中国地方一周作戦 その3 (2019.9.3〜6)

9月4日後編からの続きです。

9月5日



稲佐の浜 〜国譲りの砂浜〜


今でいうこの日本という国が、高天原の神々に譲り渡された場所がこの稲佐の浜です。
それまで大国主命(オオクニヌシノミコト)が治めていた地上の葦原中国(アニハラノナカツクニ)を見た天上の高天原の神々が、その実り豊かな大地を自分たちのものにしたいと思い、あの手この手で大国主命に"国譲り"を迫りました。
ですがオオクニヌシはのらりくらりとその要求を避わします。やがて業を煮やした高天原の長・天照大神(アマテラスオオミカミ)は平和裏に話し合うことをあきらめ、高天原最強の神・建御雷神(タケミカヅチ)を遣わして力技に打って出ることにしたのです。

この稲佐の浜に降り立ったタケミカヅチは十束剣を逆さにひっ立ててその剣先の上にでんとあぐらをかいて腕組みをし、オオクニヌシに対し強引に

「この国を譲れ!YESかNOか!」

と迫ります。
超強引コワモテ荒振神には恐れをなし、高天原の本気を悟ったオオクニヌシは、葦原中国の行く末を2人の息子に託すことにします。すると長男はアッサリと高天原の神に服従することを誓い、次男はタケミカヅチに力比べを挑むもコテンパンにやられたうえに逃走し、諏訪湖でタケミカヅチに捕まって降伏してしまいます。
こうなっては是非も無し。オオクニヌシはタケミカヅチに対し、高天原の神が住むのと同じくらいの大きな神殿を立ててくれればそこに隠遁することを誓います。
そうして立てられた神殿こそが出雲大社であり、かくして国譲りがなされたのでありました。


やっと着いたぞ

ってことで訪れた稲佐の浜なんですが、看板を見つけて車を停めた瞬間、体に電流が走ったようなが震えが来てしまいました(><)


稲佐の浜きたーーーー

そんでもって海岸のちょっとした防砂林を抜けた先に白い砂浜を見たときは、思わず「やったー!」と叫んでしまいましたw


これがやりたかったw

アタシは稲佐の浜に来たら、まずはココとチップにこれをやって欲しかったのですよw ええ、国譲りの神話の再現を(笑)稲佐の浜を訪れて、震えて叫んだその次は、笑顔になっておりましたw


ここが稲佐の浜だけど・・・

こうして国譲りの再現をして大満足したところですが、よくよく考えると・・一つの物凄い不安に襲われてしまったのです。いったい何がそんなに不安だったのかと言うと、そこにあるいかにもな大岩なんだけど、果たして本当にそこが国譲りの場所だったのかと。
いややっぱ、普通は稲佐の浜にまつわる解説板を抜けた先にこんなものがあれば、誰もがそこが神話の場所だったと思いますよね? でもでもでも、実際のところ、あの大岩の近くにはそんなことが書いた立て札の一つも無いのですよ・・・
そういう訳で慌ててその場でスマホを取り出してググってみたところ・・・


やっぱ他にあるじゃんかYO!

ほーらやっぱり、この砂浜の裏手に、国譲りが行われた場所と伝えられている屏風岩って場所があったんですよ。てことで早速行ってみましたよその屏風岩に。


こっちにはちゃんと立て札があるな

うーん・・・でもアタシ的には、前に読んだ子供向け古事記の絵本に書いてあったように、やっぱり海がすぐそこの砂浜にタケミカヅチがずっしり構えていた方が絵になると思います。
という訳で、いちおこっちでもココチップに国譲りの再現をしてもらったところでありますが、アタシ的国譲りの再現シーンはさっきの海の大岩の方を正式採用しようと思いますw

