山陰山陽東部攻略記 2012年7月16〜18日 その2

7月18日


出雲大社 〜大怨霊の大神殿〜

雲が出ると書いて出雲と読む出雲国(島根県東部)は、太陽神・天照大神の末裔を称する大和朝廷からすれば、実に不吉な名前の国です。太陽を覆う雲が出ずるという国なのですから。そんな不吉な名前を関するこの出雲大社には、おそらくは古代・大和政権の最大のライバルであったであろう出雲族の長・大国主命(オオクニヌシノミコト)が祭られております。だからこそこの地は出雲と名づけられたのかもしれません。
神話によれば、高天原からアマテラスの使いが突如この出雲国にやって来て、
「ココ、とってもイイ場所だからオレらによこせ」
などと勝手なことをのたまわったところ、もちろんオオクニヌシは
「だが断る!」
と一蹴したわけなのですが、そこから色々なことがあって、結局オオクニヌシは高天原の一族に国を譲ることなりました。その際にオオクニヌシは、国をやるんだからその代わりに大きな宮殿を建ててくれと頼んだところ、この出雲大社をもらったと、簡単に説明するとそんな話となります。
・・・が、もちろん、事実はそんなに生易しい話ではなかったのでしょう。
おそらく出雲族はフツーに大和族に武力制圧されて、その出雲族の怨霊をなだめるため、あるいは封じ込めるために建てられたのが出雲大社だというのが事実だと思われます。なにしろこの出雲大社、奈良の大仏よりも天皇の御所よりも大きいと、平安の昔から伝えられておりますし、出雲大社の神主を勤める家柄は、なんと!天皇家と祖を同じくするアマテラスの直系なのです。
というわけでこの出雲大社とは、日本で最大最強の怨霊を封じ込めるために建てられた、日本で一番歴史が古く格式の高い大神殿なのですよ。


なんたる風格


どきどきが止まりません

さすがに日本一の大神殿だけあって、その門構えも参道も、立派なんてモンじゃありません。大和朝廷のオオクニヌシに対する気の使いようがまざまざと伝わって来ます。かくいうアタシ自身、ついに念願かなってようやく訪れることが出来たこの大神殿のこのオーラには、震えが止まりませんでした。


これで「仮」!?

長い長い松の道を抜けた先に、御仮殿なるものを発見しました。
でもこれ、「仮」などと書いてあるわりにはあまりにもデカすぎます。仮でこれなら本体はどんなにデカいんだよ、やっぱり伊達や酔狂で平安の昔から日本で一番大きな建物と称えられて来たわけではないんだなと妙に関心しながらさらに奥へと進んでみると・・・


まさかの工事中!

・・・ガーン!!!!! なんとこの出雲大社、平成25年の大遷宮とやらで工事中だったのですよ(><)もっともアタシもこの大遷宮の情報自体はつかんではいたのですが、まさかココまでスッポリと本体が見えないものだとは思ってもいませんでした。


本殿以外も十分凄いんですけどね

・・・という訳で、せっかく出雲大社に来てみたものの、今回の作戦は今ひとつ消化不良に終わってしまったのです。それでもある程度はこの出雲大社のいろんな意味での巨大さは分かったのですが、やっぱり不満なんてもんじゃあありませんよ。
日本一の大神殿・出雲大社・・・いつか機会を作って絶対また訪れてみたいです。


