上田城 〜愛され続ける英雄〜 (2013/4/29)

戦国きっての名将、真田昌幸・幸村親子が2度に渡って徳川の大軍を撃退した名城中の名城です。


上田駅前の真田幸村像

さすがに全国クラスの英雄のお膝元ですね。駅前にこんなに立派な銅像があるばかりでなく、メインストリートには六文銭の旗がたなびき、真田十勇士の像なんかも飾ってありました。


上田城はこんな城です

そもそも戦国&城マニアであるアタシが、なぜ長野在住したこともありながら今までこの上田城を訪れていなかったのかと言えば、街中にある平城であるが為、ハンパに外観だけを道すがらに何度か見たことがあったりしたからだったんですよ。
しっかしよく考えてみると、千早城砥石城のような要害ならともかく、こんな街中の平城で大軍相手の篭城戦をやれたってのは凄いことではありませんか。いかに昌幸・幸村父子が戦国を代表する智将だったとは言え、やはり城そのものがヘボかったのではどうしようもありません。実際にこの上田城を本格的に訪れてみたら、平城ながらも堅固な防御力を誇る要害だったことがとてもよく分かりました。


誰だよコイツらwww

この日は午後から真田祭りが行われるということもあり、朝9時頃来てみたってのに100台くらいは軽く停められそうな駐車場は危うく満杯になりかけでした。また、城内にもたくさんの観光客が訪れており、さすがに真田幸村の人気は凄いなと思い知らされましたよ。
ちなみにこの写真に写ってる可愛いヤツらは石田光成と大谷吉継のユルキャラらしいですw 入れ替わり立ち替わり観光客が一緒に写真を撮ったりしていて盛り上がっておりましたw

今となってはこんなふうに観光客がキャッキャ言いながらユルキャラと戯れる城門ですが、かつては徳川の大軍が押し寄せて来た最前線の激戦地です。なんでも伝承によれば、真田昌幸はこの城門の上から高砂という舞いを舞って徳川軍を挑発したそうな。ウソくせーと言われそうな話ですが、アタシはたぶん本当のことなんじゃないかと思っています。史記や三国志を読めば、守備方が城門から攻撃方に罵声を浴びせて挑発するなんて話はいくらでも出てきますからね。あの上から智将昌幸が舞を舞った姿を想像したら、なんかおかしくなってきました。


コイツは高い


これは平山城といっていいレベル

おそらく戦国期にはココまで立派な石垣は組まれていなかったでしょうが、こんなに高い作りをされてたんじゃあ正面からまともに攻めても落とせそうにないですね。


こんな小城に立派な堀があるのは珍しい

裏手はしっかりと水を張った堀で囲まれております。いやはやこんな城に戦国最強クラスの二人の武将が立て篭もったのでは、いかに歴戦の三河武士団で構成される徳川軍と言えども撃退されたのは無理もないことでしょう。


幸村と言えば赤染め鹿角ですね☆

城内にある真田神社にはたくさんの観光客が詣でており、この兜の前で写真と撮ってる人もいっぱいでした。アタシは基本的に、戦国の遺構に妙ちくりんなものがあるのを好まないのですが、この兜を見ていたら自然と笑顔になりましたw 

上田城というか上田市に来てみて思ったことは、真田幸村は本当みんなに愛されているんだな〜ってことでしたね。アタシが帰った後に行われていた真田祭りはきっと多いに盛り上がっていたことでしょう。


上田城 長野県上田市
JR上田駅から徒歩10分


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