なるほどなあ・・・歴史の伝承捏造ってのはきっとこんなふうにして行われていくのですね(^^;
「こうあるべきだ!」「こうにちがいない!」という思い込みが歴史を捻じ曲げていく・・・きっとこのようなことが沢山あるのでしょうね。
それから日本神話の聖地に来ていつも思うことを、やはりこの稲佐の浜においても同じことを思わされてしまいました。
いつも書いていることですが、なんで日本ではこういう神話の聖地が大事に整備されていないのでしょう? 国譲りというこの日本という国の成立の根幹を成す神話の聖地だというのに、案内看板は最初の写真にある古びたヤツだけ。屏風岩についても気付かない人はぜったい気付かないような場所にひっそり隠れているのですから・・・
そうそう、最初にアタシが国譲りの場所と勘違いしたあの大岩は、国譲りとは何の関係もない言われの弁天岩っていう岩だそうです。
でもでもでも、やっぱりあの大岩は国譲り神話的にはすんごく絵になる場所だと思うんで、アタシとしてはあの場所にタケミカヅチの像を作ったり、あるいは神話の再現ゴッコができるように(笑)逆さ剣の台座でも作っておいてはどうかと思うのですがいかがでしょうかねw


稲佐の浜
島根県出雲市大社町杵築北稲佐


出雲大社 〜大怨霊の大神殿〜 ※過去記事の追記です。

アタシは今から7年前に、出雲大社に来たことがあります。

・・・ですがその時は、実にタイミング悪く大遷宮の真っ最中だったんで、本殿を拝むことが出来なかったのですよ。
あれから7年の月日が過ぎ、今度こそは!とようやく訪れた出雲大社だったのですが・・・

この荘厳さは相変わらず

まずこの出雲大社に到着する前の話なのですが、車を飛ばして山陰道を走って来て、いよいよ出雲の町に入り「出雲大社」の看板が目に入ると、思わず体にピシリと電流のようなものが走りました。
ここがあの日本史最大の怨霊が眠るあの出雲大社・・・そう思うとやはりこの身に引き締まるものを感じます。


空気が張り詰める松林

それから出雲大社に先立って立ち寄った稲佐の浜で震えて叫んで微笑んだのは前述のとおりですが、やはりこの出雲大社に通じる松林の空気は、7年前に感じたオーラと変わっていませんでした。


こんなかわいいのがあったんねw

それでも道中でこういう和みスポットもあるんで、なかなかどうして楽しめます。
てか出雲大社ってアタシのような歴史オタじゃない一般の人からすれば、ありがたい縁結びの神社なのですからね。


さて問題は・・・

いよいよ本殿すぐ前まで来たのですが、実は今回の遠征にあたって、出雲大社の本殿がどういう状態なのかということは全く確認してなかったのですよ。
なのでもしかしたら、今回もまた工事中なのでは!?とドキドキしながら鳥居をくぐってみると・・・


大本殿きたーーーー

やりました☆ようやく拝むことが出来ましたよ大本殿の2本角!
・・・と言ってもこの写真にあるとおり、大本殿の中に入ることは出来ませんし、7年前にちょこんと見えた工事中状態の大本殿と大差は無かったのですけれど(^^; それでもやっぱり、大国主命にきちんと挨拶することが出来てほんとによかったですよ。

ところでアタシは前述したとおり、出雲大社に来るのは2回目なのですが、だったらなぜ前回は稲佐の浜に行かなかったのか!? それはですね、前回の出雲大社遠征のときは、そもそも国譲り神話があったと伝えられている場所が実際にあるなんて発想自体が無かったから調べようともしなかったからなのですよ(^^;
それがある日突然、どういうきっかけだかは忘れましたけど、「そういや国譲りの神話があった場所って実際にあるのかな?」なんてことを思い立ってググってみたら「うっそー!あったんかー!!」ってなったという次第なのですよ(^^;

