阿尾城 〜天下御免の傾奇城〜 (2021.2.13)


マンガ・花の慶次で一躍有名となり、今やゲームにパチンコに大活躍中な天下御免の傾奇者、前田慶次! ・・・ですが、その実像は謎に包まれております。
その生涯を信用できる資料を元に思いっきり簡単に説明すると、

・織田家五大将が一人・滝川一益の一族である。一益の甥だった可能性もあり。

・織田信長の配下で荒子城主の前田利久に実子がいないため養子となった。利久の妻の実家が滝川家の出身だった縁によるらしい。

・もともと前田利久の跡をついで荒子城主になるべく育てられたが、織田信長の命により前田家は利久の弟・利家が嗣ぐことになったため親子で出奔。なお慶次の年齢は前田利家の5才年上説と4才年下説があり、どっちにしても同年代だったと思われる。

・出奔中・・・1569年〜1583年頃までの経歴は不明。実家の滝川一益の元で槍働きをしていたという説が濃厚。(時期としては信長が足利義昭を奉じて上洛した頃から山崎の戦いで明智光秀が討たれたくらいまでの期間。)

・小牧長久手の戦いが始まる頃、養父・利久とともに前田利家に迎えられ一門待遇を受けることになる。

・その後は利家配下として末森場の戦いや小田原征伐に従軍したらしい。利久は前田家の重鎮として内政で手腕を発揮した。

・豊臣秀吉の天下統一後、再び前田家を出奔。理由は不明だが、もともと利家との折り合いが悪い上に父・利久が亡くなったことで前田家にいる理由も無くなったから?

・前田家出奔後は京で自由気まま浪人生活を送る。

・豊臣秀吉死後は上杉景勝に仕官。長谷堂城の戦いにも参加したらしい。その後は上杉景勝配下として米沢で余生を送る。

ざっとこんな感じです。
戦場での華々しい活躍譚や京の都での傾奇者エピソードの大半は江戸時代に書かれた講談本に書かれたものであるためどこまでが本当の話なのかは分かりません。
ですが長谷堂城の戦いにおいての活躍は事実のようですし、京都浪人時代には数々の連歌会に参加したり古典の講義を行ったりしていた形跡は残っております。また、穀蔵院飄戸斎(こくぞういん ひょっとさい)、龍砕軒不便斎(りゅうさいけん ふべんさい)などという人を食った道名を名乗っていたという記録も残っています。

ということで事実を元に思いっきり最大公約数的なまとめ方をしてみても、前田慶次は風流な心と茶目っ気を持ち合わせる文武両道の粋な人物だったということは間違いないでしょう。
さて本日攻略してきたのは、この前田慶次が城主又は城代を努めていた能登(石川県)と越中(富山県)の国境にある阿尾城です。小牧長久手の戦いの一環として行われた前田利家と佐々成政との抗争時、慶次は佐々軍に包囲される前田方の末森城の救援に出撃した後、前田・佐々の国境線上の押さえの拠点・阿尾城に入って佐々軍を相手に戦ったと言われております。


朝日の雨晴海岸

この阿尾城はアタシの大のお気に入りのお魚街・氷見にあります。この氷見の海岸は海の向こうには佐々成政が超えた立山連峰が見えるということで有名な景勝海岸であり、今日は天気予報も晴だったので海の上に聳える立山の姿が見えるかと期待していたのですが、残念ながら見てのとおりの超朝焼け逆光状態でした(><)


でもこれはこれで☆

今日の攻略目標は、天下御免の傾奇者・前田慶次の居城です。そんな日の本一の勇者にはやはり輝く朝日がピッタリですよね。慶次はきっとこの雨晴海岸を、愛馬・松風に跨り朱槍を煌びやかせながら疾駆して佐々軍を蹴散らしたんだろうなと、そんな想像をして満足することとしましたw


氷見と言えばこれだ!

