船上山 〜不屈の闘志〜 (2012.7.18)

かつて後醍醐天皇がココに陣を構えて鎌倉幕府軍を迎え撃ったという伯耆国(鳥取県西部)の山です。
っていうか後醍醐天皇、いったいどんだけ山登りしてんだよってマジでツッコみを入れたくなります。皆さんご存知かとは思いますがこの後醍醐天皇、己が親政を実現するために不屈の闘志を燃やして幾多の試練を乗り越えられた方なのですが、改めてその生涯を振り返ってみるとハンパではありません。
まずは倒幕の兵をあげようとして失敗して笠置山に立てこもり、その笠置山が陥落すると、山中をさまよったあげく幕府軍に捕まって、隠岐島へと島流しにされます。
・・・で、この隠岐島を脱出して逃れてきたのが船上山です。
なおさらに、鎌倉幕府が滅びて京都に帰ってきたものの、今度は足利尊氏の謀反によって比叡山、吉野山まで逃げて行ったってんですからね。おそらく歴代の天皇の中でもこれだけたくさんの山に登って陣を張った天皇は後醍醐天皇だけでしょう。


あれがそうかな?

この日本国においては天皇とは神の代理人と言ってもイイ存在であり、自らそれを自負する後醍醐天皇が、よりによっても山の上で80日間も野営してたってんですから凄いものです。やんごとないなんてレベルではない高貴of高貴な存在が野宿同然の生活をした場所とは、いったいどんな場所だったんだろう? それが今回のテーマだったわけなのですが、船上山の険しさ山々しさはアタシの想像を遥かに超えたものでありました。


・・・ってかなり深いぞこの山

史実によれば、隠岐島を脱出した天皇を迎え入れた山っていうんですから、アタシは当初、海から比較的近い場所にある小高いちょっとした山・・・新潟で言えば弥彦山みたいなのを想像していたのですよ。でもいざこの船上山に向かってみると、海岸からは船上山まで12キロという看板が出ているじゃありませんか。そのうえ船上山は独立したひとつの山って訳ではなく、バリバリの連峰系の山々の一部です。


険しいけど気持ちいい山道です

実際に車で登ってみると、この船上山は千早城のあった金剛山系に勝るとも劣らないくらいの険しさです。よくもまあ「天皇」ともあろう高貴な存在がこんなところまで来てくれたものだと妙に感心してしまいました。
それにしてもこの船上山、後醍醐天皇うんぬん関係なしに、新緑すがすがしい気持ちいい山でしたよ。


エラく本格的な登山道

車で登れる登山道を20ほど行ったところで、後醍醐天皇陣所への登山道を発見しました。でもアタシ的にはそんなてっぺんまで行くまでもなく、後醍醐天皇がいかに苦労してこの山に来たのかが十二分に分かりましたし、この船上山から見える見事な景色にも大満足しておりました。


あの上まで行ったんかよ後醍醐さん!

だからそんな疲れる思いして山登りなんてしなくてもイイよなと、最初はそう思ったのですが・・・でもやはり、せっかくココまで来たのに後醍醐の陣所まで行かないなんてのは勿体無いです。どーせ後醍醐の苦労を体感しようってんだから徹底的にやってやろうと、その登山道に足を踏み入れてみることにしました。


山道ってレベルじゃねーぞ!

…おい!険しすぎるぞこの山道! だいたい天皇なんて存在は普段は京都の御簾ん中に引っ込んでいて、たまに外出するにしても牛車で移動しているってモンだろよ? その天皇がこんな山道を移動しただなんて、たとえ輿に乗っていて自分の足で歩かなかったにしても凄すぎるだろ(><)

ちなみにアタシはこの後醍醐という人物のことはあまり好きではありません。おそらく南北朝のことを少しでもかじったことのある人で、後醍醐に対して好感を持つ人は殆どいないのではないかと思います。かなり無茶苦茶な人ですので。
でもでもでも、この後醍醐の不屈の闘志とバイタリティは認めざるを得ないでしょう。結果として建武の新政を失敗させて天皇家の権威を大失墜させた後醍醐ですが、良くも悪くも歴史を動かすことの出来る人間というのは、やはり人より秀でた何かを持っているものです。この船上山を実際に登ってみて、アタシは最後まで決して諦めることなく、どんな苦労も厭わず己が信念に従って一直線に行動し続けた後醍醐のことが少しだけ好きになりました。


景色は綺麗で風も気持ちいいです

アタシが最終的に辿り着いた船上山の中腹にある行宮跡は、花咲き乱れ蝶が舞う楽園のような場所でした。鎌倉幕府を倒そうと不屈の闘志を燃やしていた後醍醐の瞳には、この美しい花と蝶は、どのように映ったんでしょうね?


こんな綺麗な蝶がたくさん舞ってりました


船上山
国道9号線 赤碕から30分


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