かつて後醍醐天皇が打倒鎌倉幕府の兵を挙げ、一番最初に篭った場所がこの山城(京都府南部)と大和(奈良県)の国境付近にある笠置山です。
車でもキツいっての
筆者はかつて山城を自分の足で登ってみて「なんでこんなに疲れ(略)と何度書いたことか数知れませんが、車で登りながらそれを思ったのは初めてです。なんでこんなに交通の便が悪いところに立て篭もるんだよ! 自分の足では山登りすることなどなく、全て牛車や輿に乗って移動していたであろう後醍醐天皇も、きっとこの笠置山を登るときには同じように思ったことでしょうw
完全な山城だな
そうして辿り着いた山頂付近の駐車場に車を泊めて、かつての後醍醐天皇の臨時御所跡へと向かいます。さすがに倒幕軍の本拠地と選ばれた場所だけあってその道の険しいこと険しいことハンパではありません。こんな険しい場所に連れられて来ても泣き言一つ言わずに倒幕の炎を燃やし続けた後醍醐の凄さを改めて思い知らされました。
いい景色なんですけどねえ
なんでもこの笠置山には3千の兵が立て篭もり、対する幕府軍は7万5千だったと言われております。きっとこの笠置の眼下には、幕府の大軍がひしめきあっていたことでしょう。いかにこのような絶好山城地形だったとはいえ、よくも50日間も幕府軍の猛攻を防いだものだと感心してしまいます。
こんなところに皇居跡が…
そんな青息吐息で絶望的な篭城戦を後醍醐はこんな場所で50日間も過ごしていたのです。しかも一度そんな苦労をしていながらも全く懲りることなく、後に船上山や吉野山にも立て篭もった後醍醐のバイタリティと執念にはもはや畏敬の念しか沸いてきません。
こんなところを身一つで…
しかも後醍醐はこの笠置山が陥落した際に、この山中を一人逃亡放浪までしているのです。
アタシはかつて後醍醐天皇という人物のことがあまり好きではないと書いているところですが、もうそれは撤回します。かつて吉野山、船上山を訪れたときに薄々思っていたことなのですが、今こうして笠置の地において気づいてしまいました。アタシは後醍醐天皇の大ファンであると。
書物だけを読む限りでは、アタシは後醍醐天皇の身勝手ワガママっぷりに呆れ果てるだけでした。でもこうしてその足跡をたどってみることによって、その評価がガラリと変わることになったのです。たとえそれが部下を平気でトカゲの尻尾のように切り捨てて、ウソ八百を並べて我が子であっても窮地に落とす最低人間だったとしても、ココまでの行動力を持った人間のことは認めざるを得ませんよ。
やはり歴史とは書物を読むだけでは分からないことがいっぱいです。実地に来て見て初めて分かることがいっぱいあると、改めて感じされた笠置山でした。
他にも見所いっぱい
さてこの笠置山なのですが、後醍醐天皇のこととは関係無しに、自然公園として寺院施設としてもかなり楽しめる作りとなっております。
これはマジ凄い
途中にある大きな岩や彫り付けられた観音様には本当感動させられますし、山頂からの眺めもとても良し。ふもとにはキジ料理屋なんかもあって観光地としてはかなり楽しいところなので、後醍醐ファン以外の一般の方にも是非是非訪れて欲しいところです。
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