目的地が氷見ってんですから、もちろん氷見港の魚市場食堂に行かない訳にはいきません☆


刺身はこないだ食べたのでw

今日の標的は前々から食べようと思っていたブリカマです☆
よくよく考えるとこのブリカマってヤツは一匹のブリから2つしか取れない貴重部位なんですよね。しかも脂がのってて超うまい☆ それがたったの1500円ってんですからめっちゃお得じゃないですかこれ(^^)
しかもこれはあの超イケメンな氷見ブリのブリカマです☆ はい見ての通り超おいしかったです(^^) たっぷり脂ののったカマ身はもちろん、パリパリに焼けた皮もおいしくて、隅から隅までほんと余すこと無く食べることができました(^^)
ところでこの氷見ブリってのは戦国時代からたくさん獲れていたんでしょうか? 慶次だったら褌一丁で海に潜り、10kgクラスのブリを軽く朱槍でブスリと突いて来て、骨ごとバリバリ食べたような気がしますねw


阿尾城はあの岬の先に

それにしても・・・過去に幾度となく訪れたことのある氷見の、浜から展望台からいつも見ていたあの能登方向の岬の先っぽにまさか前田慶次ゆかりの城があったとは・・・いつも書いてることですが、自分が知らないだけで身の回りには実は面白い場所がたくさん隠れているんだなってことを改めて思い知らされました。
そんでもって、今まで食べよう食べようと思っていながら刺身の誘惑に負けて食べていなかったブリカマを味わう機会を作ってくれた慶次に深い感謝の意を述べたいところですねw


いよいよついたぞ阿尾城跡

氷見魚市場食堂から車を走らせること5分で阿尾城に到着です。


こりゃまたしょぼいw

まあ最初から分かっていたことではありますが、やっぱりこの阿尾城、すげー小さい城ですね(^^;


これは土塁と曲輪かな?

でもでもでも、ここはなんと言っても大ふへん者・前田慶次のいた城です☆ アタシん中でのテンションは城のショボさとは反比例してダダ上がり、気が付きゃパチンコ花の慶次の歌をけっこう大きな声で口ずさみながら階段を駆け上がっておりましたw


ここは一番広い二の丸跡

アタシは最初にこの阿尾城の地図を見たとき、
「慶次はきっと、こんな辺境海沿いの小城の主程度で収まることに我慢できずに前田家を出奔したんだろうな・・・」
そんなイメージを抱いておりました。


このヒョロヒョロ道の先が本丸跡

ですが実際にこの阿尾城に来てみると、これはこれで詫び寂び風流を愛する慶次の城にふさわしいのではないかとも思えて来たのです。


まじ狭いな本丸跡w

前述したとおり、前田慶次は天下無双の勇者と風雅な粋文化人という二つの顔を持っております。


和歌の一句でも読みたくなります

雄大な立山連峰を望む静かな海に囲まれたこの阿尾城は、連歌に興じ古典を研究するには持ってこいな場所ではありませんか。


逆光でわかりにくいですが、海の向こうには立山連峰が見えております。

慶次もきっとアタシがこうして立っているこの場所から海の向こうの立山連峰を望みながらキセルをふかし、物思いにふけっていたんだろうななどと感じ入りつつ・・・

「死ぬも生きるも♪ 風が決めるさ♪ 傾き通せ漢よ!!!」

※作詞:原哲夫・吉田隆/作曲:渡部チェル/歌:角田信明
ニューギン社パチンコ「花の慶次〜愛」テーマソング「修羅の果てまでも」より

スマホで歌詞検索してこんな歌を熱唱完走して傾いておりましたとさ(爆)
この歌は花の慶次の原作者・原哲夫先生が歌詞を作っただけあって本当にテンションあがって傾奇たくなる歌ですよ♪



傾くなら傾き通す城

それにしても改めて、アタシは花の慶次が大好きなんだなあと思い知らされました(笑)
ほんとのほんと、当初の予定では慶次が風雅に過ごしたであろう静かな海辺の城景色を見て粋風流な気分になろうと思っての攻城だったのですよ。でもそれがいざ来てみれば、この有様ですw
以前に松井田城の記事にも書いたところでありますが、たとえ史実でなくても創作であったとしても、やはりアタシの中には「花の慶次」という人物は存在しているのです。もっともその想いの丈の度が過ぎてしまうのは考え物だとは思いますけれど(^^; アタシはこれからもずっと、虚実入り混ぜて語り楽しむ歴史好きとして傾き通したいですね☆


阿尾城
〒935-0002 富山県氷見市阿尾


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