岩殿城 〜勝頼最後の7日間〜 (2020.12.15)

今日は武田勝頼が自らの運命を賭す最後の選択において引いてしまった最悪のジョーカー城、岩殿城に出撃して来ました。
この武田勝頼最後の決断については過去記事の

岩櫃城 〜武田勝頼最後の決断〜

天目山〜景徳院 〜悲しき最後の戦〜

をお読みいただけたらと思います。
そんなの読むの面倒だっていう人のために超簡単に説明すると、織田信長の猛攻に耐えられそうにない武田勝頼は未完成の本拠地・新府城を捨て、譜代の臣・小山田信茂の岩殿城か新参者の真田昌幸の岩櫃城かのどちらかに落ち延びなくてはならないという究極の選択を迫られ、結局、甲斐と武蔵の県境付近にある小山田信茂の岩殿城に行くことになったという話です。
ですがその結果はどうなったかと言うと・・・今回の遠征はそんな武田勝頼最後の逃亡ルートを辿るという旅でした。


岩殿城に行く前に

当初の予定ではまっすぐ岩殿城に行くつもりだったのですが、せっかくだから松本から岩殿城へのルート上にある新府城に寄って行くことにしました。新府城は今から10年ほど前に攻略済の城だったのですが、今回の旅の目的を思うにやはり寄っておいた方がいいなという想いがこみ上げて来たのです。


ああ無念の勝頼・・・

こうして再訪してみると改めて、対信長のために築いたこの超巨大城郭にみすみす自らの手で火を放った武田勝頼の無念が思い起こされて涙が出そうになりました。


目指すは岩櫃の地

新府城は山梨県の北西部、どちらかという長野県寄りの韮崎市にあります。それに対して岩殿城の場所は東京都よりの大月市。ということは、武田勝頼はこの甲州街道・現代の国道20号線を東に落ち延びて行ったのでしょう。
勝頼が岩殿城に向かったのはまだ春先の3月のことです。きっと勝頼の目にも雪をまとい白く輝く富士山が見えていたことかと思います。その美しくも雄大な姿を見て勝頼はいったい何を思ったことでしょう?


さらば甲府の町よ

新府城から甲州街道を5里ほど下ると甲府の町があり、甲府を過ぎた先はゆるやかな登り坂となり、やがて美坂山地と大菩薩連嶺の間を抜ける峠道へと入って行きます。
戦国最強武田騎馬軍団の駆け巡ったかつての本拠地に背を向けて山を分け入り落ち延びて行った勝頼の心中を想像すると胸が張り裂けそうになります・・・


もう少しで岩殿の地

栄え広がる甲府盆地を後目に笹子峠の山道を行くこと5里ほどでようやく岩殿の里・・・現在の大月市に入ります。なるほどこんな山深い地なれば織田軍もそう易々とは攻めては来れまい・・・ようやく勝頼はほっと一息つけるかと思ったのですがなんと!!!


その先には行かせねえ!

なんと! 小山田信茂は土壇場で勝頼を裏切り、岩殿城へ続く街道を封鎖して勝頼を追い払ってしまったのです!!


そんなこと言わずに入れてくれ!!

さすがに信茂もそのまま勝頼をひっ捕らえて織田軍に引き渡すということはしませんでした。っていうかそこまでやってしまうのは当時の武士道?にも反する重大なルール違反だったようですね。


もしも岩殿城に入城できていたら?

絶望の果てに甲州街道を戻った勝頼の代わりに岩殿城に入城してみると、なるほど確かにこれは絶壁堅固で強そうです。あの岩山の上に連郭防御施設がギッシリだったって言うんですから、いかに強大な織田軍と言えどもそうそう簡単にはこの岩殿城を落とすことは出来ないでしょう。


甲府ほど大きくはない岩殿の里

岩殿城の中腹からは積もった雪が解けて雲を蒸発させている富士山の姿がありました。それはまるで自ら放った炎に包まれる新府城の姿のようにも見えました。


本丸跡はあの岩山の上

残念ながらというか幸いというか、この日は岩盤崩落により岩殿山山頂までの登山道は封鎖されておりました。小山田信茂は武田勝頼のみならず、勝頼贔屓のこのアタシのことも岩殿城には入れてくれないようです・・・もっとも、アタシとしては、非道の裏切り者・小山田信茂の居した本拠地にはさほど思い入れがある訳ではありませんし、事前リサーチで登り階段が死ぬほど疲れると聞いていたのでちょっとホッとしたというのが正直なところです。
でもやっぱり、勝頼にもこの雄大に輝く富士山の姿を見て安堵して欲しかったなと思うところではありますね。


岩殿城
山梨県大月市賑岡町畑倉


甲州街道を再び下り・・・

岩殿城に入ることができなかった勝頼一行は、大菩薩峠に通じる天目山の栖雲寺を目ざします。その後のことは「天目山〜景徳院 〜悲しき最後の戦〜」をお読み頂けたらと思います。


あと一歩のところで・・・

武田勝頼が新府城を脱したのが3月3日のこと。それから小山田信茂の裏切りにあったのが3月9日のことで天目山に自害したのは3月11日のことと伝わっております。
かつては徳川家康を滅亡寸前まで追い詰めて織田信長をも恐怖させた戦国の猛将・武田勝頼。その最後の7日間の逃避行は、あまりに侘し悲しいものでした。


武田勝頼よ安らかに・・・

一般的な武田勝頼の評価というと、

@ 戦の才は父にも勝り、武田家の最大版図を築き上げた有能武将
A なんのかんのと言ってみても、家を滅ぼしたのだからやっぱりダメ武将

という感じで真逆の真っ二つに分かれているところですが、アタシには有能武将ともダメ武将とも決めつけることは出来ません。

武田信玄勝頼親子のことは過去記事で色々書いているところですが今一度まとめてみますと・・・
勝頼はその出生からして甲斐と諏訪両方の血を受け継ぐという呪われた宿命を引っ提げてイレギュラーな家督相続をさせられたところで強欲好き勝手オヤジの振りまいた無茶苦茶外交のツケを一気に払わされ、しかも武田騎馬軍団の経済力の源である金山まで枯渇してしまっていたという・・・そんな劣悪四苦八苦な状況でも必死に頑張って領土を拡大していたというのに、隣国には更に強大なる織田信長という大魔王がいたというのですから・・・

己が呪われた運命に抗いながらも精いっぱい頑張って戦国の世を駆け抜け、そしてドラマティックに散って行った戦国武将・・・アタシはそんな武田勝頼のことが結構好きです。


大月駅前・濱野屋で食べたほうとう


笛吹市・Roes Farmで食べたフルーツパフェ



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