関ヶ原 〜想いあふれる古戦場〜 (2019.12.7)

今日は言わずとしれた天下分け目の大決戦の行われた地、関ヶ原に行ってきました。
そもそもエミールともあろう歴史オタがなぜ今までこの超有名合戦地に行っていなかったのか?実のところ、自分でもその理由はよく分かりません(^^; 
もっとも、アタシはこの関ヶ原古戦場跡を小高い山の上から見下ろしたことはあります。そこは今から9年ほど前に訪れた、関ヶ原の戦いを語るにおいては外すことが出来ない超重要ポイント・小早川秀秋が陣取っていたという松尾山の山頂です。
日本史上最大と言っても過言ではない裏切り者of裏切り者が見たのと同じ関ヶ原の全景を見渡したことで、アタシはある種の満足感を感じてしまっていたのでしょうか・・・そのまま松尾山を後にして関ヶ原の地に行くこと無く帰還してしまったのですよ(><)
でもやっぱり、今になってふと、そのときの忘れ物を取りに行きたい!と強く思い立ってしまったのでありました。


9年ぶりの関ヶ原

ってことで改めて再出陣した関ヶ原の地に入ると同時にカーステレオのBGMを信長の野望・天道に切り替えます。
今から419年前、名だたる戦国武将たちがこの国道365号線を通って関ヶ原に向かったのかと思うと、いやがおうにもテンションがあがって来ました。


霧が晴れたら目の前には!?

中央道関ヶ原インターを下りてから15分ほどで関ヶ原の戦い・開戦地に到着っ!
なんでも関ヶ原の戦い当日の朝は霧がかかっていたそうです。先陣争いをしていた東軍の福島正則、井伊直政らの軍勢が関ヶ原に向かって前進していると、霧が晴れたら目の前には西軍の宇喜多秀家の軍勢がっ!こうして天下分け目の大決戦の火ぶたが切って落とされたと伝わっております。


ああここが関ヶ原!

この場所で福島が宇喜多が直政がっ! あの背後の山の上には小早川の丸違い鎌の旗がなびいていたのかっ!
それにしても改めて、やはりいざ実地の古戦場跡に来てみると、思うこと感じること考えることが次から次に頭の中に浮かんできて体の中が熱くなっていくことを感じました(><)


いざ主戦場へ!

関ヶ原の戦いの前半における主戦場は2か所あり、一つ目は今いる宇喜多秀家vs福島・井伊の現在地、もう1箇所は石田三成の本陣・笹尾山です。
第一の激戦地を十分に堪能したところで、石田三成と黒田長政、細川忠興、田中吉政etcが激闘を繰り広げた笹尾山に向かうことにしました。


ちょっと和んだw

この関ヶ原に来る前に地図を見てもともと思っていたことですが、関ヶ原古戦場跡は案外狭いです。第一の激戦地と第二の激戦地を結ぶ直線距離はほんの500m程度でしたので、車は関ヶ原開戦の地の近くにある島津義弘陣所跡の駐車場に停め、笹尾山までは歩いて行くこととしました。
その途中、かつて西軍の伝令が母衣をまとって疾駆したであろう戦場跡に見た「飛び出し注意」の三成くん?にはちょっと微笑ましいものを感じてしまいましたw


いざ決戦!

東軍の武将たちは三成の首級を目指して笹尾山に向かって突撃!かたやアタシは石田三成と島左近の魂を感じるためのウォーキング! 目的は全く違えどもwかつては黒田長政や細川忠興が駆けて行ったであろう道を、アタシはアタシで熱い想いを胸に抱いて笹尾山に向かって歩いて行きました。


ここがあの笹尾山(><)

ああ、ここが関ヶ原の戦い最大の激戦地、石田三成本陣跡なのか島左近が大暴れした場所なのか・・・
思えば小学生の頃から何度何冊繰り返し読んで来た歴史の本でマンガで数え切れないくらい目にしたその地名・・・いったいどんな場所なのか?どんな戦があったのか?考え想像し想いを馳せたその場所に今こうして来ているのです! その感動たるやもう言葉には出来ませんでした(><)



かかれ〜っ!

さてアタシはこの笹尾山に来たらどうしてもやりたいことが一つありました。
なんでもこの、石田三成の前衛・島左近と実際に戦った黒田長政隊の諸将は、関ヶ原の戦いから3年たっても、島左近の鬼のような形相と、「かかれ〜っ!」という雄叫びが脳裏に焼き付いて耳から離れることが無かったと伝えられております。
そんな猛将島左近にあやかって、アタシもこの島左近陣所跡から、思いっきり

「かかれ〜っ!」

と叫んで来ましたw


坂道の途中で

乱戦の中討ち死にした島左近への追悼の念を込めて叫んだところで、関ヶ原を見下ろすことができる笹尾山を登ります。すると途中、ボランティアでゴミ拾いをしていた関ヶ原おもてなし武将隊の人と会ったので、

「さっきは大きな声を出していてすみません。」

と声をかけてみたところ、

「え、何も聞こえませんでしたよ?」

と返されてしまいました(笑)
う〜ん、かなり大きい声で叫んだつもりだったのに・・・それにしても、激戦乱戦鉄砲の轟音が鳴り響く中で黒田隊を震え上がらせるほどに響き渡った本家・かかれ〜っ!の声はいったいどんなに凄いものだったんでしょうね!?

