武田通り〜信玄堤 〜信玄公のおひざ元〜 (2024.1.6)

2024年の松本方面3か所詣を終えたあと、時間があったのと地理的要因で向かいやすかったので、なんとなく甲府の町まで来てみました。一応の目的は、以前に立ち寄ったことのある躑躅が崎館の前のおみやげ屋さんで戦国Tシャツを買うというものですw


いいもの売ってますように☆

てことで青空快晴のもと訪れた躑躅が崎館は武田神社であるということもあり、多くの初詣客でごった返しておりました。


なるほど初詣の名所だったのか

と言ってもアタシ的には躑躅が崎館には以前に来た事があるし、そもそもの目的はおみやげさんだったのでw カッコいいTシャツが売ってるといいなと思ってお店に入ってみると・・・うお!?まさかまさかまさか!!今から10年前に買って今でもココ&チップの敷物として愛用している風林火山タオルが同デザインで売っているじゃありませんか!(><) これにはビックリ!思わず店員のおねーちゃんに今持ってる風林火山タオルを見せて、「これ10年前にここで買ったヤツなんよw」なんて言ってしまいましたw おねーちゃんの方もビックリ驚き笑ってくれて、これまたついつい「10年後にまた同じの買いに来るからおねーちゃんもいてくれよ☆」なんて言ってしまいましたw


タオルTシャツげっとだぜ☆

そんなこんなで風林火山タオルとカッコいいTシャツをGETして意気揚々としていたところ、躑躅が崎館の入り口近辺も以前に来た時とはずいぶん変わった感じなことに気付きます。


これは前来たときもあったよな

以前に来た時は信玄ミュージアムなんてのはありませんでしたし、周辺MAPなどというありがたいものも無かったような気がします。


信玄ミュージアムは微妙だったけど・・・


コスプレ写真撮れるのはおもしろいかもw

てかこの周辺MAP!!武田二十四将の館跡の場所なんて書いてあるじゃないですか(><)


このMAPはめっちゃいい!

と知ったら回らない訳には行きません☆・・・と言ってもさすがに全部回るのもダルいんで、わりかし近めにあって尚且つアタシ的に大好きな3名・山県正景と馬場信房、武田典厩の屋敷跡だけを回ってみました☆


兄より優れた弟など存在する?

・・・とは言ったもののもちろん館跡が復元されていたりする訳でもなく、ふつーの住宅地に看板が立っているだけですけどねw


馬場屋敷はメインストリートに


三郎兵衛の屋敷は現在中学校に

そのほかにも躑躅が崎館跡から歩いて行ける範囲で、信玄が秘密にせよと命じた死後3年間、荼毘に付された遺骨があったという場所にある信玄墓所なんてものもありました。


この場所に信玄公が・・・

またさらにその近くには川尻秀隆が嬲り殺されて埋められた場所なんてのもあります。


この人は逝ってよし


ってことで躑躅が崎館の近辺を色々歩けば甲陽軍鑑気分に浸れること間違いありません(^^)


甲府駅前の信玄像


躑躅が崎館から武田通り
山梨県甲府市 JR甲府駅から北に3kmくらい


楽しく武田さんぽをした帰り道には、躑躅が崎館から2里ほど離れたところにある、釜無川の信玄堤にも寄ってみました。
かつてこの釜無川とその隣の富士川はとにかく大変な暴れ川だったのが、信玄が根気よく高度な技術を使って堤防を築いたおかげで見事に氾濫がおさまったと言われています。


これが噂の信玄堤?

そんな信玄堤はいったいどんな凄い堤防なのかと思ってみてみたら、え?たったこれだけ?と一瞬思ったのですが・・・


そうだったのか!

なんと!この信玄堤というのはこの場所にある堤防だけで出来ているだけでなく、川の中に聖牛と呼ばれる構造物を沈めたり、上流に将棋頭と呼ばれる石組みを築いて流れを分断するなどなど、周辺一帯に色んな細工を施して機能している総合システムだったというではありませんか!


全て合わさって初めて分かる

さすがは戦国最強武将の作った堤は一味も二味も違いますね。


信玄堤
山梨県甲斐市竜王1989


さて本サイトにおいてアタシは武田信玄のニックネームを「戦国最強武将」としておりますが、なぜ信玄を「最強」の称号で呼ぶのかと言えば、この信玄堤を築いたことなどがその理由なのですよ。
ってことで今回はアタシが定義する戦国最強武将とはなんぞやということを語ってみたいと思います。
戦国大名の強弱優劣を評価する際にもっとも妥当とする基準は何かと言うと、一番公平かつ誰もが納得できるものは、

・どれだけ領土を拡張して奪い取ったか?

