上田原古戦場跡 〜晴信初黒星の苦味〜 (2017.6.10)

疾きこと風の如し、静かなること林の如し、侵掠すること火の如し、動かざること山の如し・・・戦国最強武将の聞こえも高い武田信玄ですが、その若かりし頃は血気にはやる風火のみの武将だったことは当サイトの常連さんならよくご存じのことかと思います。(そうでない方は武田信玄物語をお読み頂けたらと思います)
その生涯で70回近くの戦に臨み、負けらしい負けはわずかに2回という武田信玄が最初に敗北の味を知ったのがこの信州上田の地で起こった上田原の戦いです。


村上義清なにするものぞ!

貧しい甲府の地から信濃侵攻を開始し、伊那地方、諏訪地方を軽くたいらげた若き日の武田信玄・・・武田晴信の次のターゲットは上田地方でした。上田地方を治める豪族・村上義清を攻めるべく北上した晴信軍は、産川を挟んで義清軍と対峙します。


それ突撃〜!

連戦連勝で勢いの乗る晴信軍の先方・板垣信方は産川を渡って義清軍に攻撃を仕掛けると、義清軍の先方は簡単に蹴散らされてしまいました。


それ見たことか

初戦の勝利に気を良くした板垣信方は、なんと!その場ですぐさま首実検(討ちとった敵将の首を確認する作業)を始めてしまったのです。


なめんじゃねーぞコラ!

だが敵将・村上義清はそんな隙を見逃してくれるほど甘い相手ではありません。義清はすぐさま戦場に舞い戻り、完全に油断しきっていた板垣信方をむしろ逆に首実験される側に葬り去ってしまったのでありました。


武田の宿老ここに倒れる・・・

板垣信方とは武田家中における宿老中の宿老です。幼き晴信の養育係として晴信に兵法を叩きこんだ信方は、言ってみれば晴信にとっては"じい"と言ってもいい存在でした。
この上田原の戦いにおいて晴信は、そんなかけがいのない存在の信方を失い、なお且つ自身も負傷してしまうというフルボッコをくらってしまったのです。


この屈辱忘れはせん!

晴信に手痛い敗北を味わわせた村上義清は、晴信の前に初めて立ちはだかった強大な壁だったと言っていいでしょう。晴信はこの上田原の戦いにおける敗北のおおよそ2年後に義清へのリベンジマッチを仕掛けますが、またもボコボコにされてしまったのですから・・・
この対村上義清戦2連敗により晴信は力攻めの無理を悟り、風火だけの猛将から風林火山の名将へと成長して行ったのです。


ついに借りを返したぞ・・・

砥石崩れの翌年、ようやく"調略"により村上義清を上田の地から追いやった晴信は、きっとこの板垣信方の墓に真っ先に報告に来たのではないでしょうか?(※その後の村上義清はこうなりました
そして力に頼ることなく、戦わずして上田地方を手に入れた晴信のことを、あの世にいる信方はきっと褒め称えていたことでしょう。
伝承によれば板垣信方は大の煙草好きとして知られていたようです。板垣信方討ち死にの地と伝わるこの板垣神社には、今も線香代わりの煙草の火が途絶えることはありません。

上田原古戦場・
長野県上田市 上田古戦場公園

板垣神社
上田古戦場公園から2キロ程度

※その後、千曲川の「つけば料理」を食べて来ました。



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