設楽原古戦場〜長篠城 馬防柵と鳥居強右衛門 (2010.9.22) 

長篠の戦いと言えば、戦国時代有名な合戦ベスト3には入るくらいメジャーでしょう。
この長篠の戦いの経過については、かつて武田勝頼物語にて少し触れましたが改めて簡単に説明しますと、
武田と徳川の国境付近にある長篠城を居城とする豪族・奥平信昌が、武田を裏切って徳川についたところ、怒った勝頼は15000の大軍で長篠城を攻めてきます。
対する奥平の軍勢はたったの500人だったのですが勝頼の猛攻によく持ちこたえ、城兵の一人が武田の包囲網をなんとか突破して家康のもとに辿り着いて援軍の要請をしたところ、信長と家康は38000の軍勢で援軍に向かうことになりました。
・・・で、その信長家康の連合軍と勝頼が、長篠城から少し離れたところにある設楽原で激突し、武田軍は織田鉄砲隊に粉砕されてしまったってのがおおまかなあらましです。

ってことで今回は、その両軍が激突した設楽原と、戦いの発端となった長篠城に行って来ました。

設楽原古戦場〜馬防柵の向こう側〜

まずは設楽原。かつて織田徳川連合軍と武田軍が激闘を繰り広げたその古戦場ですが、今でもあまり民家や建物が建っておらず、その殆どが畑や田んぼとなっております。
この設楽原を見下ろせる場所にある丘の上には設楽原歴史資料館というものが建っており、両軍の陣立て図も置いてあるこの資料館の屋上からは、設楽原古戦場の様子が実によく分かりました。


設楽原は案外狭かったです

なるほど織田軍はあの山を背にして馬防柵を作って待ち構え、そこにこの資料館のある丘から勝頼軍が突進して行ったんだな。こんな見晴らしイイ場所に柵作られて鉄砲撃たれたんじゃあそりゃ面白いように撃たれるだろ。
こりゃあこの設楽原におびき出された時点で勝頼の負けだわなってことが、この丘の上から見下ろしてみると実に納得できましたよ。
それにしても、こんな狭い盆地で3千丁?の鉄砲が火を噴いたってんだから、その轟音たるやどれだけ凄いものだったんだろうなあ(><)

資料館を出てかつて織田軍が陣取っていたあたへんに行ってみると、そこには実際に復元してみた馬防柵があったりもします。


本当にココに騎馬軍団が突っ込んで来たんだよな(><)

いかに鉄砲を持っているとは言え、この馬防柵の向こうから突っ込んでくる武田の騎馬隊は大迫力でおっかなかっただろうなあ(><)
アタシも思わず鉄砲を構えるポーズをとってみたり、後方から「撃てーっ!」なんて叫びながら手を振り上げたりしたことは内緒ですよw


撃てーっ!!!

でもほんと、この馬棒柵の内側から向こう側を見ていると、今にも武田の騎馬隊が突進してくるような錯覚に襲われます。アタシならずとも、あの場所に立ってみれば、きっとみんなアタシと同じ行動をとってみることでしょうw


資料館そのものも結構面白かったです

設楽原 東名高速道路・豊川インターより30分くらい


長篠城 〜勇者・鳥居強右衛門〜

次は、この長篠の戦いが行われる発端となった長篠城です。
長篠城の建っている場所は平地なのですが、ちょうど二本の川に挟まれた三角州のような場所に建っており、狭いながらも防衛力はなかなか高かっただろうなということが偲ばれました。


ココで城兵500が死力を尽くしたのかあ・・・

さてさてこの長篠城と長篠の戦いのことを語るには、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)のことは外せません。
先ほどの解説にて、落城寸前の長篠城から、武田の包囲網をかいくぐって家康のところに伝令に行った城兵がいると書いたところですが、その伝令こそが鳥居強右衛門です。
強右衛門は家康が援軍に来てくれることを確認すると、一刻も早くそのことを城兵に知らせようと、再び仲間の待つ長篠城に戻ろうとするのですが、今度は武田の包囲網を突破するこができず、捕まってしまったのです。

武田勝頼:
「おいキサマ、あそこに立って援軍を呼ぶのは失敗したと叫ぶんだ。そうすれば命を助けることはもちろん、褒美をとらせてやろう。」

こうして強右衛門は長篠城からよく見える対岸に連れて行かれたのですが、

鳥居強右衛門:
「おまえらもう少しの辛抱だ! 家康公と信長公の援軍が間もなく来てくれるぞ!」

武田勝頼:
「キサマあああ!!!よくもおおおお!ブっ殺してやるー!!!!」

鳥居強右衛門はそのまま磔にかけられ殺されてしまったのですが、この強右衛門の勇気ある行動に城兵は奮い立ち、家康と信長が援軍に来るまで持ちこたえることが出来たのでした。
もしこの強右衛門の男気がなかったら、長篠城は落城し、長篠の戦いも起こらなかったかもしれません。たった一人の男の勇気が、その後の歴史を運命付けてしまったのです。
この勇気ある戦士・鳥居強右衛門が磔にかけられたちょうど対岸の位置に立って向こう側を見てみると、思わず涙が出てしまいました。


ああ鳥居強右衛門・・・

長篠城を後にして今度はその対岸に渡り、鳥居強右衛門の碑に行ってみたことは言うまでもありません。
今は木々が生い茂って対岸にある長篠城を見ることは出来ませんが、それでもこの場所に立っていると、城兵たちの強右衛門に対する声援が聞こえてくるようでした。


この場所で強右衛門は・・・

たった一人で命を賭し、見事味方に勝利をもたらした勇者・鳥居強右衛門。その仲間を思う心と勇気はこれからもずっと語り継がれていくことでしょう。


長篠城 

東名高速道路・豊川インターより40分くらい

JR東海飯田線長篠城駅から徒歩7分


※9年後に再び長篠の地を訪れました。


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