というのが一番分かりやすいのではないかと思います。
この基準で考えてみると、ナンバー1戦国武将は天下統一を果たした豊臣秀吉か、その後に江戸幕府を開いた徳川家康、あるいはその土台を築いた織田信長のうちの誰かであるということに異論のある人はいないでしょう。
ってことでエミール的基準として、まずこの戦国三英傑は別格の存在として除外し、おのおの3名には、

・戦国の覇王
・チート野郎
・最後に笑った男

というニックネームをつけさせてもらっております。(チート野郎ってのはあまり使ったことはありませんが)
そうなると次点で名前があがるのは、豊臣秀吉の天下統一事業最後の相手となった北条氏政ということになってしまいますが、大半の人がそれでは納得しないでしょう。
ではなぜ最大版図、推定200万石以上を獲得した北条氏政では戦国最強武将としては役不足なのかと言えば、確かに「最大版図」を獲得したかもしれませんが、「領土拡張率」で見てみれば150%程度なんですよ。
参考までに北条氏の最大版図の推移を見てみると、

初代早雲:推定25万石(伊豆・相模の二国)
二代氏綱:推定60万石(伊豆・相模・武蔵の半分・駿河の一部)
三代氏康:推定130万石(伊豆・相模・武蔵の大半・下総の大半・上総の一部)
四代氏政:推定200万石以上(伊豆・相模・武蔵・下総・上総の大半・上野の大半・下野の一部)

※戦国時代の大名の最大版図や石高を正確に測るのはほぼほぼ不可能ですので、
 これはあくまでエミール的推定です。
 この「最大版図」や「石高」に関する話はいずれどこかで書きたいと思います。

くらいであり、氏政はせいぜい先代氏康の領土を1.5倍にしたくらい、最大に高く見積もっても2倍くらいなものなんですよね。その点において、当初推定20万石程度(甲斐一国)から最大推定120万石程度(甲斐・信濃・駿河・上野の一部)まで版図を広げ、領土拡張率600%くらいを記録する武田信玄には到底及びません。

またたまに、

「武田家の最大版図を獲得した武田勝頼は信玄よりも凄い」

などと言っている人もみかけますが、武田勝頼の最大版図は推定140万石程度であり、領土拡張率でみればせいぜい120%程度なのですよ。そう考えると武田勝頼の獲得した「最大版図」とはそこまで評価するほどのものでは無いように思えます。
武田、北条の名前が出て来たので、その最大最強のライバル、軍神・上杉謙信のことも見てみましょう。謙信のもとの領土は越後一国・だいたい35万石くらいです。そこに上野の一部、庄内、越中、能登などを加えてみると、最大版図は130万石程度、領土拡張率は400%弱と推定されます。そう考えると、武田信玄、上杉謙信、北条氏康はだいたい同レベルのライバル同士だったと言えますが、領土拡張率で見てみると、やはり武田信玄が一歩抜きんでているのではないかと思えます。
なおこの「領土拡張率」で言えば、仙谷秀久蒲生氏郷福島正則などと言った槍働き大名はどうなんだ?と言われそうですが、この辺の人たちはもともと主君持ちの「陪臣」であり、自ら領地を「切り取った」というよりは、主君に領地を「与えられた」という感じですので、エミール的には領土拡張率という評価をする対象にはしておりません。

また、武田信玄と言えば、戦に強いのみならず、内政・外交についても最強レベルであったことは言うまでもありません。内政に関して言えば、領内の安定経営という点では北条氏康の方が上という感じがしますし、直江津港からの収益や青苧の栽培育成で巨万の富を得た上杉謙信も凄いとは思います。ですが武田信玄の場合は「甲州法度」という分国法を制定し、「信玄堤」と言う400年後の世にまで伝わる巨大建造物を残したという目に見える事績がありますし、金山開発を積極的に行って「甲州金」というブランドを作り上げたというのも華があります。
外交に関して言えば、同盟してからの〜用済みと見たら即裏切り!がデフォルトで無茶苦茶なことをさんざんやっているのですが、その清々しいまでの手のひら返しっぷりが逆に天才的だなと思えるのですよ。
北条、今川と三国同盟を結んで謙信に対抗したかと思いきや、桶狭間で今川義元が死ぬや否やアッサリ三国同盟を裏切って今川領に攻め込んだりとか、その今川を滅ぼすために徳川家康と組んだものの、その今川を倒したら今度はお前はもう用済みとばかりに家康を三方ヶ原でメッタ打ちにしてみたり。この節操の無さと切替の速さはライバルの上杉謙信や北条氏康など到底及ぶものではありません。
そんなこんなでエミール的には、戦に強くて内政がうまくて外交にも容赦無い武田信玄こそが戦国最強武将と呼ぶにふさわしい存在と思っております。

・・・とここまで書いておいてなんですが、エミール的には実際のところ、戦国三英傑の次に凄い戦国大名は毛利元就だと思っております。スタート地点は1万石にも満たない国人レベルだったのに最大版図は100万石を超え、領土拡張率は10000%以上という途方もない数字です。また、外交謀略のエゲツ無さについては武田信玄ですらもタジタジしてしまうレベルです。
それでもやはり、内政面に華があり、信長や家康を本気でビビらせたという勲章もありますし、越後人であり信州在住経験のあるのエミールにとっては少し身近な存在ということもあり、当サイトにおける戦国最強武将の称号は武田信玄に贈りたいと思います。





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