出雲大社
山陰自動車道・出雲インターより30分


船上山 〜不屈の闘志〜

かつて後醍醐天皇がココに陣を構えて鎌倉幕府軍を迎え撃ったという伯耆国(鳥取県西部)の山です。
っていうか後醍醐天皇、いったいどんだけ山登りしてんだよってマジでツッコみを入れたくなります。皆さんご存知かとは思いますがこの後醍醐天皇、己が親政を実現するために不屈の闘志を燃やして幾多の試練を乗り越えられた方なのですが、改めてその生涯を振り返ってみるとハンパではありません。
まずは倒幕の兵をあげようとして失敗して笠置山に立てこもり、その笠置山が陥落すると、山中をさまよったあげく幕府軍に捕まって、隠岐島へと島流しにされます。
・・・で、その隠岐島を脱出して逃れてきたのがこの船上山です。
なおさらに、鎌倉幕府が滅びて京都に帰ってきたものの、今度は足利尊氏の謀反によって比叡山、吉野山まで逃げて行ったってんですからね。おそらく歴代の天皇の中でもこれだけたくさんの山に登って陣を張った天皇は後醍醐天皇だけでしょう。


あれがそうかな?

この日本国においては天皇とは神の代理人と言ってもイイ存在であり、自らそれを自負する後醍醐天皇が、よりによっても山の上で80日間も野営してたってんですから凄いものです。やんごとないなんてレベルではない高貴of高貴な存在が野宿同然の生活をした場所とは、いったいどんな場所だったんだろう? それが今回のテーマだったわけなのですが、船上山の険しさ山々しさはアタシの想像を遥かに超えたものでありました。


・・・ってかなり深いぞこの山

史実によれば、隠岐島を脱出した天皇を迎え入れた山っていうんですから、アタシは当初、海から比較的近い場所にある小高いちょっとした山・・・新潟で言えば弥彦山みたいなのを想像していたのですよ。でもいざこの船上山に向かってみると、海岸からは船上山まで12キロという看板が出ているじゃありませんか。そのうえ船上山は独立したひとつの山って訳ではなく、バリバリの連峰系の山々の一部です。


険しいけど気持ちいい山道です

実際に車で登ってみると、この船上山は千早城のあった金剛山系に勝るとも劣らないくらいの険しさです。よくもまあ「天皇」ともあろう高貴な存在がこんなところまで来てくれたものだと妙に感心してしまいました。
それにしてもこの船上山、後醍醐天皇うんぬん関係なしに、新緑すがすがしい気持ちいい山でしたよ。


エラく本格的な登山道

車で登れる登山道を20ほど行ったところで、後醍醐天皇陣所への登山道を発見しました。でもアタシ的にはそんなてっぺんまで行くまでもなく、後醍醐天皇がいかに苦労してこの山に来たのかが十二分に分かりましたし、この船上山から見える見事な景色にも大満足しておりました。


あの上まで行ったんかよ後醍醐さん!

だからそんな疲れる思いして山登りなんてしなくてもイイよなと、最初はそう思ったのですが・・・でもやはり、せっかくココまで来たのに後醍醐の陣所まで行かないなんてのはやっぱり勿体無いです。どーせ後醍醐の苦労を体感しようってんだから徹底的にやってやろうと、その登山道に足を踏み入れてみることにしました。


山道ってレベルじゃねーぞ!

…おい!険しすぎるぞこの山道! だいたい天皇なんて存在は普段は京都の御簾ん中に引っ込んでいて、たまに外出するにしても牛車で移動しているってモンだろよ? その天皇がこんな山道を移動しただなんて、たとえ輿に乗っていて自分の足で歩かなかったにしても凄すぎるだろ(><)

ちなみにアタシはこの後醍醐という人物のことはあまり好きではありません。おそらく南北朝のことを少しでもかじったことのある人で、後醍醐に対して好感を持つ人は殆どいないのではないかと思います。かなり無茶苦茶な人ですので。
でもでもでも、この後醍醐の不屈の闘志とバイタリティは認めざるを得ないでしょう。結果として建武の新政を失敗させて天皇家の権威を大失墜させた後醍醐ですが、良くも悪くも歴史を動かすことの出来る人間というのは、やはり人より秀でた何かを持っているものです。この船上山を実際に登ってみて、アタシは最後まで決して諦めることなく、どんな苦労も厭わず己が信念に従って一直線に行動し続けた後醍醐のことが少しだけ好きになりました。


景色は綺麗で風も気持ちいいです

アタシが最終的に辿り着いた船上山の中腹にある行宮跡は、花咲き乱れ蝶が舞う楽園のような場所でした。鎌倉幕府を倒そうと不屈の闘志を燃やしていた後醍醐の瞳には、この美しい花と蝶は、どのように映ったんでしょうね?


