掛川城・今川氏真 〜武将にするには惜しい男〜 (2019.4.27)

まだ若かりし日の小大名だった織田信長が、隣国三国を治める大大名・今川義元を討ち取った「桶狭間の戦い」は日本史の教科書に載るレベルの有名事件ですが、ではその後の今川家はどうなったのかは戦国マニア以外には案外知られていないのではないかと思います。
一般的なイメージでは、今川義元亡き後はアッサリ滅亡してしまった感のある今川家ですが、実はそうではありません。義元の跡をついだ嫡男の氏真が徳川家康の軍門に下って全ての領地を失ったのは桶狭間の戦いの9年後のことなのです。
今日はその"大名としての"今川家最後の当主・氏真が最後に立て籠もっていた城、遠江(静岡県西部)の掛川城に出撃して来ました。


いろいろあった掛川城

後世の今川氏真に対する評価は、超大国の今川家を滅亡に追いやったバカ殿中のバカ殿というのが一般的かと思います。アタシ的にも氏真はバカ殿とまでは言わないまでも、戦国武将としては決して有能では無かったんだろうなと思っております。
でもそんな氏真ですが、さすがは京文化を積極的に取り入れた義元の嫡男だけあって、文化人としては非常に優れたものを持っていたという評価で固まっております。


これぞ麻呂武将の城☆

"今川氏真の城として"訪れた掛川城の城門をくぐった第一歩にあったのがこれなんですから、アタシとしては、「これぞ今川氏真の城だ!」って思わず笑ってしまいましたw


なかなかないぞこんな城w

世に桜の花がきれいに咲き誇る城は数あれど、こんな洋風花壇に映える天守閣を見たのは初めてですよ。戦国武将としては微妙なれど文化人としては一流だった氏真が天国からこの景色を見れば、さぞかし満足してくれるんじゃないかなんて思ってしまいました。


それでもやっぱり、城としては強そうだよな

この掛川城は国道1号線と東名高速道路のちょうど中間くらいに位置する交通の要衝にある遠江の重要拠点にあります。さすがに本国駿河の駿府館を追われた元・大大名の今川氏真が最後の頼みとしただけあって、なかなか強そうな城でした。


さあ城の中に入ってみよう

桶狭間の戦いの後の今川家がどうなったのかを簡単に説明すると、家臣たちが次々と離反して行って瓦解して行ったのです。
当時の戦国大名というのは決して絶対権力を持った専制君主だったという訳ではなく、小さな豪族の連合体をとりしきる大親分といった存在でした。という訳で、大親分たる戦国大名はその求心力を失えば、その配下の豪族たちは、隣の大勢力に鞍替えして行ってしまうのです。
この今川領国の例で言えば、有力武将の松平元康・・・後の徳川家康はドサクサにまぎれて三河一国(愛知県東部)を奪って織田信長と同盟を結んでしまったし、駿河の豪族たちは次々と隣国の武田信玄のもとへ走ってしまったのでありました。

なお、更にその小さな豪族の中でも実利重視の武田派と忠義重視の今川派がいるかと思えば、その隙をついて自分が当主になろうと画策するヤツもいたりするというのが戦国時代です。このへんの事情は大河ドラマおんな城主直虎でよく描かれていたところですね。
まあとにかく、こういう色々な利権が複雑に絡むからこそ戦国時代は100年近く続いた訳ですし、今川家もそんな簡単には滅びなかったのですよ。


こいつじゃねーんだよ!

