三方ヶ原古戦場跡〜浜松城 〜負け戦のエピソード〜 (2018.12.15)

最後に笑った天下人・徳川家康が若かりし日に戦国最強武将・武田信玄にボコボコに蹴散らされた一戦が、遠江(静岡県西部)浜松の地で起こった三方ヶ原の戦いです。


この辺のどこかで戦があったらしいです

この三方ヶ原の戦いの経緯を簡単に説明すると・・・我こそが天下人足らんと京都を目指して西上作戦を開始した武田信玄が家康の領国・遠江に侵入し、いよいよ家康の居城・浜松城に迫ります。


籠城して迎え撃とう!

準備万端進軍して来た武田の精鋭3万!に対して徳川軍は織田信長からの援軍と合わせて1万1千・・・これでは勝ち目はないと浜松城での籠城策を取ることにします。
通常、攻め側としてはこのようなシチュエーションでは背後を取られては困るので、途中の城はキッチリ攻め落とすのが戦の常道なのですが、なんと!戦国最強武将・武田信玄は家康など恐れれる足らんと浜松城を軽く素通りして行ってしまったのです!


浜松ナメんじゃねーぞ!

「ふざけるな信玄! 我が領土のそれも本拠地まん前を蹂躙されながら指をくわえて見過ごしたとあっては徳川の名がすたる! ええい出撃じゃ!三河武士の意地を見せてやる!」

とばかりに武田軍を追撃した家康だったのですが、いかんせん相手は戦国最強武将の武田信玄です。そんな家康の動きなどとっくにお見通しと言わんばかりに待ち伏せを喰らわせて、徳川軍はフルボッコのメッタメタに打ちのめされたのでありました。


やっぱ武田軍つえええ(><)

さて完膚なきまでに叩きのめされた家康でしたが、そこは後の天下人。負け戦ながらもなるほどやるなと思わせるエピソードを残しているのはさすがです。


何やらあやしい・・・

徳川軍は鬼より怖い武田軍団筆頭猛将・山県昌景に猛追されて命からがら浜松城まで逃げ込んだのですが、なんと!その城門を開けっ放しにしておいたのです。
山県昌景はその堂々とかがり火が炊かれて開かれた城門を怪しみ、これは何やら計略があるかもしれぬと、そのまま引き上げて行ったのです。
この家康の大胆な空城の計の成功により、徳川軍は敗残兵を無事に回収することができたのでありました。


ふう助かった・・・

さてなんとか退却してきた家康ですが何やら臀部に違和感を感じます。なんと!家康は恐怖のあまりにンコを漏らしていたのですwww
ですがそこでまたすぐさまケツを拭かないのがこの徳川家康という男の凄さです。絵師に命じてこのミジメな自分の姿を描かせて、血気にはやって無謀な戦をしてしまったことを生涯の戒めとして忘れないようにしたのでありました。
家康はそんな煮え湯をさんざん飲まされながらも、この宿敵天敵と言ってもいい武田信玄のことをいたく尊敬しておりました。信玄の死後、武田家が滅びたあとは武田家の遺臣を積極的に配下に加えて武田の軍法を採用し、のちに東海一の弓取りと言われるほどの野戦名人に成長して行ったのです。


さすがは最後に笑った男

一方、三方ヶ原の戦いを制した武田軍ですが、無数の徳川兵の死体が横たわる戦場跡を見て驚いたことがありました。徳川兵の死体は全て、武田軍の方に向かって前のめりに倒れていたのです。家康率いる三河武士たちは圧倒的不利な状況にも関わらず、決して臆することなど無かったことを武田軍に見せつけたのでありました。


浜名湖もきれいでした

また、家康は逃走途中に茶屋に立ち寄って餅を食べて行ったところ、なんとそれは銭を払わない無銭飲食で、茶屋の婆さんに金払え!と追いかけまわされたそうです・・・ってこれはぜんぜん流石なエピソードではありませんねw


三方ヶ原古戦場の碑〜浜松城
静岡県浜松市


このあとは、さわやかのハンバーグを食べました☆


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