蒲生氏郷 〜パーフェクト猛将の墓標〜 (2015.2.7)

みなさんは蒲生氏郷という戦国武将をご存じでしょうか? おそらくは名前はなんとなく聞いたことはあるけれど、どういう人なのかは良く知らないという人が多いのではないかと思います。今日はそんな今ひとつマイナーながらも実は知勇兼備の将・蒲生氏郷の墓参りに行って参りました。


知勇兼備の将、会津の地に眠る

蒲生氏郷は信長や秀吉の20ほど年下で、そもそもの生まれが信長配下の豪族の嫡子です。そのうえ壮年になる頃にはすでに柴田勝家、羽柴秀吉と言った大先輩が織田家重鎮として君臨しておりました。言ってみれば伊達政宗と同じく遅れて来た英雄です。
それでも氏郷は信長の小姓時代からその才気は多いに評価期待され、柴田勝家の与力として頭角を現しておりました。なにしろ信長の娘を娶っていたくらいですから、いかに氏郷が評価されていたか分かるでしょう。


墓所は会津若松市の興徳寺に

柴田勝家配下だった氏郷ですが、本能寺の変後はいちはやく秀吉に味方して、伊勢松島12万石の大名となります。その後も順調に戦功をあげ、秀吉の天下統一後は会津92万石という大大名にまでのし上がったのです。
そんな大器の氏郷ですが、残念ながら40の若さで病死してしまいます。もし氏郷が秀吉死後まで生きていれば、関ヶ原の戦いの趨勢も大きく変わっていたことでしょう。
氏郷は92万石もの大領を任されるだけあって、戦が強いのみならず、政治力にも優れていることは言うまでもなく、築城名人としても名を馳せておりました。


会津若松城を築いたのも蒲生氏郷

そのうえ千利休の7人の高弟の一人にも名を残しているという、蒲生氏郷とは正に文武両道という言葉をそのまま絵にしたような人物なのです。
さてそんなパーフェクト超人といえる氏郷ですが、信長秀吉家康といった戦国期に現れた他の何でも得意武将とは大きく異なっていることが一つありました。
氏郷は新たに配下に加わった武将には、必ずこう言っておりました。

「よいか我が軍には銀の鯰尾兜を被った猛将がおり、いつも先陣をかけている。戦の際にはその者に遅れを取るではないぞ」

そうして新参武将がいざ蒲生軍の一員としての初戦に臨んでみると、その鯰尾兜の猛将とは氏郷本人だったというw 知勇兼備の武将の中でも、こんな勇ましいエピソードを持っているのは氏郷だけではないかと思います。なんともカッコいいではありませんか。
また氏郷には、部下に対する温かいエピソード、人使いのうまさに感嘆させられるエピソードもたくさん残されており、なるほど確かに天下を狙える器だったというのも納得できます。


パーフェクト猛将よ安らかに

かつて東北のド田舎だった黒川の地を会津若松と改名し、その持前の政治力築城術を駆使して立派な城下町として発展させたパーフェクト猛将・蒲生氏郷。現在は会津若松市のメイン商店街のド真ん中に眠っております。

蒲生氏郷墓所
会津若松神明通り商店街 興徳寺内

さて会津若松市は何気に桜肉料理が名物として有名らしく、興徳寺の近くにある桜鍋・吉し多にて桜肉寿司と桜ステーキを楽しんで参りました☆


桜寿司セット850円


上桜ステーキ1500円

もう見るからにウマそうでヤバいっしょ(><)
いや実際寿司もステーキもすんげえ美味しかったです(^^)
とにかく桜肉ってヤツは脂身がないぶん肉そのものの味が濃くって元気モリモリになります☆
桜ステーキは肉そのものの美味しさはもちろんなのですが、バーベキューな味付けがイイ意味で庶民的wとっても親しみやすい美味しさでした☆
さてこの吉し多なのですが、店のふいんきもとてもよく、大将も気さくな方でした。

「写真撮ってもイイっすか?」

と聞いてみたら、

「どーぞどーぞ、写真でも何でも好きなことしてイイですよ!」

…って写真撮影許可取ろうそいて好きなことしてイイなんて言われたのは初めてのことですよ(笑)
それから写真のタイトルにあるように、この写真この量この美味しさで寿司定食なんてたったの850円! 会津若松の地に立ち寄ったら、この吉し多に来なけりゃ絶対大損ですよ(><)


桜鍋 吉し多
福島県会津若松市 神明商店街からちょっと鶴ヶ城より

グルメ度/★★★★★

ではでは最後の最後、新潟から会津に来る途中で撮った綺麗な山の写真を貼って会津レポートは終わりとしましょう。


国道459号線 新潟福島県境付近


会津磐梯山


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