二俣城 〜中州城の激闘と謎〜 (2020.1.25)

信濃(長野県)から遠江(静岡県西部)に流れ出る大河、天竜川と二俣川が合流する交通の要衝ポイントに位置するのがこの二俣城です。
交通の要衝ということは戦略上の重要拠点ということであり、かつてこの中州の堅城をめぐって武田信玄・勝頼と徳川家康の激闘が繰り広げられました。


川の中州のお城

中でも信玄の西上作戦(詳しくは三方原の戦い野田城の記事をご覧ください)の一環として行われた攻防戦は両軍の死力を尽くした戦いとなりました。
士気揚々と西へと進軍する武田軍27000!に対し、二俣城を守る徳川軍はわずか1200・・・それでも城兵は持ち前の三河魂を燃やして武田軍を寄せ付けません。


こりゃ攻めるの大変だ

このままではいたずらに時と犠牲だけが増えていくだけであろうと判断した信玄はなんと!大量の筏を天竜川から流して城の給水のための楼閣にぶつけて水の手を断つという大作戦を敢行します。


本丸から見下ろした天竜川

結果、この作戦は大成功を収めることとなりました。いかに気合いと粘りの三河武士たちと言えど水が無ければ干からびてしまいます。


水さえあれば!

こうなっては是非もなし。激闘2ヶ月の末、城将の中根正照は信玄からの降伏勧告を受け入れ二俣城はついに開城してしまったのでありました。


ぐぬぬ無念

この二俣城の陥落により遠江における武田徳川のパワーバランスは一気に武田に傾き、三方が原の戦い、野田城の戦いへと繋がっていくのです。


次に目指すは浜松城!

さて一度は武田の版図に組み込まれてしまった二俣城でしたが、その後、信玄の死、長篠の戦いを経て再び徳川の手に取り戻されることとなります。長篠での大敗北により武田勝頼の武威が遠江までは及ばなくなったことで安穏となった二俣城でしたが、今度は徳川家の屋台骨をゆるがす大事件の一舞台として歴史に名を残すこととなります。


この城でいったい何が?

あやうく徳川家を真っ二つに引き裂くことになったやもしれない大事件・・・それは信康事件と呼ばれる徳川家康の長男・信康が切腹することとなった一件です。そしてこの二俣城は、その徳川信康が幽閉され、切腹をしたという城なのです。


もう武田も攻めてこないだろうに・・・

この信康事件のことを簡単に説明すると・・・家康と仲の悪かった正妻の築山御前が我が子信康を抱き込んで武田勝頼に内通し、徳川家を乗っ取ろうとしているとの通報が織田信長の元にもたらせられ、それを聞いた信長が家康に対して築山御前と信康の処断を求め、家康は泣く泣く築山御前を殺害し、信康にも切腹を命じたというのがこの事件のあらましとして広く知られている話です。
もっともこの話には異論があり、信康が切腹させられたのは信長の命令によるものなどではなく、家康自らが信康を殺したという説の方がむしろ有力なものとなっております。
こちらの説を簡単に説明すると・・・家康はもともと三河の岡崎城を本拠地としておりましたが、その版図が遠江まで広がったことにより、本拠地を浜松城に移し、古巣の岡崎城には嫡男(跡取り息子のこと)信康を据えました。すると、家康の配下には家康直属の浜松衆と、信康を中心とする岡崎衆と二つの派閥が生まれます。一つの組織に二つの派閥が出来れば派閥争いが起きるというのは古今東西変わらない世の常です。結果、岡崎衆と浜松衆の対立に収集がつかなくなり、信康の切腹はその結果もたらされたものであるというのが現在の主流説です。

実際のところ、家康はその他にも我が子に対する冷たい仕置きエピソードがいくつか伝えられているところでありますので、嫡男・信康と不仲になって切腹を命じたとしてもなんら不思議はありません。
ではなぜ信康は織田信長の命令で切腹させられたという話が広く伝わったのかと言えば、それは江戸幕府が家康の神格化を図るためであったというのが通説です。要するに、

神君家康公が自ら我が子を殺すはずがない!あれは信長のせいだったんだ!

という捏造がされているのではないかということですね。


事件の真相やいかに?

・・・ってずいぶん長い話になってしまいましたがアタシは徳川信康に特に思い入れがある訳ではないので、この話はこれでおしまいです(爆)
とにかく二俣城は、そういう出来事がもあったという城でもあるのです。


二俣城に来たからには?

ってことで実際に歩いてみた二俣城なのですが、山々した地形がちょうど開けたところに天竜川と二俣川がくねくねと流れ、なるほど確かに戦略の要衝かつ攻めにくい城だということがとてもよく分かりました。
さてこの二俣城の攻略に際し、アタシにはどうしてもやりたいことがありましたw それは・・・


やっとついたぞ

城に向かって筏を組んで流してやろうということです(笑)


城まで届け!

アタシが筏を流したこの場所から、もしかしたら450年前に同じく武田信玄も、

「当たれ当たれ当たれ!」

と念じながら筏を流したのかもしれませんねw


二俣城
静岡県浜松市二俣町


なお、お昼ごはんは新東名高速道路・浜松SAでひつまぶしを食べました☆


浜松産うなぎのひつまぶし2880円!

すんごくおいしかったです(^^)


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