さて模擬天守閣の中に入って一番最初に出くわしたこの騎馬武者像ですが、残念ながら今川氏真ではありません。歴代掛川城主としては今川氏真よりはむしろこの人の方が有名という、大河ドラマの主人公にもなった山内一豊という人物です。
んで、この掛川城・・・実は山内一豊城主時代に関ヶ原の戦いにも重要な役割を果たしてもいたりします。以前に関ヶ原の前哨戦・小山軍議の際に書いたところでありますが、山内一豊が家康に媚びるために真っ先に差し出したのがこの掛川城だったのです。
アタシ的にはどうにもこの山内一豊という人物はコスい感じであまり好きではありません。それに貢物の一つとして差し出されたというのが有名エピソードってのではあまりにショボではありませんか。という訳で今回の掛川城遠征は、今川氏真の城としての来訪なのですよ。


交通の要衝・掛川の町

ってことで今川氏真に話を戻しますと、この遠江の地を我が物としたのは、かつて今川家の配下だった徳川家康でした。掛川城を最後に包囲落城させる際、家康は旧主である5つ年上の氏真を気遣い、あくまで和平交渉として開城させております。
この二人は少年時代、今川全盛期の駿府において、跡取りプリンス・龍王丸と、亡国三河の人質・竹千代として共に過ごした昔馴染みでもあるのでした。思うにきっとこのとき、あでやか華やかな龍王丸兄さんが、1人さみしい竹千代少年に気づかい優しく接していたのではないでしょうか? なればこそ、家康は氏真のことを丁重に扱ったのではないかと思えてなりません。


茶室もあります

氏真は家康が天下人となった後は、徳川配下の高家として悠々自適に暮らし、たまに家康の下に遊びに来ては、長話をして帰って行ったそうです。


結構なお手前☆

また、氏真はなんと!天下統一直前だった織田信長の御前にて得意の蹴鞠を披露したという話も伝わっております。


もう少し早く来れば桜がきれいだっただろうなあ・・・

自分を裏切った元配下とも父を殺した宿敵とも、何のこだわりも無く仲良く楽しく接することの出来る文化人、今川氏真・・・確かに戦国武将としては決して有能とは言えませんが、バカ殿の一言で片づけるにはあまりに惜しい人物ですよ。


なんだこのお店はw

ってことで、アタシ的には温和な文化人・今川氏真のイメージそのまんまな掛川城に大満足に帰還しようとしたところ、何やら大手門前におもしろそうなおみやげ屋さんがあるではありませんか。


なんぞこれwwww

おいw確かに「甲冑 武具 小物」鎧屋って書いてあるけれど、ほんとに鎧が売っているのかああ!!!!!
この写真では値札が読めませんけれど、このどこかで見たような甲冑はだいたい30〜40万円!刀は4〜5万円くらいで本当に販売しておりました☆
なお、ほかにも戦国グッズ的なシャツとか小物が売っていたので、おみやげに伊達政宗のTシャツを一枚購入しました。ほんとは大一大吉大万のTシャツが欲しかったんですが、サイズが合うヤツなかったんですよざんねん(><)


ありがとう店主さん!

さてこんなお店を開いているくらいですので、当然このお店の御主人は戦国マニアですw アタシがこの掛川城には今川氏真が目当てで来たという話をすると、それならすぐ近くに旧掛川城ってのがあるという耳より情報を教えてくれました。
なんでも今ほど見て来た掛川城より以前に建っていた旧掛川城というのもあり、徳川家康が掛川城を包囲する際に陣取った場所がここから歩いて10分ほどの所にあるというではありませんか! いやーそれはイイことを聞きましたありがとう店主さん!


これが旧掛川城か

ってことでやって来た旧掛川城は、ほんの小さな20mほどの丘で、なるほど確かにこれなら隣に新しい掛川城を作りたくなるわなという小じんまり感でした。


掛川城を見上げながら・・・

かつて家康がこの場所に陣取って旧主の立て籠もる掛川城を見ながらいったいどんな思いを抱いたことでしょう? 

今はこうして敵対してしまったけれど、龍王兄さんなら笑って許してくれるかな? 
また幼きあの頃に戻って、一緒に遊んでもらえるかな?

そんなことを考えながら、一人にやけていたと思いたいものです。


掛川城
静岡県掛川市 JR掛川駅から2kmくらい


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※おひるごはん

金目鯛の煮つけ定食を食べました☆ すんごくおいしかったです(^^)


※そのあとは駒ケ根SAで超おいしい夏みかんジュースを飲みました☆


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