岩櫃城 〜武田勝頼最後の決断〜 (2016.4.2)

アタシは武田勝頼という戦国武将のことが結構好きです。なんにせ武田勝頼物語などというものを描いているくらいですからね。もっともだからと言って、武田勝頼のことをそれほど高く評価している訳ではありません。戦に強かったことは確かですが、結局、国をまとめあげることができず、武田家を滅亡させてしまったのですから・・・
アタシの中での武田勝頼というのは、あくまで悲劇の人という感じです。ヘタに家督なんぞを継がされてしまったからああなったのであり、武田家のもともとの構想通り、吉川元春や島津義弘のようなポジションでいたのなら、比類なき勇将として評価されていたのではないかと思いますので。
・・・って武田勝頼について長々と語りすぎてしまったが、昨日訪れた岩櫃城は、そんな悲劇の武将・武田勝頼の人生最後の大決断に関わった上野の山奥にある山城です。


あの大きな山の向こうが岩櫃の地

武田家滅亡直前頃、この岩櫃城は真田昌幸が領しておりました。もっとも当時の真田の本城は沼田城であり、岩櫃城はあくまで支城でした。↑の写真は沼田城付近から沼田の町を見下ろして撮ったものでありますが、この写真を見ても分かるとおり、岩櫃とは町の中心地から外れたところにある抑えの城なのです。


大きな山の向こうにあったあの山にあるのが岩櫃城

岩櫃城はそんな山奥の要害地にあればこそ、武田勝頼最後の決断の舞台として選ばれることになったのです。


はるかな山道を抜けて

かつては戦国最強を誇った武田家も、長篠の敗戦を機に凋落の一途を辿っておりました。
1582年2月、ついに織田徳川北条による本格的武田殲滅戦が展開されることになると、勝頼を見捨てる国衆が後を絶ちませんでした。勝頼はまともな迎撃軍を編成することすら出来ない状況にまで追い詰められてしまったのです。


そこで登場するのが岩櫃城

新府城においてそんな絶対絶命の軍議を進める中、勝頼の前に進み出て、勝頼に最後の戦略を献策したのが真田昌幸です。

昌幸:
「殿には一度、この甲斐の地を捨てて上州岩櫃の地まで退いて貰います。この岩櫃城は要害の堅城なれば、いかに織田の大軍が攻め寄せて来てもそうそう落とされるものではありません。そうして岩櫃城で時を稼ぎながら、上杉、北条と連携して織田勢を追い払います。上杉はもともと織田とは戦闘中ですし、北条とてこれ以上織田の勢力が強くなることを良しとは思っておりますまい。
ここで殿がご決断頂けば、必ず運が開かれます! さあ我が岩櫃城に!」


確かに岩櫃城はなんでこんなに(略な城です

この説得力のある昌幸の献策に、勝頼は一度は首を頷かせました。確かに岩櫃城に籠っていれば、そう簡単に攻め落とされるものではありません。それに何より城を守るのはあの戦国最強武将・信玄を持ってして「我が両目の如し」と言わせしめた真田昌幸です。もし勝頼がこの昌幸の策に従っていれば、あのように無残な最期を遂げることは無かったことでしょう。


イイ感じに堀切跡が残っております

でも勝頼は結局、最後の最後で昌幸の献策を退け、小山田信茂の岩殿城へ落ちのびる決断をしたのです。
武田家内にはもともと甲斐衆と信濃(諏訪)衆の対立がありました。諏訪出身の勝頼が、武田本国である甲斐の国衆代表とも言える小山田信茂に、

「やはり殿は甲斐より信濃を選ばれるのでござるな。」

などと言われれば、勝頼は甲斐の岩殿城行きを決断せざるを得なかったことでしょう。
このへんのいきさつについては、大河ドラマ真田丸にて詳しく描かれていたところです。それにしても真田丸における勝頼は物凄くカッコ良かったですね(><)


こっちの城に来ていれば・・・

でも結局、その小山田信茂は土壇場で勝頼を裏切り、そのわずかな手勢を織田勢に売り払うという非道な行為に及ぶに至ったのです。


本丸付近にはこんな美しい土塁が残っております

小山田信茂の裏切りを知ったときの勝頼は、いったいどのような気持ちになったことでしょう? 「やはり岩櫃城に行けば良かった」と思ったか?「甲斐衆を見捨てようとした自分に対する当然の報いだな」と覚悟を決めていたか?


昌幸が勝頼を待った本丸跡

勝頼は岩殿城に入ることが出来ず、最後は天目山にてわずか40名程度の手勢で最後の戦に臨み、そして自害して果てたのでありました。


かえすがえすも、やはりこちらの城に来ていれば・・・

勝頼自害の報を聞いた昌幸は、どのような思いをしたことでしょう?
また、最後の最後で勝頼は、少しでも昌幸のことを思い出したのでしょうか?
勝頼のことも昌幸のことも大好きであるアタシとしては、最後の最後に両者の想いが通じていたものと思いたいです。
なお、小山田信茂は勝頼を追い詰めた大功を立てたにもかかわらず、武田攻め総大将・織田信忠からは卑劣な不忠者として処断されることとなりました。


本丸跡で食べたおべんとう 詳しくはこちら


本丸跡からの眺め


岩櫃城
群馬県吾妻郡東吾妻町

※2020.12.15 岩殿城にも行ってきました。


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