真田氏館跡〜真田本城 〜真田の原点・土豪の館〜 (2020.5.23)

数多い戦国武将の中でも屈指の人気を誇る真田氏の城と言えば、2度にわたって徳川の大軍を翻弄した上田城、幸村の兄・信之が領した沼田城が有名かと思います。
ですが真田氏のもともとの本拠地は、上田城よりもう少し山奥に入ったところにある、現在は真田の郷と呼ばれる小さな盆地集落でした。


ここが真田の出発点

戦国武将たる真田氏のルーツは幸村の祖父・幸隆が信濃国小県郡(ちいさがたぐん)の真田の郷を武田晴信より領したものと言われております。知勇兼備の勇将として名高かった幸隆はかつて武田晴信キラーと恐れられた村上義清の追い落としに関して絶大なる功をあげ、武田二十四将の一人にも数えられております。
幸隆の死後は長篠の合戦で戦死した信綱を経て、真田の郷は幸村の父・昌幸が受け継ぐこととなりました。


これが真田の館?

さて本編の主人公・真田氏なのですが、その実相はあくまで戦国"武将"であり、戦国"大名"ではありません。大河ドラマ真田丸においては、大名に翻弄される真田氏のような弱小勢力のことは"国衆"と呼ばれておりましたね。
という訳で、今回最初に訪れたこの真田氏の館跡も城というほどに立派なものではなく、まさに土豪の館と呼ぶにふさわしい規模のものでした。


さすがに居館はもっと大きかったと思いますがw

戦国時代に出現した戦国大名の殆どは、その領土の全てをキッチリ統括していた訳ではなく、真田氏のような国衆たちを通した間接支配をしていたことは当サイトの常連さんならよくご存じのことでしょう。
前回の北熊井城の記事に書いた通り、日本には数千、数万の城が存在していたと考えられておりますが、そのほとんどはこの真田氏館のような国衆クラスの小さな城なのです。
更にその中でも、城跡ではなくて"館跡"が残っているのは結構珍しかったりします。


普段はこんな感じのところに住んでいたのね

ってことでこの真田館跡、戦国時代の弱小国衆はいったいどの程度の規模の館を構えていたのかがよく分かって大変興味深かったです。


THE・土塁キター!!

真田館の敷地面積は周囲520メートル。100m四方強と考えればかなりの大豪邸と言えますね。この真田館の更に山上には詰めの城と呼ばれる真田本城があるのですが、ふもとの館跡にもそこそこの防御装置が施されていることが分かりました。。
それにしてもこの真田館跡の縄張りがキッチリ分かるのも、こうして地元の方々が土塁を貴重な文化遺産として大事にしっかり保存していてくれたからこそのものです。ありがたいことです感謝感謝です。


幸村も見ていたのかなあ?

現在の真田館の敷地内は御屋敷公園と呼ばれるツツジの名所となっており、この日はタイミングよく、ちょうど満開のツツジを楽しむことができました。
戦国時代にツツジが植えられていたかどうかは分かりませんが、何しろこれだけ広いお屋敷です。きっと昌幸も幸村もいろんな草木花を植えて、四季折々の景色を楽んでいたのではないかと思いたいところですね。


こっちは完全な山城です

さて前述したように、この真田館跡からもう500mほどゆるやかな山道を登った先には真田本城があります。
一口に山城と言っても用途によっていくつかの種類があり、この真田本城は詰めの城と呼ばれるジャンルに分類されます。詰めの城とは要するに、最後の砦となる戦闘用の城のこと。真田氏はふだんはふもとの真田館に住んでおり、敵の大軍が攻めてきたらこの山上にある防御施設の整った真田本城に立て籠もるという使い分けをしていたのでした。


いまいちわからんw

ふもとの真田館に比べると、こっちの真田本城の方は今一つ縄張りの発掘が進んでいないようで、その案内看板は堀切跡(推定)みたいなものが多かったです。


この土塁の上が本丸跡

それでも手入れは結構行き届いているのでこの真田本城がどのくらいの規模だったのかはよく分かりました。その縄張りがどのようなものだったのか?その防御力はいかほどのものだったのか?などと想像をめぐらすのは結構楽しかったです。
遺構にさほど興味の無い系な城オタのアタシですらそうだったんですから、ガチモンの遺構縄張り大好き系の城オタの人にとっては垂涎の山城跡なのではないかと思います。


なるほどこんなもんか〜

本郭土塁の上の本丸跡は、いかにもかつてアタシが見てきた国衆レベルの居城って規模でした。


真田氏の守り抜いた小県の地

先ほどから書いているとおり、このころの真田氏は大名と呼ぶにはおこがましい存在です。でもそんな弱小勢力の真田氏が、北条、徳川、上杉という大大名の間を欺き戦い立ち回り、最後は独立勢力として大名の仲間入りをしてしまったことの凄さを改めて思い知らされました。


