屋島 〜扇の的と与一の弓〜 (2018.9.14)

※大物浦からの続きです。

源平三大合戦のうちの一つ、屋島の戦いの舞台となったのがこの高松市から瀬戸内海に少し突き出た半島・屋島です。
この屋島の戦いは、扇の的、弱弓を流した義経、佐藤継信の殉死と言った平家物語を彩る名場面のオンパレード戦場と言っても過言ではありません。という訳で前々から来てみたいと思っていた屋島の地にようやく訪れるに至りました。


おおっ!これが屋島(><)

義経は嵐の大物浦を出港後、阿波(徳島)に上陸して東から屋島乗りこんで来て奇襲をかけたのですが、アタシはその逆ルートです。神戸から淡路島を通って徳島に上陸したところまではおおよそいっしょだったのですが、一度屋島の向こう側の高松市までぬけて宿泊しました。
義経の時代には大物浦から徳島までは通常3日の行程、それを義経は嵐の中を4時間で走破して奇襲を成功させたと言われておりますが、現在は尼崎から鳴門まで高速道路で1時間30分。いやはや便利な世の中になったものです。
んで翌朝、義経とは逆に西から屋島に乗り込んだのですが、どう道に迷ったのか、屋島古戦場を一望できる丘の上に迷い込んで来てしまったのです(><)


なるほどあっちの方からなのね

屋島という地が谷あいの狭い干潟地形であることが一目両全だったことはもちろん、義経軍が背後に火を放って大軍に見せかけて進軍してきたというエピソードがなるほどこの狭い地形ならそれも可能だなとよく分かりました。
源氏はてっきり海から攻め寄せてくると思っていたのに背後から突如義経の大軍?が! 平家はこのハッタリにまんまとひっかかって総崩れとなり、慌てて船にのって海へと逃げ出したのでありました。


屋島で一番のお目当てはここ

屋島の地形をじっくり見て合戦のイメージが胸のうちに湧き上がったところで、いよいよ屋島で一番のお目当ての場所、那須与一が扇の的を射ったという岩にやってきました。
このエピソードを簡単にを説明すると、義経軍の奇襲を受けて慌てて船に乗って海に逃げ出した平家軍が、陸上の義経軍からギリギリ矢の届くところに小舟を漕ぎ出して扇の的を立てて、さあこれを射おとしてみせよと挑発したところ、那須与一という武者が見事その扇の的を射抜いたという話です。


あの岩の上から遠矢一閃したそうな

アタシはこの那須与一のことが大好きです。
与一が絶対外せないしくじれない超プレッシャーの中で見事に扇の的を射抜いた実力と度胸がすごいのはもちろんですが、そのたった一回の行為で後世までこのように弓の名人として語り継がれているというのが凄いと思うのですよ。ファイナルファンタジーシリーズで代々「与一の弓」が最強レベルの弓であることは伊達や酔狂ではありません。
アタシが日本史カッコいい場面ベスト10を選ぶとしたら、この扇の的のシーンは絶対選びたいところですね。


おや、向こうに何か見えるのは・・・

ふと与一の岩の先の方を見てみると、何やら派手派手な看板があるではありませんか。
あれ?これってもしかして・・・


wwwwww

なんと!近づいてみたら扇の的を描いた壁絵ではないですかwww
いいですねえこういうの☆ 思わずほっこり楽しい気分になりました(^^)
こうして楽しいのはもちろんですが、実際に与一はあんな遠くのあんなに小さな扇を射抜いたんだなってのが実感できたのもとってもよかったですね。また、扇の的の舞台となった浜は潮の満ち引きがある干潟だったんだなということが分かったのも収穫でした。


平家はいずこに落ちのびる

扇の的の地から2キロばかし海の方に向かうとこんな景色が広がっておりました。
なるほど改めて、この屋島は前には海が広がっていて後ろには山があるという守りやすい地形なんだなってことがよく分かります。もっとも、この屋島でも同じような地形の一の谷でも平家は義経にボッコボコにされているんですけどね。
また、義経軍にやられた平家が瀬戸内海に逃げていったということも、こうして向こうの狭い水道を見ているとふつふつとイメージがわいて来ます。


義経が弓を流した場所なんてのもあります

一見すれば、コンクリートで固められ大きな建物や工場が立ち並ぶ屋島の地ですが1000年経った今でもその根本的な部分での地理や地質は変わってはおりません。
実地と地形を見ることにより古の戦場での出来事が頭の中にしっかりと浮かんで来た屋島の古戦場めぐりでした。


※おのころ島に続きます。

屋島古戦場跡
香川県高松市屋島東町


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