根知城 〜信玄も避けて通る道〜 (2014.5.3)

越後春日山城と信濃の間には、標高2500mクラスの妙高山と黒姫山がそびえ立っています。ということは、もし信濃から春日山城に向かおうと思ったら、この妙高黒姫の東側を通るか西側を通るかのどちらかを選択しなければなりません。
さて戦国最強武将・武田信玄と軍神・上杉謙信が5度に渡って雌雄を決した激戦地・川中島はというと、これは妙高黒姫の東側ルートに位置しております。一度くらいは妙高黒姫の西側ルートで戦があっても良かったような気もするのですが、信玄はついぞ一度も妙高黒姫の西側ルートに手を出すことはありませんでした。だって何故なら、西側ルートにはあの男がいたからなのです…


村上義清の名は今も

軍神謙信は当然のことながら、信玄が妙高黒姫の西ルートから攻めてくることも警戒しておりました。信玄が東ルートから来た場合には、自ら春日山城から迎撃に行けば済みますが、西側ルートから来られた場合には地理的要因から考えて春日山から兵を出すのは効率が良くありません。そこで謙信は、この妙高黒姫西ルートの備えに根知城を築き、村上義清という切り札を配置していたのです。


こりゃあ侘しいな

この村上義清という人物、ウチの常連さんならきっとご存知かと思いますが、世間一般的には残念ながら今ひとつマイナーです。しかも皮肉なことに村上義清自身が強すぎたがためにこの根知城に攻めてくるような物好きも現れず、逆にドマイナーな城となってしまったのではないかと思われます。


いかにも義清らしい城構え

さてこの村上義清という人物のことを、知らない人のために簡単に説明しておきますと、なんと!信州上田の地であの戦国最強武将・武田信玄を二度に渡ってフルボッコを喰らわしてしまったという超々ツワモノだったりするのですよ。


土塁と曲輪かな?

詳しくは過去レポートの「砥石城〜そりゃ崩れるわ〜」「上田原古戦場跡 〜晴信初黒星の苦味〜」「武田信玄物語」を読んで頂けたらと思いますが、結局、信玄は正攻法で義清を倒すことを諦めて、謀略によって越後の地へ追い払ったのでありました。


唯一の史跡看板

その後、村上義清は上杉謙信の配下となり、この肝心要の根知城を任されることになったのです。


なんだこの山小屋w

さて信玄からすれば、自分に唯一黒星を付けた強敵のいる妙高黒姫西ルートを避けようと思うのは当然のことでしょう。タダでさえ強い強い義清が、こんなに険しい山城にいるんですから、砥石崩れのトラウマが蘇ってしまっても無理はないことと思います。


何もない、だがそれがいい本丸跡

この根知城を登ってみた感想は、
「ああ、村上義清の城だなあ」
ということでした。とにかく狭い険しい山道は、正に砥石城のそれを彷彿させましたし、この狭い狭い本丸跡も砥石城と一緒です。もしかしたらこの根知城、縄張り設計したのも義清本人なのかもしれませんね。


あの山の向こうには

義清は上田の旧領回復を願って謙信を頼ってきた訳なのですが、ついぞその願いが叶うことなく、この根知城にて果ててしまいました。
この根知城本丸から、あの山の向こうにある信濃の地を望み、義清は何を思っていたのでしょう? いつかこの道を信玄が通ってくるときを思い、その胸に復讐の炎を燃やし続けていたのでしょうか? そして結局現れなかった信玄を、臆病者と嘲笑っていたのやもしれません。


根知城
新潟県糸魚川市 国道148号線


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