真田氏館跡〜真田本城
上田市真田村


真田氏と言えば

さて真田と言えば大坂の陣において日本一のつわものと謳われた幸村が有名かと思いますが、アタシはこの真田幸村のことが大好きです。ちなみにその原点は、小学生のころに愛読していた学研まんが人物日本史シリーズの真田幸村にあります。
んで、この真田幸村という戦国武将、なかなかどうして戦国オタク度を測るバロメーターにもなっているのではないかと思います。
まずはこの真田"幸村"という名前について。たまにこんなことを言う人がいます。

真田幸村なんて人物は存在しない。信繁なら存在しているが。

戦国に少し詳しい人には常識ですが、この一般的に真田幸村と呼ばれる人物、実のところ古文書のどこをどう探しても幸村などと名乗ったという記述は見つかっておりません。この幸村という名前は、江戸時代に書かれた講談本にしか登場しておらず、公式な名前としては、真田信繁というのが正しいのです。
戦国好きの中には、真田幸村のことをかたくなに信繁と呼び、幸村なんて人物は存在しなかった!と力説する人もそこそこ見かけるところでありますが、アタシは真田幸村のことはやはり真田幸村と呼んでしまいます。なぜならそもそも、我々が一般的にイメージしている真田幸村の人物像というのは、江戸時代からの講談で語り継がれている「真田幸村」のイメージなのですから。


アタシの中での幸村はこの幸村

というのもこの真田幸村の件に限らず、実のところ戦国武将の面白エピソードなどはホントかウソかがハッキリしない、ソース:江戸時代の講談本みたいな怪しい話があたかも実話のように伝わっていることが沢山あるのですよ。アタシとしては、そのような歴史認識の中であえて真田幸村についてのみ史実にこだわる必要も無いと思いますので、江戸時代から悲劇のヒーローとして語り継がれている幸村の名前を使っております。
それにもし"幸村"という名前が消えてしまったら、かつて真田信繁は講談本のヒーローとして真田幸村と呼ばれ400年もの長きに渡り語り継がれていたという史実が消えてしまいますしね。
アタシは真田幸村のことを真田信繁と呼ぶ人のことを否定する気はありませんが、だからと言って真田幸村などという戦国武将は存在しなかったとまで言うのはちょっと行きすぎかなと思っております。

また、大坂の陣のことをそれなりに知っている人が、

夏の陣では真田信繁はたいして活躍していない。毛利勝永の方がすごかった。真田信繁は過大評価だ。

と言っている姿もたまに見かけますが、アタシはこの意見には賛同いたしかねます。
なるほど確かに、戦史を読む限りでは、夏の陣における実際の活躍度は毛利勝永の方が上だったというのはあながち間違いではないかと思います。
ですが、だからと言って真田信繁は過大評価だというのはちょっと言い過ぎなのではないかなと。なぜなら実際の戦闘に関する貢献度では毛利勝永の方が上だったかもしれませんが、敵方である島津恒久が「真田日本一の兵なり」と書き残していることは事実です。もっともこれも、島津恒久は大坂の陣には参加していないじゃないか!というツッコミが入るところではあるのですが、それはそれとしても、この島津恒久発言が400年経った今でも語り継がれているとうことは事実なのですから。
もちろんアタシは毛利勝永は毛利勝永ですごい人だとは思ってはおりますが、やはり虚構あれども後世に名を遺した真田幸村の方がすごい人だと思っております。
ちなみに実はこの毛利勝永についても、当時の文書には「勝永」という名前は出てこないのです。この毛利勝永と呼ばれる人物についても公式な名前は毛利吉政と呼ぶのが正しいのですが、毛利勝永のことを頑なに毛利吉政と呼ぶ人をアタシは見たことがありません。

ほかにも、

実は信繁よりも兄の信之の方が凄かった。信繁は大したことは無い

なんて声もたまに聞くところでありますが、それもなんか違うんじゃないかなあって思います。いや確かに、真田信之って人も相当すごい人なんですけどね。

これはあくまでアタシの想像ですが、おそらく戦国時代には、本当は物凄い人なんだけどなぜか名前は残っていないなんて人は探せばいくらでもいるのではないかと思っております。
その中でことさら、毛利勝永や真田信之のことだけを指して実は幸村よりもすごかったみたいな話を聞くことにはどうも違和感を覚えてしまうのですよ。勝永や信之をアゲるのは多いに結構なのですが、その比較で幸村を下げるのは何か違うのではないかなと。

まあとにかくです、アタシが言いたいことは、後世に名を残しているということにおいて真田幸村とは日本一の兵と評価しても特に問題は無いでしょってことです。
そんでもって真田幸村とは、最初はすごい人だと思ったけれど、ちょっと戦国をカジってみたらその実像は全然違ってちがってそこまで凄くはないんだなと幻滅したけれど、もっと戦国を調べてみたら、一周回ってやっぱ幸村すげえって思ってしまう、そんな人物なのではないかと思います。


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