沼田城 〜激戦の上州門番城〜 (2016.1.9)

越後と上野の国境には三国峠と呼ばれる山々が連なっております。
かつて上杉謙信は、関東管領の職務を果たさんと、この三国峠を幾度となく越えて上野に出陣しておりました。


あの峠を越えて行くぞ

越後の冬と言えば↑のとおり雪に閉ざされた厳しい冬です。
でもこの三国街道・現在の国道17号線を抜けた先にはこんな青空が広がっているのです。


ウソみたいだろ・・・↑と同じ日に撮った写真なうえに、
標高こっちの方が高いんだぜ・・・

そりゃあ謙信は上野を欲しがる訳ですよ。実際、謙信は秋になると関東に出陣し、そのままこの上野で越冬するというのを行動パターンとしておりました。
越後湯沢から三国峠を越えて上野に来ると、真っ先に大きく広がっている平野は沼田の地です。


上州の玄関口

そしてその沼田の平地をちょうどよく見渡すことのできる小高い丘の上には沼田城が睨みを利かせております。しかもこの沼田の地は越後からの玄関口のみならず、信濃に抜ける街道にも通じております。だからこそ「三国」街道なんですけどね。

そんな要衝の地にある沼田城です。上杉・北条間において幾度となく熾烈な争奪戦が繰り広げられ、最終的には上杉景勝承認のもと、真田昌幸のものとなりました。


戦国随一の謀将ここに

でもこの沼田の地はタダでさえ戦国の真っ只中な世において、しかも徳川・北条・上杉という大勢力の狭間に位置しているのです。言ってみればいつどんなふうに勢力図が塗り替わるのか分かったものではない火薬庫のような土地なのです。そんな危険地帯の主となった昌幸は手を変え品を変え、時にはその戦の才を存分に発揮し、またある時は巧みな外交戦略を駆使して沼田の地を守り抜きました。一説によれば昌幸は織田・武田・上杉・徳川・北条間において10回以上も主君を変えたとも言われております。


昌幸の守り抜いた城下町

今日はそんな激戦地の沼田城を訪れた訳なのですが、なるほど確かに見事なまでに要衝の地にあることが分かります。平野を見下ろす小高い丘には広い曲輪が幾恵にも配置され、理想的な平山城の体をなしておりました。


その広い曲輪跡は現在は沼田城跡公園となっております。

さて真田昌幸と言えばかの有名な真田幸村の父親です。そんでもって真田幸村と言えば2016年大河ドラマの主人公です。ということはやっぱりこの沼田城も大河フィーバーに湧いているのかと言えば・・・


なんぞこれwww戦国無双かよwww

ハイ、やっぱりココぞとばかりに変なオブジェクトが湧いておりました(^^;


取って付けた感がたまらない信之・小松姫夫妻w

沼田城は後に昌幸の長男・信之に譲られたのですが、その正妻である小松姫(稲姫)という方がなかなかどうしてカッコ暖かいエピソードを持つ女傑だったのですよ。それが故に小松姫はこのように祭り上げられているのは分かるのですが、それにしても露骨な突貫工事感アリアリすぎですw
とは言ったものの実際、大河効果っぽい観光客をチラホラ見かけたことですし、小松姫は観光大使としての役目をしっかり果たしているのでしょうね。きっと小松姫も草葉の陰で喜んでいることでしょうw


いやいやこっちでしょw

でもやっぱり、アタシ的に見つけて嬉しいのはこれですよこれ☆ THE・土塁w
この沼田城は広大な敷地をスッポリ囲む綺麗な土塁はまさに芸術品でした(><)


なんという広大な・・・

土塁の内側は野球場がスッポリ入った公園となっております。・・・ってどんだけ広いんだこの曲輪スペース!!! そりゃあ真田昌幸が意固地になって守り抜くでしょうし、北条や徳川が執拗なまでに欲しがる訳ですよ。


勉強になりました☆

という訳で本日の沼田城攻略作戦では実に色々なことが実感できました☆
まず第一に、三国峠の面と裏の露骨なまでの気候の違い。そりゃあ謙信は毎冬関東に出兵する訳です。
それから沼田城の戦略的価値について。沼田城の立地の素晴らしさ、沼田の地そのものの戦略的価値の高さ。これは実地に来なければ分かりませんね。
最後に大河ドラマフィーバーの雨後のタケノコ感www でもあんなショボいモンでも枯れ木も山の賑わいで、なかなかどうしてお祭り感が湧くというものなんですねw


沼田城
群馬県沼田市 沼田市役所裏・沼田城跡公園


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