こんな綺麗な蝶がたくさん舞ってりました


船上山
国道9号線 赤碕から30分


白兎海岸 〜不思議な神話の萌えうさぎ〜

かの有名な因幡の白うさぎが、出雲大社の項にて紹介した大国主命に助けられたと言われている海岸です。(因幡とは、鳥取県東部のこと)
アタシはこの因幡の白うさぎの話、結構好きだったりします。だってなんだか意味が分からないというかオチの無い話なのに、なぜか頭に残ってしまうという不思議な話ですからね。お茶目なうさぎのキャラがなんかとってもカワイイですし☆
それにしてもほんと、この神話は後の人々に対して、いったい何を伝えたかったのか? それがサッパリ分からないところが逆にアタシの関心を惹いてしまいます。


まあかわいい☆

という訳でアタシ的にはこの白兎海岸は結構楽しみにしていたスポットだったのですが、見てのとおり、とにかく美しい海岸でした。


海の向こうには何があったのかな?

それにしてもこの因幡の白兎、サメたちを騙くらかして一体何処に行こうとしていたんでしょうね? 白く輝く美しい砂浜の向こう側には、ただ一本の水平線が広がっているだけでした。


白兎海岸
国道9号線 鳥取市中心部より30分


鳥取砂丘 〜それを言う資格〜

アタシの周りには鳥取砂丘に行ったことがあるという人が二人ほどおります。で、その二人が二人ともこの鳥取砂丘のことを、「ただ砂があるだけで大したモンじゃあない」と言っておりました。そんな話を聞いたらアタシはむしろ逆に、鳥取砂丘に行きたくなりました。だってだって、一度鳥取砂丘に行っておけばこのアタシも
「え?鳥取砂丘?あんなの大したモンじゃないよ?」
と語る資格が出来るわけですからねw
ってことで今回の鳥取砂丘攻略作戦は、鳥取砂丘とは大した場所じゃあないということを確かめたいという、何とも不純な動機で実行されたのです。


うぬの力はその程度か!

さて実際に辿り着いた鳥取砂丘ですが、駐車場から入り口看板を見る限りでは、なるほど確かにホンモノの観光スポットのみが放っている独特のオーラを放っておりません。っていうかあまりにショボいその入り口看板にむしろアタシは不純なワクワク感が増して来ました。


さあその真実を見せてくれ!

この坂道を登りきれば、そこにはいったいどんなショボい景色が広がっているのやら・・・見せてもらおうか、鳥取砂丘の実力とやらを!と思って上り詰めた坂の先にあったのは・・・


す、すげえ(><)

・・・おい!誰だよ鳥取砂丘なんてたいしたことは無いって言ってたヤツは!! ちょーちょーすげー絶景じゃんかYO!
そりゃあ確かに砂しかないけどさあ・・・逆にその砂だけ具合がありえねえ(><)


自然の芸術品

目の前をグルリと湾曲して構成される砂の丘の美しいこと美しいこと・・・
かつてココに大きな落書きをしたなどというキチガイがいたそうですが、そんなヤツはマジで打ち首獄門にするべきだと思いましたよ。


これ本当に日本なのか?

最初はこの美しい砂の芸術を見ればもう満足だと思っていたアタシですが、やはりこの白く輝く砂のじゅうたんを見ていたら、その上を歩いてみたくなりました。それに、あの丘の先に広がる景色も気になって気になって仕方なくなりましたし、あっち側からこっちの方に向けたアングルの写真も撮りたくて撮りたくてウズウズして来ました。


こんな坂を登れってか(><)

でもさすがに真夏の太陽の下、この砂漠を歩くのはすげー疲れます(^^; それでもあの丘の上に広がる景色を早くこの目で見たいと自然と気合が入って来ました。そうしてようやく辿り着いた丘の向こう側にあったものは・・・


段差20mくらいあるんですよこれ


人がゴミのようだ!