また、3年前に訪れた黄泉比良坂についてもそんな感じでした。ということはこれからもまだまだ、何の気なしに、「あ、そういえば!」な場所が発掘されるかもしれませんね。


出雲大社
山陰自動車道・出雲インターより30分


その後は出雲大社の、ご縁横丁を食べ歩きしました。


黄泉比良坂 〜お前ら本当に神様かよ〜 ※過去記事の追記です。

3年前に一度訪れた、この世とあの世の境界線・黄泉比良坂。


相変わらずもののしいふんいき

実はこの地にはもう一箇所、伊賦夜坂という黄泉の国への入り口があったのです。


看板にもそう書いてある

でも前回この地を訪れたときには、この伊賦夜坂の方に行くことはありませんでした。
と言うのは、あくまでアタシの目的地は黄泉比良坂であり、伊賦夜坂なんて訳わからない場所に行く必要が無いだろってのが一つ。それともう一つは、そっちの方向があまりに草むら草むらしていてヤバそうなふんいきだったからという2つの理由からでした。
そゆことで3年前はこの伊賦夜坂の方はスルーして黄泉比良坂をあとにしたのですが・・・


この奥まで行くの怖そうだし

・・・でもやっぱり、いったいあの奥には何があったのか? のどに小骨というか奥歯に何かというかな感じでちょっと引っかかるものがあったんですよね。なのでもしいつか出雲方面に行くことがあって、なおかつ時間があれば寄ってみようかなくらいな感じで、気には留めていたんです。
ってことで今回の中国一周作戦にあたり、もちろんこの伊賦夜坂のことも頭にはありました。でも他のメイン目的地を回っていると、この伊賦夜坂に行く時間があるか無いかは微妙です。そゆ訳で今回も伊賦夜坂のことはスルーする計画を立て、またの機会を窺おうと思っていたのですが、でもやはり、いざこの出雲の地まで着てみると、のどと奥歯にちょっとした痛みが走ったのです。
今日も早めに行動を開始していることだし時間ありそうだし、やっぱこの引っかかりは解消して行くか! ということで当初ルートをちょっと迂回して改めて黄泉比良坂を訪れ、気になっていた伊賦夜坂の奥に足を進めることとしたのです。


やっぱぶきみ〜!

さすがは黄泉へのもう一つの入り口です。おどろおどろしさがハンパありません。
どうやらこの怪しい坂の上を上った先が伊賦夜坂らしいのですが・・・


うわー

なんと!伊賦夜坂の果てはガチで危険だから立ち入り禁止区域指定されていたのでした。
・・・だったら最初からそのこと看板に書いとけやー(><)
ってことで、やっぱ伊賦夜坂の方には無理して行く必要も無かったんだなと確認すると同時に、それでもやっぱりスッキリしたなと思いつつ黄泉比良坂をあとにしたのですが・・・

あとで気になってもう一度、伊賦夜坂とは何だったのかを検索してみたところ、伊賦夜坂というのはどうやら黄泉比良坂の別名らしいんですよ。
・・・だったらあっちの怪しい古小道はいったいなんだったのか、結局よく分かりませんw
もしかしたらまた何年か後に、この伊賦夜坂という場所のもつ本当の意味を知り、3たび忘れ物を取りに来ることになるかもしれませんね。



黄泉比良坂
島根県東出雲町


白兎海岸 〜不思議な神話の萌えうさぎ〜 (2012.7.18 ※2019.9.5追記)

かの有名な因幡の白うさぎが、出雲大社の項にて紹介した大国主命に助けられたと言われている海岸です。(因幡とは、鳥取県東部のこと)
アタシはこの因幡の白うさぎの話、結構好きだったりします。だってなんだか意味が分からないというかオチの無い話なのに、なぜか頭に残ってしまうという不思議な話ですからね。お茶目なうさぎのキャラがなんかとってもカワイイですし☆
それにしてもほんと、この神話は後の人々に対して、いったい何を伝えたかったのか? それがサッパリ分からないところが逆にアタシの関心を惹いてしまいます。


まあかわいい☆

という訳でアタシ的にはこの白兎海岸は結構楽しみにしていたスポットだったのですが、見てのとおり、とにかく美しい海岸でした。


海の向こうには何があったのかな?

