七尾城 〜内と外の絶望〜 (2012.9.22)

能登半島の付け根に位置する七尾城は、室町幕府の三管四職に通じる名門・畠山氏が治めておりました。でも戦国の世になると畠山氏の権勢は衰え、この七尾の地は織田信長と上杉謙信の勢力範囲のちょうど狭間に位置することとなり、城内は上杉派と織田派の真っ二つに分かれることになったのです。そんな混乱状態の七尾城をなんとかまとめあげた家老・長続連は、信長方に通じることを決断します。するとそれを良しとしない上杉謙信が早速大軍を率いてやってきたのでありました。


なんとも強そう

さすがに名門畠山氏の居城だけあって、正に難攻不落と呼ぶに相応しい堅城です。実際のところこの七尾城、一度は上杉謙信の侵攻を撃退したのですからね。


こりゃまた見事な

アタシは数々の山城を見てきておりますが、「山城」においてこんな綺麗な石垣を見たのは初めてです。タダでさえ攻めにくい山城なのに、そのうえこんな頑丈な石垣まで組まれたんじゃあ攻める方はお手上げだと思いますよ。


二の丸跡の石垣

でもこの七尾城、結局のところは落城させられてしまいます。天下無双の謙信襲来ってことで、長続連は近所の農民までも片っ端から動員して城内ギッチギチに守りを固めることにしたのですが、それがかえって裏目に出てしまったのです。あまりに城内の人口密度が高まったがため、疫病が蔓延することとなったのでありました。

外には戦国最強の上杉謙信、内には疫病というダブルパンチな状況です。こうなると黙っていられないのは、もともと長続連のことをよく思っていなかった上杉派の連中でしょう。なんと!上杉は代表の遊佐続光らはだから言わんこっちゃないとばかりに、長続連を血祭りにあげた上で城門を開き、上杉軍を招きいれたのです。こうなったら是非もなし。難攻不落の七尾城はついに落城してしまったのでした。


なにもない、だがそれがいい本丸跡

ちなみにこの七尾城、本丸のすぐ下まで車で来ることが出来たのでアタシのいつもの泣き言が入っていなのですが、もし車道が整備されていなかったとしたら、とてもじゃないけどまともに歩いて来れそうな場所ではありませんでした。標高は300mほどなのですが、とにかくその山道の険しいこと険しいこと。もしも疫病と裏切りが無かったら、いかに謙信でも落とすことは出来なかったんじゃないかと思いますよ。


七尾の町と能登島と

やっぱり山城の本丸跡から見下ろす風景は格別です。っていうか山城っていうのはきっとこうゆう辺りを一望出来る場所に建てるのがセオリーなんでしょうね。
かつては疫病による苦しみの声で満ち溢れ、尚且つ最強の軍神に攻め立てられたというこの絶望の頂きですが、眼下に広がるこの絶景の美しさは、きっと今も昔も変わらないことでしょう。


絶望の石垣

さて七尾城急襲されるの報を受けた織田信長は、早速、七尾城に柴田勝家率いる5万の軍勢を援軍に差し向けました。でも残念ながら七尾城は一足先に落城してしまい、援軍は間に合わなかったのです。
救援先の城が陥落してしまったのでは仕方ないと柴田勝家は軍を引くこととしたのですが、そこを見逃す軍神謙信ではありません。うまいタイミングで奇襲攻撃を仕掛けて柴田軍をメッタメタに打ち破ったのでした。

上杉に逢うては織田も手取川
 はねる謙信逃げるとぶ長(信長)


この手取川の戦いによって信長は謙信に対する恐怖感をますます強めることとなりました。あの安土城は、謙信の南下を食い止めるために作られたとも言われております。


※2020.8.2 手取川に行ってきました。

七尾城 石川県七尾市


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