駿府城 〜家康流・隠居地の選び方〜 (2016.11.8)

苦難に満ちた人生を歩み、やがて最後は天下人に君臨した徳川家康。竹千代と呼ばれていた幼少期には現在の静岡市にある駿河館にて人質生活を送っておりました。


静岡駅前の竹千代像

竹千代の祖父である松平清康は、一代にして一国人から三河(愛知県東部)一国の戦国大名にのし上がった英傑でした。でもその清康が暗殺されると新興勢力であった松平家の家中はガタガタとなり、後をついだ清康の子・広忠は家中をまとめるために嫡男・竹千代を人質に差し出すことにより今川家の庇護を受けることになったのです。


花の都・駿府館

今川家は一説には副将軍の資格を持っていたと言われる名門です。当時の当主・義元は、京風文化を積極的に取り入れておりました。
また、駿河の国は温暖気候で実りも豊、そのうえ駿河湾の海の幸にも恵まれるという土地柄です。
名門の文化人当主の大大名が治める豊な国の首都・駿府館。当時はきっと大変なにぎわいを見せていたことでしょう。


温暖豊な駿河の中心

やがて駿府館の主である今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られると、堂々たる今川の若武者に成長していた竹千代改め松平元康はそのドサクサにまぎれ、かつての本拠地・三河の岡崎に帰って独立します。
その後、松平元康は名を徳川家康と改め、本拠地も浜松、江戸と遷して行きながらやがて天下人となったことは御存じのとおり。「重き荷を背負いて遠き道を行くが如し」の人生を歩み続けた家康が最後の隠居地として選んだのは、幼少期の人質時代を過ごした駿府の地でした。


広大平和な駿府城

家康が駿府館を大改造大増築して築いた駿府城は、現在の静岡駅から徒歩10分ほどの場所、静岡の繁華街をおひざ元として見下ろす位置に君臨しております。
現在の静岡市はさすが天下人が隠居地に選んだだけのことはあり、今も温暖豊な気候の都市として栄えております。実際筆者も、もし自分が楽隠居するならば、この静岡市を隠居地に選びたいと思うくらいです。


最後に笑った男の心中は?

でもそんな駿府の地ですが、家康にとっては屈辱の人質時代を過ごした地であったと三河物語には描かれております。竹千代とその家臣たちは今川侍にさんざんにイジメ抜かれ、その苦難は耐えがたいものがあったと、家康の側近であった大久保彦左衛門が書き遺しております。
最後に笑った男はなぜ、どこでも好きな場所に城を作れる身でありながら、そんな苦い思い出ばかりであろう駿府の地を終焉の地として選んだのでしょう?
最後の最後まで自分を戒め油断することの無いように、あえて苦難の時代を過ごした地を選んだのか? 
それともそんな自分の感情は押し殺し、単純に都市としての発展性要害度だけを考えた末の合理主義的結論だったのか?
あるいは実は、今川義元は竹千代を超優良待遇していた・・・最後に今川家を裏切った後ろめたさを誤魔化すために、大久保彦左衛門は大ウソを書いていたのでは?
もしもいつかタイムマシンが発明されることがあるのなら、家康にその真意を確かめてみたいものです。


駿府城
静岡県静岡市 JR静岡駅から徒歩10分

★おまけ 静岡ではおいしいものをいっぱい食べて来ました(^^)


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