末森城 〜大輪の蕾〜 (2012.4.14) 

加賀・能登・越中・三カ国の交通の要所にあるのがこの末森城です。
小牧・長久手の戦いにおいて秀吉と家康が尾張を中心に火花を散らしているときに、秀吉方である前田利家の家臣・奥村助右衛門が守るこの城を、秀吉嫌いで前田利家の昔からのライバルである佐々成政が攻め立てました。佐々軍15000に対して末森城の守備兵はわずかに500。それでも奥村助右衛門は必死の防戦でなんとか城を守り抜き、やがてかけつけた前田利家の援軍・2500と共に佐々成政の軍を見事撃退したのです。
この末森城の戦いは前田利家にとって生涯の自慢となる輝かしい戦歴となり、加賀100万石の礎を築くことになったのでありました。


国道の境の要衝にあります。

マンガ・花の慶次の序盤のハイライトシーンを飾るこの末森城ですが、なるほど確かに、越中から谷間を抜けて来た先に広がる平野を見下ろす極めて立地条件のイイ小山の上にあります。こんなに戦略的重要ポイントにある城なのですから、そりゃあ死闘が繰り広げられるのも当然だと実地に来てとても納得できました。


こんな城です

山城と来ればいつものアレです。なんでこんなに出入りすんのに疲れる場所に城なんて作るんだYO!ってヤツが出るかどうかってところですが、この末森城は緩やかすぎずキツすぎず、絶妙のハイキングコース山道でした。


山頂まで20分

途中にはこれまたイイ感じに曲輪を作れそうなスペースが沢山あるし斜面の見晴らしもイイしです。きっとこの城を最初に築いた人が、うまいこと盛ったり掘ったりしていったのでしょうね。


本丸跡

はいこれまたいつものヤツです。何も無い、だがそれがいい。やっぱり死闘のあった城跡ってのはこうでなくてはいけません。あと1週間くらい遅く来ていれば、この桜も満開だったんでしょうけどねえ・・・

さてさてこの末森城、138mの標高を20分かけて登るくらいの山なのですから、その裾野の広がりはそれなりのものです。こんな広大なスペースをよくもまあ500人で守ってたものですよ。


土塁がいっぱい

マンガ・花の慶次において、次から次へと壁をよじ登って来る敵の大軍を、一人の老兵が必死に防ぐという描写があったのですが、この広い広い末森城の斜面を見ていると、なるほど実際の攻城戦ってのはそんなものなのかもしれないなと妙に納得できました。


いい眺めだ

また、この末森城は先ほどから書いているように抜群の立地条件だけあって山頂からの眺めも素晴らしいです。その日の戦に疲れ果て、刀折れ矢尽きようとも、広大な日本海に沈む夕日の美しさを目にすればきっと、明日もまだ戦えるという気力が沸いてきたのではないでしょうか。


500人の勇士に捧ぐ

本丸跡に立つ桜の木はまだ開ききっていない蕾の桜でした。最初にこの本丸跡の桜の芽を見たときは、もうちょっと遅い時期に来ていれば満開の桜が楽しめたのになあなんてことを思いました。
でも、わずか500人で15000の大軍に立ち向かった勇士たちには、満開の桜よりも、これから大輪の花吹雪となるであろう蕾の方こそが相応しいでしょう。

ちなみに佐々成政はその後このようになりました。

末森城
国道150号線と国道471号線の合流地点


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