍団が眠い目をこすりながら石垣山の方を見てみると・・・

「ちょwwww いつのまにやらあんなところに城が建ってるしwww」
「昨日はあんなモン無かっただろwww」
「・・・ってそれじゃあアレ昨日一晩で出来た城なんかYO!」
「秀吉マジパネェwww」

なんと!昨日まではそんなところには何も無かったはずの場所に、一夜で秀吉方の城が出来ていたのでした!
・・・と言っても実はこれ、本当に一夜で城が出来たのではなく、前々から何日もかけて作っていた城がようやく完成したところで、周りに立っていた木を夜のうちに全部切り倒して、小田原城から見たらまるで一夜で完成した城のように見えたというカラクリなのでした。

ってことで今回の遠征では、この石垣山一夜城に行って小田原城を見下ろして来たあとに、今度は小田原城に行ってその天主から石垣山の方を見てくるというツアーを組んでみました☆

まずは石垣山一夜城。
小田原城と平野を挟んだ対岸のような位置にあるのですが、ゆったりした斜面が長々と続いており、その中腹部からは小田原城がとてもよく見えます。なるほど確かに、こんなところに城を作られたんじゃあ北条軍団もやる気なくすの無理ないですわ。


ありゃー丸見えだよ

実際の城跡を見ても、山の中のはずなのに平でひらけた場所がたくさんあって、城を作るにはうってつけです。これだけのスペースがあれば、そりゃ茶会やったり演芸場作ったりしてのんびりマターリできますわな。そんでもってそんなワイワイ騒いでいるところが小田原城からはしっかとよく見えるってんですからねえ・・・


ゆるやかな庭園のようです

また、この石垣山一夜城では、伊達政宗物語で語ったように、秀吉が政宗の首を扇子でピタピタ叩いたあとで、見晴らしのよい場所に連れてって、布陣の解説をしただとか、秀吉が家康と二人で連れションしながら天下統一後のことを話し合っていただとか、そんな話も残っています。
アタシも眼下の小田原城を眺めながら、もしかして秀吉もこの場所に立って小田原城を見ていたのかな?とか秀吉が正宗に自慢解説していたのはこの辺だったのかな?だとか、そんなことが色々想像できました☆


秀吉も同じ景色を見たのかな?


ってことで石垣山一夜城を後にして、次はいよいよ小田原城に突撃です。
アタシはてっきり、小田原城って前に見てきた岐阜城みたいに、平野の中にひとつそびえ立つ丘のうえに立つ平山城なのかなと思っていたのですが、完全な平城なんですね。

こっちの方は石垣山一夜城とは違い、復元された門や天守閣などがあり、さすがにかつての天下一の名城です。とにかく観光客はワラワラいるし、なんかしらんけどコスプレしたねーちゃんが写真撮ったりしてて、一大観光地となっておりました。


コスプレねーちゃんとかいるし・・・

アタシは小田原城の史跡や建物そのものにはさほどの興味はないので、城下の公園その他はスルーして、早速天守閣に登ってみることにしました。
小田原城は平城ですが、周りは広い平野部となっているので、とてもイイ眺めです。
相模湾がすぐそこの位置にあり、石垣山もちょっと見上げた場所にあるのがよく見えます。


あんなところに城がー!

ああ、あの相模湾は秀吉の軍船に埋め尽くされていて、石垣山には城が建ってて宴会してて、そんでもってあの平野部は秀吉軍団にグルリと囲まれていた訳か・・・そんな状態でよくもまあ小田原城は3ヶ月も落城せずに持ったモンだなと、あたしゃむしろ感心してしまいましたね。


相模湾もすぐそこです

眼下に小田原城を見下ろして得意満面だった秀吉の気持ちと、周りをグルリ囲まれた北条軍団の絶望と、そのどちらも一緒に体感できて、大満足な遠征となりました☆

それにしてもやはり、石垣山の上から小田原城の天守閣を見つけたときの感動はデカかったなあ・・・


やっぱ天守閣も載せないとねw


小田原城 JR小田原駅のすぐ隣

石垣山一夜城 小田原城から5kmくらい



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