それにしてもこの因幡の白兎、サメたちを騙くらかして一体何処に行こうとしていたんでしょうね? 白く輝く美しい砂浜の向こう側には、ただ一本の水平線が広がっているだけでした。

2019.9.5 忘れ物を取りに来ました。

この白兎海岸に来るのも7年ぶり2回目のこととなります。


あいかわらずかわいい白うさぎ

前回来たときには、ただただ美しいその白い砂浜の海岸に見とれて帰って行ったのですが、実はそのとき、アタシはこの白兎海岸に重要な忘れ物をしていたのですよ。


あの時の忘れ物を今度こそ

・・・と言うのはですね、この白兎海岸にある白兎神社にはなんと!因幡の白兎が海水で傷ついた体を洗ったと言われる池があるのですよ。
・・・でも何故か、アタシは前回ここに来た際に、その池のことを完全スルーしてしまったのです。


ここだー!

ってことで今回ようやく陽の目を見ることができた御身洗池、なんだか見た瞬間にうれし涙がこぼれ落ちてしまいました。


白兎くん、よかったね☆

それにしてもほんとにほんと、なぜアタシは前回この御身洗池のことを完全スルーしてしまったのか・・・今となってもサッパリ分かりません。ただ間違い無く言えることは、前回ここに来た際に、この御身洗池の存在を知らなかった訳ではなく、案内看板に書いてあるのをしっかり確認したにも関わらずスルーしてしまったことは確実なのですよ。
もし今現在のアタシがこの白兎海岸を訪れていたとしたら?そのようなことは絶対にありえません。間違いなく喜び勇んで感動しながらこの御身洗池に向かいます。でも7年前のアタシはそうではなかった・・・いったいこの7年間でアタシの中の何がどう変わったのか自分でも気になるところです。
でもこの変化は、決して悪い変化ではないことと思いますけどね。色んなことに好奇心を持ち探求したくなるように自分が変わったのだとしたら、まだまだこれからも自分はイイ方向に変わって行けると思いたいものです。


むかしむかしあるところに

さて2度目に訪れた白兎海岸ですが、前に来たときにはこんなものは無かったような気がします。
不思議でかわいい因幡の白兎の昔話がしっかり伝えられて行くのはうれしいことですね。


でもあれは・・・

ちなみにあの大岩は因幡の白兎とは全く関係がありませんw
因幡の白兎が渡った島は隠岐の島ですので。
でもきっと、ろくろくこの昔話の内容を知らずに、あれこそが因幡の白兎の島だと勘違いしている人はいっぱいいることでしょうね(^^;



白兎海岸
国道9号線 鳥取市中心部より30分

この後は鳥取砂丘に行き、宮津市に宿泊、

翌9月6日には傘松公園から天橋立を見下ろし、

天橋立の松橋道を散策して帰還しました。



上で2019夏の旅は終了です。
今回の旅のことを改めて思い出してみると、過去旅の忘れもの回収が多かったですね(^^; また、道中で予想外に行きたい場所が出てきたりリサーチ不足による緊急ミッションが発生したりと、なるほどこれじゃあ忘れ物もするはずだわなと思いしらされました。
また、今回の旅においても、あとで調べてみたら、あ!あそこも行っておけばよかった!と思った箇所がいくつかありましたし、また、少し気になりながらも時間の都合スルーした場所も適当にありました。
だったら最初から旅先のことをもっとよく調べておいて、余すことなく回るようにすればイイんじゃないかと言えば、それはそうでも無かったりします。なぜならもう一回その場所を訪れる理由になるではありませんか☆ 
今回の忘れもの回収にしても、「前に来ておけば今回来なくて良かったのに」と思うよりも、「もう一回この場所に来れて良かったなあ。」と思う気持ちの方が大きかったですからね。
という訳で、これからまた本を読んだりテレビを見たりしているうちに、今回の旅で近くまで行っていながらスルーしてしまった面白ポイントを発見することがあるかもしれません。ですがそういう時は、「なんであの時行っておかなかったんだ!」と思うよりも、「よし☆それじゃあもう一回あの場所に行ってみよう☆」と思う方が楽しいではありませんか(^^)



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