松代真田宝物館 〜地黄八幡の猛将〜 (2010/11/23)

史跡巡り大好きな歴史オタのアタシですが、歴史博物館や資料館と言ったものは実のところあまり好きでは無かったりします。なので過去にアタシが訪れた史跡には、実は資料館が併設されていたんだけれど、殆ど展示物を見ていなかったり、そもそも資料館の中にすら入っていないなんて場所が結構あったりするんですよ。
歴史オタのクセになんでそういうのが好きじゃないのかの理由は自分でも良く分かりません。大きな城にある資料館なんかに入れば、戦国時代の刀だの鎧、大砲なんかが結構飾ってあるのですが、アタシは何故かそういうの見ても「ふーん」くらいにしか思わないんですよね。ああいうのホンモノには太古のロマンが沢山詰まっているはずなのに…何故アタシはそういうのが好きじゃないのか我ながら不思議に思います。
もっともそんな資料館嫌いのアタシですが、確実な言われのあるブランド物には目がありません。例えば、○○という人物が愛用していた××と言う品とか、○○という戦において使われた××だとか、そういう確実な言われのある逸品だと、死ぬまでに絶対見ておきたい!と思っている品はいくつかありまして、その中の一つが、本文のタイトルにある地黄八幡の旗と言うヤツです。これは北条軍団随一の猛将・北条綱成(つなしげ)なる人物が愛用していた旗でして、これが松代の真田宝物館に現存するということを知り、これは是非とも見てたいと思い、真田宝物館に行って来た訳なのですが…

ってことでとりあえず、この北条綱成の地黄八幡の旗がどのような逸品なのかを簡単に解説します。まず北条綱成なのですが、この人が何処で生まれた何者なのかについては実のところまだ良く分かっていないのですが、北条二代目当主・北条氏綱に気に入られて娘婿となり、三代目当主・北条氏康とは義兄弟同然の間柄で北条氏を支えて来た人物です。関東地方に覇を唱えた北条軍団の先頭にはいつも綱成の姿があり、北条軍団の副将格でありながらも綱成は常に部隊の最前線に立ち、「地黄八幡」の旗を掲げ、「勝った!勝った!」と叫びながら突進して行ったそうです。戦国三大夜戦の一つとして数えられる「河越の戦い」においては、足利・上杉連合軍80000!の大軍を、わずか3000の兵で河越城に篭りながら半年間釘付けにして耐え抜き、北条軍団を勝利に導いております。この綱成率いる地黄八幡の軍団は、常勝軍団として近隣諸国を震え上がらせておりました。

さてその北条綱成、晩年は武田領との最前線にあたる駿河(静岡県)深沢城を守っておりました。綱成は城を完全に包囲されながらも武田信玄の猛攻に良く耐え抜き、さすがの信玄も舌を巻くほどの奮戦ぶりでした。そこで信玄は金山衆を動員して地下道を掘って攻めると言う作戦を取ることにすると、さしもの綱成もシビレてしまいます。そんな綱成を救援すべく、氏康の跡を継いだ北条四代目当主・北条氏政は援軍を出そうとしたのですが間に合わず、綱成は城兵を助けるために武田方に城を明け渡すことにしたのでした。

やがて深沢城に立て篭もっていた北条軍が城を退却し、入れ替わりに入城して来た信玄は、城の中に一本の旗が残っているのを見つけたのでした。それはなんとあの関東一円を恐怖に落としいれた地黄八幡の旗だったのです。武士の魂とも呼べる旗まで捨てた綱成のことを武田の武士達は多いに笑ったのですが、

信玄:
「綱成ほどの猛将が、ただ臆病に逃げて行ったなどという訳がない。きっと地の利を測り、次の戦のことを心がけていたのであろう。それに旗を捨てたのは旗指し物を背負った者の罪である。どうして綱成を嘲り笑うことができるだろうか。」

信玄はこのように言ったそうです。
そしてその旗を、「お前も左衛門大夫(綱成)の武勇にあやかれ」と、当時信玄の小姓を務めていた真田幸隆の末子・源次郎に与えたのでした。

※真田幸隆とは真田昌幸の父、つまり真田幸村のおじいちゃんなので、源次郎は幸村のおじさんに当たる

で、その地黄八幡の旗はその後、真田幸村の兄・真田信之を開祖とする松代藩に伝えられ、現代の松代真田宝物館に残っているのであります。

アタシは北条一族が大好きでして、もちろん北条綱成も激愛しております。そんな綱成の使っていた、しかもそんな感慨深い言われのある地黄八幡の旗の現物が残っているってんですから、これは絶対見たいと思うでしょう。

ってことで前置きが凄く長くなってしまいましたが、今日はいよいよその地黄八幡を拝むことが出来る!そう思いワクワクしながら真田宝物館に足を踏み入れたのでありました。
順路を進んで行くと、色んな肖像画やら書状やら壷なんかが色々並んでおりますが、アタシの目当ては地黄八幡ただ一品なので、それ以外のものは一切スルーです。途中、真田六文銭が染め抜かれた旗印と刀や鎧が置かれたスペースを通ったときは、少し目を奪われてしまいましたが、そのフロアには地黄八幡が無いことが分かるとすぐさま立ち去り、次のフロアに移って行きます。…と、そんなこんなで幾つかのフロアを抜けて行くと…あれ?入り口に戻って来てしまったぞ? いったい何処で地黄八幡を見逃したんだああああ!!!!!
なにせ結構広い5つの展示室をものの5分くらいで一周して来てしまったのだから、見落とした可能性もあるなと思い、入り口の職員さんに、「北条綱成の旗って飾られてないんですか?」と尋ねて調べて貰うことにしました。そしたらなんと!地黄八幡は、確かにこの松代真田宝物館に現存しているんだけれど、常設展示されている訳ではないのだそうな。なんでも宝物館の展示品は年に4回の入れ替えがあり、最後にその地黄八幡が展示されたのは2年前とのことで、次に展示されるのはいつになるのか分からないなんて言われてしまったのです…
うう〜せっかくココまで来たのに…まあ松代はウチから車で30分程度の距離なんで、その点だけはまだ救いがありましたけど、やはり憧れの地黄八幡が見れない落胆は超デカかったですよ。アタシが長野に住んでいる間に、また地黄八幡が展示される機会が訪れて欲しいものです。

2013.10.5追記
なお、その後3年の時を経て、アタシはようやく地黄八幡に出会うことが出来ました(><)


松代真田宝物館 上信越道・長野インターから15分

※海津城の隣にあり、すぐそばに佐久間象山記念館もあります。


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