北条城・北条高広 〜ちゃっかり者は帰参する〜 (2015.5.23)

今回のお話は越後の国人・北条城の北条高広についてです。北条については「ほうじょう」ではなく「きたじょう」と読み、小田原の北条氏とは全く関係ありません。その名が新潟県中越地方にある北条という地名から取られているだけという話です。


のどかな北条村

新潟県中越地方と言えば、春日山城の軍神・上杉謙信のおひざ元です。この北条地方は暴れん坊の多い揚北地方なんかとは違い、主君の目が十分行き届いているにも関わらず、北条高広は2度にわたって謙信に叛いたことがあるというツワモノなのですよ。


さすがに城は堅固です

最初の反乱において高広は、この北条城にて軍神謙信を迎え討ちます。結果高広は鎮圧されてしまう訳なのですが、このときの迎撃戦の腕前を見込まれてなのか、その後は上杉軍団の重臣として活躍することになりました。


ココから上が本城

高広は内政面でも優れた手腕を発揮したようで、なんと後に北条氏康との最前線にあたる上野・厩橋城の城代に抜擢されます。いかに高広が優れた武将だったとは言え、かつての裏切り者を重要な国境地帯なんかにやっちゃって大丈夫なの? と思うところですが、そこはやはり前科者の高広こと。案の定謙信を裏切って北条氏康方に寝返ってしまったのでありました。
このへんは「ほうじょう」と「きたじょう」と似たような名前のよしみで裏切っちゃったの?とでも思うところですが、主君と同姓で恐れ多いうえに紛らわしいという理由で、むしろ高広は喜多条という目出度い名前に改姓しております。


綺麗な二の丸土塁

こうして喜び多い裏切りになるはずだった北条あらため喜多条高広でしたが、その後、氏康と謙信が仲直りをするにあたり、微妙な立場に追い込まれます。
結果、氏康の仲介により再び上杉家に帰参することになり、今度こそはと心を入れ替えて真面目にお勤めするかと思いきや、そこは我らが高広さん、期待を裏切ることはありません。


爽やか新緑な本丸跡

もっとも最後は上杉家を裏切ったという訳ではなく、御館の乱において結果負け組となる上杉景虎にのっちゃったという話なんですけどね。
高広は生まれ故郷として戻ってきていた北条城を上杉景勝方に囲まれて、あえなく落城させられてしまう訳なのですが、さすがの高広もこれ以上は上杉家に留まることは出来ませんでした。


本丸跡から見た北条の地

北条城落城後の高広は上杉の宿敵・武田勝頼の元に走り、武田軍団においても重用されたようです。ってか勝頼って御館の乱に関しては高広の敵である景勝方だったわけだし、それに勝頼のもとにも裏切り高広の噂は耳に入っているだろうに何故!?と思うのは筆者だけではありますまい(^^;
さてその後の高広のことは残念ながら良く分かってはいないのですが、紆余曲折経て結局上杉家に戻ってきたという説が有力です・・・ってどのツラさげて越後に帰っているんだYO!


やっぱり故郷が一番?

それにしてもこの北条高広という武将、マジでいったいどんな人物だったのでしょうね? これだけの裏切り人生を送っていながら、いつもちゃっかり許されて、何事も無かったように重要されているんでっせ(><) よほどイケメンなのか口がうまいコミュ力抜群野郎なのか、はたまたそれとは逆なタイプで、なんとなくにくめない天然うっかりさんなのか?
北条高広…もしもタイムマシンが発明されたら是非とも会ってみたい人物です。

北条城
新潟県柏崎市 JR北条駅から徒歩10分

そうそう、今回の旅から新しい仲間が加わりました☆
この小さいかわいいリスは、地元・加茂市の加茂山公園リス園で出会ったチップと言います。ココのお友達としてこれから一緒に旅していきますので、かわいがってやってください(^^)


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