もう一度言う、誰だよ鳥取砂丘なんて大したことないなんて言ってた大バカ者は! めちゃくちゃヤバいじゃんかYO!絶景じゃんかYO! 次に会ったとき覚えていろよコノヤロー!


またこの砂漠を歩いて戻るのか(><)

という訳で結論としては、鳥取砂丘とは大したモンじゃないどころか、日本有数の超絶景ポイントだということが判明いたしました。
当初の目的は全く達成出来ませんでしたけれど、そんなことよりもっともっと大事な、鳥取砂丘マジパネェ絶対見に行け!という資格を得られたことに大満足でした。

ところでこの鳥取砂丘、何処を見渡しても全くもってゴミひとつ落ちておりませんでした。なればこそ、ココまで素晴らしく感動できたのだと思います。観光客のマナーの良さも勿論なのでしょうが、きっと地域関係者の絶えない努力の賜物なんでしょうねこれは。


鳥取砂丘
鳥取市中心部より10キロくらい

砂漠度/★★★★★

鳥取城 〜大いなる勘違い〜

かつて羽柴秀吉によって、干し殺し戦法などという凄惨な方法で落城させられた城です。
アタシ的には当初、この鳥取城は本気で攻略しに来ようと言う気はありませんでした。時間が余ったら見に行ってもイイかなくらいなモンで。だって周辺の米を事前に高値で買い占めておいて、城内の米が少なくなったところで周りを囲んで兵糧攻めにするなんて、そんなショボい?戦法で落とされたのですから。だからたぶん鳥取城なんてチンケで小さい城なんだろうななんて、そんな勝手な想像をしていたのです。ってことでその公約通り?時間に余裕があったんで訪れてみた鳥取城だったのですが、自分のトンでもない思い違いに多いに驚かせられることになったのでした。


何処まで続いてるんだ!?

おい!ショボいなんてとんでもねえ!めちゃくちゃでけー城じゃんかYO!
この石垣はおそらく江戸時代になってから作られたものだろうけど、それでももしこれが全部土塁だったと考えてみても、かなりデカいぞこの鳥取城!


こりゃあ登れそうにねえ(><)

・・・そうですよね。よくよく考えてみたら、秀吉はマトモに戦っても落とせそうにない堅城だと思ったからこそ、干し殺し戦法なんてのを思いついたんですよね。


絶対強いだろ鳥取城!

この鳥取城、秀吉は兵糧攻めの効果をよりよくするために、付近の住民も無理やり城内に追いやって、降伏しようとする者がいて、たとえそれが農民であったとしても、全部城内に追い返したのです。こうして人口密度が高められたところで兵糧はあっと言う間になくなり、城内はたちまち飢餓地獄へ陥ってしまったのです。


今は桜の公園だけど・・・

この巨大城郭の広い広い砦スペースに、かつての干し殺し戦法の際には腹を空かした城兵農民がのたうち回っていたんだななんてことを想像すると、そら恐ろしくなって来ます。また、こんなに大きな城を飢えさせるほどに米を買い漁っただなんて、秀吉はいったいどれだけの金をブチこんだのでしょう?
とにもかくにも、色々な意味でスケールのデカさを感じさせられた鳥取城探訪でした。


イイ城ですよ鳥取城・・・

もしも実地にこの鳥取城を訪ねることが無かったら、アタシの中では鳥取城とはショボい戦法で落とされた情けない城のままで終わっているとこでした。いやはや、先入観とは恐ろしいものですね。


鳥取城
鳥取県庁裏手


おまけ


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