金閣・銀閣 〜至高の栄華と究極の堕趣味〜 (2020.3.7)

京都でも1,2を争う観光名所の金閣と銀閣。小学生時分のアタシは、

「金閣キラキラ悪趣味でだっせー、銀閣シブくてかっけえええ」

みたいに思っておりました。


シブ銀閣

実際のところ、芸術作品として評価するならば、銀閣の方が上なのではないかと思います。なにしろ当代随一の文化人であった足利義政が、東西一流の文化人建築士を集めて金に糸目をつけずに作ったものなのですから。


確かに見事な庭園だ

一方、金閣の方はどうなのかと言えば、強大な権力を握った絶対権力者としては日本史上ベスト5に入るであろう足利義満が、自らの権勢をひけらかすために金に糸目をつけずに作らせたものです。


成金閣

それならなるほど、小学生時分のアタシが抱いた感想というのもあながち間違いでは無いのかなと思います。

でも室町時代のことを勉強するにつれ、

「銀閣しょっぼ、金閣かっけええええ」

と言う意識改革が起こりました。
なぜアタシにそのような変化があったのかと言えば、それは作った人物のスケールと、その建築コンセプトについて、小学生時分に比べてより深く知ることになったからです。

まずは最初に金閣の方からお話しますと、
先ほど少し書いたとおり、この金閣を作ったのは泣く子も黙る超絶大権力者であった室町幕府第三代将軍の足利義満で、そのコンセプトは自らの権力の誇示です。
金閣とは三階建てで、1階は平安貴族の屋敷によく見られる寝殿造り、2階は武家の屋敷によく見られる書院作り、そして3階は自らが帰依する禅宗様式となっており、屋根の上には徳ある天子のもとに舞い降りると言われる(黄金の)鳳凰が羽根を広げております。


実は深い意味がある

この建築様式がどのような意味を持つかは考えるまでも無いでしょう。武士は貴族よりも上の存在で、自らは最上界に君臨する有徳の天子であるということを示しているのです。


壮大なる夢のあと

なにしろ義満は、室町幕府創設以来、目の上のタンコブであった南朝を壊滅させることに成功し、将軍をもしのぐ力を持ってしまっていた強大な大名たちをも全て従属させてしまったという日本史上屈指の大政治家です。しかもそのうえ、この足利義満は、天皇家を乗っ取って自らが天皇になろうとしたというのですから凄いものです。日本史上、天皇家をしのぐ権力を手に入れた者は数あれど、天皇位という日本の神の地位にまで挑戦した者はこの足利義満くらいしかおりません。
かつて己が実力で絶大なる権力を手に入れて、果ては天をも掴もうとした室町の大巨人・足利義満の夢の跡、それがこの金閣なのです。


どーでもいいけど途中にこんな店がありましたw

一方、銀閣の方はどうなのかと言えば・・・
銀閣を造った八代将軍・義政は、応仁の乱のときの将軍です。この応仁の乱の原因や経過については諸説あるところですが、その責任の大半は義政にあると言って差し支えないでしょう。
戦っている当事者たちですら何がなんだか分からないまま続いた応仁の乱は、開戦後10年を経てようやく収束したものの、京の街は灰燼と化してしまいました。
そこで京の都を未曾有の大混乱に陥れた張本人たる足利義政はどうしたか? 京の都の復興に奔走したか?あるいは責任を感じて出家でもしたか?いえいえそんなことはありません。なんと!ようやく頭痛のタネが無くなったということで、庶民や寺社、貴族などから臨時の税を取り立てて自らの趣味の域を凝らした別荘の建築を開始したのです! その東山別邸こそが銀閣であることは言うまでもありません。


無責任金持ちボンボンの引き籠り邸

義政は応仁の乱の原因を作ったのみならず、子の義尚に将軍職を譲り銀閣に引きこもったあともハンパに政治に介入しては問題を引き起こし、政治家としては三流以下もいいところでした。
だがしかし、文化人としての審美眼は超一流で、義政がパトロンとなって金を出したことによりこの時代の絵画、能、庭園などが東山文化として花開いたと言っても過言ではありません。


このセンスはただものじゃねえ

今となっては当たり前な枯山水という形式の庭園ですが、普通に考えればむしろ邪魔者のお掃除対象となるコケを主役に持って来るという発想がまずすごいです。


絶妙な荒廃感

そんでもって義政は有り余る金とヒマを駆使すればいくらでも派手珍しい木や花やきれいな石を手に入れられるたであろうに、あえてこの枯れ木やゴツゴツ岩を持って来るというセンスもすばらしい(><)


やるじゃん銀閣

↑に書いた通り、正直アタシは実際に訪れてみるまで、この銀閣という建物にはさほどに探索心が沸いてはおりませんでした。あくまで金閣との対象物として見ておこうと思っていたくらいで。
でもいざ現物を見てみると、その芸術性の高さに圧倒感動することとなりました。
一方の金閣の方は、最初に思い抱いていたイメージ通りのものであり、天を掴もうとした男のスケールのデカさに震え涙が出そうになりました。

金閣と銀閣・・・造ったのがそれぞれ日本史上屈指の名政治家と日本史上最大の乱を引き起こしたダメ将軍なら、その外観はコテコテ成金趣味と詫び寂び文化の真骨頂と、なんとも対照的ではありませんか。
引きこもりダメ人間のオタク趣味の結晶と大政治家の壮大なる栄華の夢のあと・・・どちらも甲乙付けがたい面白さがありますが、アタシはやはり金閣の方にあこがれを持ちます。


やっぱこっちだな

※その後、金閣でお茶会を開きw銀閣で湯葉料理を食べました☆

金閣
京都市北区金閣寺町1

銀閣
都市左京区銀閣寺町2


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