さてちょっと急な坂道をほんの1分ほど登ると石田三成陣所跡に到着です。
さあこの先に待っている、石田三成も見たであろう関ヶ原の風景は・・・


関ヶ原を一望

おお〜っ! これが関ヶ原の全景っ!
さすがは三成!こんなに立地条件抜群の場所に陣取っていたのかっ!
てか南宮山に松尾山に西軍が陣取っていてこの笹尾山もおさえているし、こりゃあ確かにドイツのメッケルってエラい人が陣系図を一目見て西軍の勝ちだって言ったなんて話があるのもよく分かるわ☆
かつて9年前に松尾山から関ヶ原を見下ろして満足してしまったところでありましたが、この笹尾山から見た関ヶ原の方が断然分かりやすいです。
霧空が晴れた下、東軍をとりかこむように居並んだ味方の陣立てを見て三成は、きっとこの天下分け目の戦いの大勝利を確信したことでしょう。・・・がしかし!南宮山の軍勢はお弁当を食べるのに忙しくて動くことは無かったし、松尾山の小早川秀秋は日本史上最大の大裏切り劇を演じてくれた訳なんですけれど・・・なるほど両者バチバチやりあっている×の地点に松尾山から突撃されりゃあそりゃ西軍も総崩れになりますわ・・・


石田三成陣所跡にて

そんなこんなで色んな想いを馳せて見下ろした関ヶ原の風景を飽きることなく眺めていると、さっきすれ違った武将隊の人が息を切らせてかけあがって来るのが見えました。

「あ〜まだいてくれてよかった!」

そう言うやいなやその武将隊の人は、アタシに関ヶ原観光マップとステッカーを差し出してくれたのです!
なんでもこの武将さん、さっきアタシと「かかれ〜っ!」に関する話をちょっとしたあとで、わざわざ関ヶ原まで遊びに来てくれたアタシのためにってことで、近くにある観光物産館までこのおみやげ物を取りに走ってくれたそうなのですよ物凄くうれしかったです(T T)
その後はこの陣立て図を見ながら武将さんと関ヶ原談義に花を咲かせるとても楽しいひと時を過ごすことができたのでした(^^)


最後の作戦は?

笹尾山を下り、最初に車を停めた島津義弘陣所跡に戻って来たところで今回の関ヶ原出撃作戦・最後の締めくくりに取りかかろうと思ったのですが、ちょっと予定を変更することにしました。
この島津義弘とは、関ヶ原の戦い最終盤、西軍諸将が次々と敗走して最後に戦場に取り残されながらも、わずか1500程度の手勢で東軍数万の軍勢がウヨウヨする敵陣を中央突破して本拠地九州に落ち伸びることに成功したという伝説の猛将です。
もっとも最初に車を停めた場所が島津義弘陣所跡だったというのは単なる偶然でした。ですがせっかくそんな場所に車を停めたんだったらこれまた運命と、帰りはこの「島津の退口」を再現してやろうじゃないかと思っていたのです。



武将さんの置きみやげ

・・・が、さっき武将さんともらった地図を見ながら関ヶ原談義をしていたら、どうやら大谷吉継の墓ってのが案外近くにあることが分かり、行く方法も教えて貰っていたのです。
当初は島津の退口のごとく速攻で国道を駆け抜けて帰ろうかと思っていたのですが、そういうことなら話は別です。そもそも島津の退口についてはそのルートについても諸説入り乱れてハッキリしていないところでもあるので、だったら関ヶ原出撃作戦の最後は大谷吉継の墓参りで締めくくろうということにしました。


大谷吉継の陣所跡

この大谷吉継とは石田三成の親友で、三成は間違いなく家康に負けるであろうと予見していながらも三成との友情のため西軍に属し、この関ヶ原の戦いにおいて壮絶な最期を遂げた義将です。


あれに見えるは松尾山

吉継はいち早く松尾山に陣する小早川秀秋を警戒し、松尾山のふもとに陣を敷いてその動きに備えることにします。
やがて予想通り小早川秀秋は西軍を裏切って松尾山を下りて突進して来たのですが、さすが吉継は秀吉を持ってして100万の軍を指揮させてみたいと言わせしめた男です。見事に小早川秀秋の軍勢を追い返したのです・・・が、なんと!小早川秀秋のみならず、吉継の隣で陣取っていた小川、朽木、脇坂、赤座の四将までもが小早川秀秋に呼応して裏切りをブチかまし、奮戦中の吉継の真横から襲いかかって来たのです!


義将よ安らかに・・・

こうなっては是非もなし。負け戦を悟った吉継は潔く自害し、側近がその首を埋めたのがこの場所であると言い伝えられております。
義のために参戦しキッチリ役目を果たしたかと思いきや、やはり運命には勝てなかった悲劇の将に深々と頭を下げて手をあわせ、その地を後にしました。


やっぱり来て良かった

歴史上の事件があったその場所に行き、当事者たちの気持ちになって想いを馳せる・・・それがアタシの史跡探訪の原点です。
この関ヶ原古戦場ほど沢山の戦国武将たちの想いを感じることができる場所はほかには無いよう思えます。
この関ヶ原の地を古戦場史跡として整備し案内板を作り保存して来てくれた人たちに、いくら感謝してもし足りることはありませんね。


関ヶ原古戦場跡
岐阜県関ケ原町 中央自動車道 関ヶ原ICから10分程度


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