大物浦 〜栄光と暗雲の船出〜 (2018.9.13)

※南高梅のカキ氷からの続きです。

この大物浦は源義経という人物を語るについて切っても切り離せない栄光と暗雲の港です。
義経はこの大物浦を出発の地とした船出を2回しております。1回目は一の谷の戦いで追い落とされて四国の屋島に逃れた平家を追っての船出、2回目は兄・頼朝と対立した際に再起を図ろうと九州に逃れようとしての船出という、まるで正反対の目的での船出でした。


大物浦は現在の尼崎です

さてその第一回目の栄光の船出においては、頼朝の重臣である梶原景時らが止めるのも聞かず嵐の海に船を漕ぎ出して行ったところ、その暴風にうまく乗ることに成功し、通常では3日かかる行程をわずか1晩で四国まで走破してしまうという、まさに天を我に味方させたような結果となりました。
一方、第二回目の都落ち船出の際には先だっての栄光の船出のときと同様、またも嵐に遭ったのですが、このときはまるで平家の呪いにでもあったがごとく、義経の船団はこっぱみじんに打ち砕かれ押し戻されてしまったのでありました。


義経一行は船出前にここで待機していたそうです


日本の歴史を紐解いてみますと、まるで混乱の時代を鎮めるために神が地上に遣わせたかのような人物が彗星のごとく現れることがあります。でもそう言った人物たちは、その役目が終わるや否やまるで歴史の神に見放されたがごとく散って行っております。そう、この源義経のように・・・


その場に建つのは大物主神社

歴史の神は平家を滅ぼすために源義経を地上に遣わし、暴風雨までも味方にして義経に協力して役目を全うさせたものの、その役目が終わるや否や、同じく暴風雨を持ってして義経を滅ぼしにかかったのではないか? そんなふうに思えてなりません。


大物主神社
兵庫県尼崎市大物町2丁目7の6


次の日に屋島古戦場に行きました。

その前に晩ごはんは讃岐うどんを食べておりますw


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