小諸城 〜槍一本の戦国ドリーム〜 (2021.2.27)

今日は戦国史上最も失敗し、挽回した男、仙石秀久の居した小諸城に出撃してきました。ってことで今日はリアル系戦国時代マンガとして人気の高い「センゴク」の主人公・仙石秀久のお話です。


お☆センゴクをはっけんw

さてこのセンゴクこと仙石秀久なのですが、戦国マニア、特に土佐人の間ではエラく評判の悪い人物です(^^; というのもこのセンゴク、豊臣秀吉による九州征伐の場において総参謀長的立場にあったのですが、秀吉の命令を無視して抜け駆けしたあげくに島津勢に大敗を喫してしまったという、言ってみれば日本史版・馬謖のような人物なのですよ。しかもそのうえ、その巻き添えを喰って四国土佐の英傑・長宗我部元親の自慢の長男、長宗我部信親が討ち死にを遂げ、元親はショックのあまり廃人同然と化してしまったということで四国人と長宗我部ファンを完全に敵に回してしまっております。これだけでも十分酷い話だってのに、センゴクはなんと!崩壊する九州戦線を放ったらかしに敵前逃亡してしまったのです! そりゃあセンゴクが戦国ファンの間で忌み嫌われてしまうことも当然のことでしょう・・・
でもそんな大失敗やらかし男のセンゴクですが、アタシ的な評価はすこぶる高いです。というのもこのセンゴクは、エミール基準でいうところの「槍働き大名」に分類されるからなのです。

センゴクの小諸城


さてここでちょっと話を脇道にそらして、戦国大名とはいったいどういう存在なのかをエミール的に分類していみましょう。
戦国大名はいったいいかにして戦国大名となったのか? それにはいくつかのタイプがあり、それを下克上度が低い順に並べてみると以下のようになります。

1.守護大名
室町幕府の正式役職だった「守護」がそのまま大名になったもの。

伊達氏、武田氏、今川氏、上杉氏、大友氏、島津氏など。

2.守護代からクラスアップ大名
室町幕府の名門守護大名は複数国の守護を兼ねながら京都に常駐していたので、現地で国を治める実務を担っていたのは「守護代」という有力地侍だった。その守護代が大名になったもの。

織田氏、朝倉氏、長尾氏、三好氏、尼子氏など。

3.国人からの成り上がり大名
いわゆる国衆・地侍などと言った地方の弱小領主から成り上がって大名となったもの。

毛利氏、浅井氏、松平氏、真田氏、長宗我部氏、竜造寺氏など。


4.槍働き大名
国人より更に下のランクの武士、あるいは跡取りではない次男坊以下の武士が戦場で武功をあげて出世して行った結果大名となったもの。

藤堂高虎、蒲生氏郷、堀尾吉晴、仙石秀久、賤ヶ岳七本槍など。

5.得体の知れない大名
誰おまえ?って感じの人で独立大大名になったもの。
豊臣秀吉、北条早雲、斎藤道三など。

下克上の戦国乱世と言ってみても、戦国大名の殆どが、大なり小なりもともと領地を持っていたそれなりの武士が大名になったものなのです。でもでもそれでも、己が槍働き一つで大名クラスにのしあがったという例もそれなりには存在しております。戦国史上最も失敗し、そして挽回した男・センゴクこそが、まさにそんな戦国ドリームを体現した一人なのですよ。

これが穴城の空堀か!

センゴクはもともと美濃(岐阜県南部)の微妙な国人の四男として生まれ、14才のときに木下藤吉郎の配下となります。その後、姉川の戦いなどに参戦して槍一本で武功をあげて国人クラスにのしあがり、その後も数々の戦場で活躍し、主君の木下藤吉郎が出世して行くのと同時並行で禄を増やして行きます。
やがて木下藤吉郎が羽柴秀吉となり豊臣秀吉となった頃には、古参子飼いのセンゴクは大名クラスにまで引き立てられていたのでした。

天守台はそんなに大きくはないですね

さてここまで順風満帆だったセンゴクのサクセストーリーですが前述のとおり、九州征伐の場において大失態を犯してしまったため一気に坂道転落し、秀吉の怒りを買って改易の憂き目にあってしまったのです・・・
が、最初に書いた通り、センゴクは戦国史上最も失敗し、挽回した男なのです。センゴクはもともとが一兵卒同然の身分から槍働き一本で大名の地位まで上り詰めたという剛の者です。1から出直し状態のセンゴクは20名の旧家臣を率いて小田原征伐に参戦し、伊豆の山中城攻めなどにおいて得意の十文字槍を奮って抜群の武功を打ち立てて、味方の勝利に大いに貢献したのです。
結果この大功が秀吉に認められたセンゴクは信州小諸の地を与えられ、槍働き一本で大名への復帰を遂げたのでありました。

残念ながら富士見櫓から富士山は見えませんでした

どうですこのセンゴクさん、九州での失敗さえ無ければ相当に凄い人だったということが分かっていただけたでしょうか? 戦国大名多しと言えど、本人自身が抜群の戦闘能力を誇っていて、自らが先頭に立って戦場で暴れまくるタイプの戦国大名はそう多くはありませんからね。
己が槍働き一本で戦国大名に上り詰めたセンゴクはマジかっけーっすよ(><)

これは強そうな石垣だ

さてこうしてセンゴクの略歴を見ると武力一辺倒の能筋バカのような印象を受けるかもしれませんが決してそんなことはありません。豊臣政権下においては築城工事などで数々の功績をあげ、あの石川五右衛門を捕らえたのもセンゴクだったとも伝えられているのです。

春は桜が綺麗だろうな☆

秀吉の死後は、小田原征伐の際に自分を秀吉にとりなしてくれた恩からいちはやく徳川家康に接近します。関ヶ原の戦いにおいては徳川秀忠のアドバイサーとして参陣、上田合戦で大失態を犯した徳川秀忠の家康へのとりなし役を務めることにより、徳川家からも大きな信頼を得るようになったのです。
その後は、この日本百名城の一つに数えられる小諸城を築いて領内の整備に尽力したのでありました。

風流なお城になりました

それにしてもこうして改めてセンゴクの足跡をたどって見ると、返す返すも九州征伐における失態がなんとも残念もったいないです(><)
・・・とは言ったものの、やはりその劇的転落復活劇があったればこそのセンゴクですし、その苦々しいなんてレベルではない塗炭どん底の経験を糧としたからこそ、後に小諸の名君となることが出来たのでしょうね。

今は楽しい懐古園♪

戦国史上最も失敗し、挽回した男、仙石秀久の居した城郭が城下町より低いという日本唯一の「穴城」設計の小諸城。
現在は美術館や動物園、遊園地などが立ち並ぶ「懐古園」となり、長野県有数の観光地となっております。


小諸城
小諸市丁311


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