蛭ヶ小島〜石橋山〜しとどの窟 〜頼朝の足跡を追って〜(2014.9.15)

蛭ヶ小島 〜藪につついた鬼夫婦〜

かつて源頼朝が20年にも渡る流刑に処されていた土地がこの蛭ヶ小島です。
もっとも流刑とは言ったものの、その行動はかなり自由だったらしく、近隣の若手武士たちと交流を深めたり、豪族の姫様にちょっかいをかけていたりしたようです。九度山に流された真田父子などとは違い、特に生活に不自由することは無かったみたいですね。


現在の史跡公園

実際にこの蛭ヶ小島地を訪れてみて思ったのは、なんともまあのんびりマターリな田舎空間だなということでした。


仲睦まじきかな

そんな片田舎な蛭ヶ小島には、そんな頼朝政子夫妻を祭った公園があったりします。
この石造の二人はなんとものどかな田舎夫婦的ほのぼの感で、とてもじゃないけどこれが、後に武家政権確立のために一族を殺しまくった夫と、一族を守るために、自分の腹を痛めて生んだ息子を殺した鬼嫁の夫婦に見えることはありませんでした。


いい感じの茶屋があったり

のちに頼朝は平清盛による源氏追討令のために切羽詰って旗揚げし、この蛭ヶ小島を脱出して波乱万丈の天下統一譚の主人公となったのはご存知のとおりです。
でももしも、清盛がそんな余計なことをしなければ、きっと頼朝は年下の嫁さん政子と一緒に、ゴロゴロ自給自足な田舎武士生活に甘んじていたのではないでしょうかね?


お茶でもマターリいかがでしょう?

蛭ヶ小島
静岡県韮山市


※2021.11.27 山木兼隆館跡に行ってきました☆


石橋山 〜急転落下の青い海〜

さて政子との甘い夫婦生活から一転し、頼朝は伊豆の代官・山木兼隆を血祭りに挙げて旗揚げすることになります。
初戦を見事白星で飾った頼朝は、平家の世を嫌う、自分の仲間になってくれそうな武士が多くいるであろう坂東の地に向けて出発します。


まさかココが戦場になろうとは・・・

箱根の山を抜け、相模湾を見下ろしながら東海道を進む頼朝も、この海の青い輝きに見ほれていたのでしょうか?


敵が現れただと!?

実際の歴史では、300の武士を率いる頼朝はこの石橋山にて大庭景親率いる3000の武士と遭遇し、フルボッコのメッタ負けで命からがら逃げ延びるという悲劇に見舞われております。


生き残ったのはわずか6人・・・

そんな悲劇の石橋山ですが、実際こうして眼下の海を眺めていると、きっと頼朝は海の向こうにある新天地を臨み、大いなる希望を胸に抱いて進軍していたんだろうなということが想像できました。


海はあんなに綺麗なのに・・・

でもなればこそ、そんな意気揚々な道中にてその希望を木っ端微塵に打ち砕かれた頼朝の絶望感はひとしおだったことでしょう。
これ以上にない絶対絶命な状況から奇跡の大逆転を演じた頼朝に対し、今まで以上の敬意と愛情を抱いた石橋山でした。

石橋山古戦場跡
神奈川県小田原市 国道135号線 石橋インターそば


しとどの窟 〜絶対絶命からの生還〜

石橋山からなんとか逃げ延びた頼朝一行が身を隠していたと言われているのが、現在の湯河原温泉の奥地にある、しとどの窟と呼ばれる洞窟です。


命からがら逃げ延びて

石橋山から10キロばかし、頭文字Dも真っ青になりそうな山道を走った先にあるこのしとどの窟。車でその入り口に通じる道まで来るのも大変でした。


見つかったら大変だ(><)

しとどの窟までは車を停めてから更に15分ばかし歩くのですが、その道のりも超疲れる厳しい道中であることは言うまでもありません。
カバンに水とデジカメを入れただけの軽装備で、しかもそれなりに整備された山道を歩いていても泣きそうなのに、増してや鎧を背負って道無き道を敗走していた頼朝がどれだけ大変だったのか、まったくもって想像もつきませんよ。


ココまで来れば追ってこれまい・・・

そうして命からがら逃げ延びて来たこの小さな狭い洞穴の中で頼朝は、自分を探すために山狩りに来た平家方の武士が
「どこだどこだ!?」
「探せ探せ!」
などとわめいている声まで聞いているはずなのです。
その恐怖、絶望感は、どれだけ大きいものだったことか・・・想像しただけでチビってしまいそうですよ。


そこに誰かいるのか!?

そんな恐怖の絶望の監獄にてあと一歩の危機一髪な状況を救ってくれたのが、梶原景時という武士でした。
見てのとおりこのしとどの窟は、タダでさえ何も無くてもお化けの一匹二匹はいてもおかしくないようなおどろおどろスポットです。こんな状況から自分を救ってくれたのですから、頼朝が梶原景時のことを完全に信頼しきって寵愛したとしても、それは無理の無いことでしょう。


なんだ気のせいだったか・・・

後に梶原景時に対する他の御家人たちからの妬みの声は頼朝にも入ってきます。

「だったらお前らも一回、あのしとどの窟に5日間ガクブル状態で隠れてみて、あと一歩で殺される直前で助けられてみろ!そうしたら俺の気持ちがわかるから」

そんなふうに言えばきっと御家人たちも納得したんじゃないかななどと、そんなことを思ってしまったしとどの窟でした。

しとどの窟
神奈川県湯河原町 椿ライン奥地

しとどの窟で九死に一生を得た頼朝一行はその後、山を降りてすぐさま船に乗って安房(房総半島南部)へと渡って行きました。
アタシもそれと同じく船に乗りたかったところなのですが、残念ながらそんな船は無いので、アタシの安房行きについては、三浦半島の久里浜からの出港となってしまいました。

そんでもってアタシの頼朝を追うツアーはこの安房上陸をもって終了です。安房に渡った後の頼朝については、これといったピンチも無く、すんなり地固めを行っていたようですので、もうこれ以上頼朝のことを見守ることも無いかなと、アタシはアタシの旅に出ることにいたしました。

安房に上陸してからのアタシの足取りについては、


甲斐伊豆房総周遊紀をお読み頂けたらと思います☆


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