木曽義仲館跡〜波乱万丈おのぼりさん〜 (2018.7.7)

平安時代末期に繰り広げられた源平合戦・・・この一連の戦いにおいて奇跡の軍略により平家を滅ぼした源義経が兄・頼朝の怒りを買って悲劇の最後を遂げたことは誰もが知っていることと思いますが、木曽義仲の悲劇というものは案外知らない人も多いのではないかと思います。
まずはこの「木曽」義仲という名前からしてそこには敗者の香りが感じられます。そもそも義仲の血筋は由緒正しい源氏の一族なので、本姓は源義仲というのが正しいのです。でもそれがなぜ木曽義仲なのかと言えば、もう一人の源氏の一族である源頼朝一派に敗れ去ったからなのです。もし、木曽義仲と源頼朝の戦いにおいて義仲が勝利者となって木曽幕府でも開いていれば、義仲の方が源氏の嫡流として源義仲を名乗り、頼朝は伊豆頼朝などと呼ばれていたのかもしれないのですからね。
今日はそんな木曽出身の源氏の敗者、木曽義仲が生まれ育った木曽の里を訪れてみました。


こりゃあ確かに「木曽」だな

木曽義仲の生涯を思いっきり簡単に説明しますと、駒王丸と呼ばれた幼少期に父親・源義賢が、義賢の兄・・・つまり義仲にとっての叔父である源義朝@源頼朝の父との所領争いの末に殺されたことにより、家来と共に信濃国木曽の山中に落ちのびるハメになってしまったのです。


山猿のように駆け巡った木曽の里

駒王丸少年は木曽の山深い林の中ですくすく育ち、やがて元服して義仲と名乗ります。その後は木曽一帯を取り仕切る存在となるまでにのし上がるのですが、義仲27才の春、その人生に大きな転機が訪れることになりました。京において事実上の天下人となった平清盛による源氏掃討作戦が展開されることになり、木曽の里にも平家の魔手が伸びて来たのです。


さあ旗揚げだ!

でもそこは後に朝日将軍と呼ばれることになる勇将・義仲です。平家の軍勢を簡単に蹴散らし、その余勢を駆って木曽路を北上して行きます。やがて越中(富山県)まで進軍した義仲は倶梨伽羅峠にて10万!とも号する平家の大軍を打ち破り、ついに京の都から平家を追い払うに至ったのでありました。


遥かなる京へ

・・・ですが義仲の快進撃はここまでのことでした。義仲は当時の基準で京の人々から見れば山猿以外の何物でもありません。平安貴族からしてみれば、京こそが世界の中心で、その地の地域は全て辺境蛮族の地だったのです。なにしろ源氏物語の世界では、須磨(現在の神戸市)ですらも流刑の地として描かれていたくらいですからね。ましてや坂東木曽の山奥からやって来た荒くれ武者のことをどのように見ていたかなどは推して知るべしでしょう。
という訳で平家に代わって京の支配者となった義仲でしたがその統治はうまく行かず、皇族、公家、京童から総スカンを喰らうことになったのです。やがて義仲は父親の代からのライバルである源頼朝の手によって攻め滅ぼされてしまったのでありました。


義仲の育った地

平安時代にはテレビやインターネットはおろか、雑誌すらもありません。そんな非情報化社会において、現代ですらもド田舎オブド田舎にして当たり近辺見渡しても檜の山しか見えないと言う木曽の森林里(木曽の人ごめんなさい)で生まれ育った義仲が初めてキラキラ華やかな京の都を訪れたのです。異様なハイテションになってしまったことも、海千山千な京都人に陰湿イヤミな陰口を叩かれまくったことも仕方の無いことでしょう。(京都の人ごめんなさい)
ましてや義仲は当時、たかだか27歳の若者だったのです。そんな木曽の山中で育った野生児が平家の軍勢を軽く蹴散らして、現代において高速道路を使ってすらもウザしんどい中央道長野道を北上して日本海まで攻め上がり、10万!の大軍を破って京まで辿り着いたっていうのですから、それだけでも十分に凄いことではないですか。


義仲館の義仲&巴御前の像

正直、筆者は当初、木曽義仲という人物のことは特に好きという訳でもなければ評価していた訳でもありません。それは筆者作の源頼朝物語における木曽義仲の書きっぷりを見て貰えれば分かると思います(^^;
でも木曽義仲一世一代の大舞台・倶梨伽羅峠を訪れてみてから木曽義仲という人物のことを少し見直すようになりました。更にそれから5年の時を経て義仲の生地を訪れて、ますますその想いが強くなりました。
だってこの木曽義仲の人生・・・こうして改めて振り返ってみるにつけ、なんと波乱万丈なことでしょう。幼い頃に父を殺され遥かな山里に逃れて来たと思いきや、今度は平家の大軍に攻め寄せられるも返り討ちにして京都まで攻め上がり、一時は天下人と言ってもいい位置まで登りつめ、それから間もなく坂道を転げ落ちるように没落散華したというのですからその人生のドラマチックさと言ったら日本史上ベスト10に入れてもいいレベルですよ。
しかもその傍らには武芸達者な女幼馴染がつき従っていたというのですから、それ一体なんてラノベとも言いたくもなりますね。

なお、木曽義仲は近江粟津の地に眠っております。

木曽義仲館跡
木曽郡木曽町旧日義村


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