無敵の武田騎馬軍団を率い、東海から甲信にかけて武田家の最大版図を築き上げた戦国武将・武田勝頼。その軍事的才能は戦国最強武将と謳われた父の武田信玄に勝るとも劣らない勇将・武田勝頼でしたが、その最後は実にさみしいものでした。
長篠の戦いに敗れて以降、配下の国人衆は次々と離反していき、最後の最後まで勝頼につき従った配下の数はほんの50人足らずだったと言われております・・・
詳しい話は以前に書いた「岩櫃城〜武田勝頼最後の決断〜」を読んで頂けたらと思いますが、宿将・小山田信茂の裏切りにあって是非に及ばなくなった武田勝頼が目指した先は甲斐と武蔵の国境付近にある天目山・栖雲寺でした。
ここまで来れば!
織田徳川の大軍に追撃されながらの女子供を引き連れての山中逃亡の果てにたどりついた天目山の登り口・・・だがその目指す先はすでに織田徳川の軍勢に抑えられていたのです・・・
この武田勝頼最後の戦・天目山の戦いにおいて、勝頼配下の猛将・土屋昌恒がなんと!この場で押し寄せる織田徳川軍をバッタバッタとなぎ倒し、千人斬りを達成したと言われております。
土屋昌恒千人斬の碑から見上げて
そうは言っても多勢に無勢、天目山の山上を抑えられてしまった勝頼はついに覚悟を決めて、妻子とともに自害して果てたのでありました・・・
直情猛将ここに果てる・・・
やがて戦国最強を誇った武田家を葬り去った覇王・織田信長が本能寺の業火に焼かれたのち、武田家の遺臣を取り込もうとした徳川家康が勝頼の霊を弔うため、勝頼自刃の地に建てることを許したのがこの景徳院なのです。
今となっては新緑の寺院
という訳で天目山古戦場跡及び武田勝頼の墓標・景徳院を訪れてみて思ったことは、これが最盛期には甲斐信濃駿河上野遠江と5カ国にまたがって勢力を伸ばし、徳川家康をあと一歩で滅亡するところまで追いつめた男の最後なのか・・・というさみしさでした。
武田家最後の将ここに眠る
こんな最果ての山中にまで追いつめられて、しかもこの天目山を登り切ったところで果たして勝頼にはその先があったのだろうか? そう思わずにもいられませんでした。
その先に見えたものは?
勝頼が目指した栖雲寺はその自害の地からほんの1キロ足らずの道のりです。
車でたかだか5分ばかし走ったところにあるその小さなお寺からは、ついこないだまで勝頼が治めていた甲州の地を見下ろす富士山の見事な姿を拝むことができました。
勝頼もあとほんの少し前進することができればこの富士山の絶景に出会うことができたのに・・・傷つき刀折れた勝頼がもしこの雄大なる日本一の山を目の当たりにしたら、勝頼はきっと最後の最後まで戦うことに明け暮れた人生のことを思い起こして最後の笑みを浮かべたのではないか? そんなことを思った天目山古戦場跡でした。
天目山〜景徳院
山梨県甲州市大和町田野389
中央道勝沼インターから車で20分
※2020.12.15 小山田信茂の岩殿城に行ってきました。
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