土方歳三最後の地碑 〜そこに戦場ある限り〜 (2023.9.14)

※2023年夏の旅より

皆さんは新選組副長・土方歳三というと、いったいどのようなイメージを抱くでしょう?
新選組と言えば「士道不覚悟は切腹」を始めとした局中法度の存在と、その局中法度違反により何人もの隊士が粛清されたという鉄の掟の剣客集団・・・また、関係者に対する凄惨な拷問により現場を割り出して4名!の少数精鋭で突入し、20人あまりの反幕志士を捕縛したという「池田屋事件」も新選組最強最恐幻想に一役買っていることでしょう。


鬼の歳三

このような厳しくも恐ろしい、そして最強な新選組をまとめあげ作り上げた人物こそが土方歳三であり、一般的にはそんな新選組のイメージがそのまま土方歳三に投影されているのではないかと思いますがいかがでしょうか?
でも実際のところ、かの有名な局中法度を定めたのは土方歳三だったかどうかは定かではありませんし、池田屋に先制突入した4名の精鋭の中に土方歳三の名前はありません。また、新選組の中で一番強かった隊士は誰か?という話において真っ先に名前が挙がるのは沖田総司、長倉新八、斎藤一の3名であり、土方本人の「剣客」としての強さは何とも言えないところだというのが実情だったりします。
・・・でもでもそれでもやはり、アタシの中でのイメージもまた、土方歳三=新選組であり、新選組最強の男というのも土方歳三だったりするんですよね。というのはアタシの場合はマンガとパチンコの影響だっていう話なのですが、おそらく大半の土方歳三ファンの方々もそんな感じなのではないでしょうか?
ってことでアタシの推す土方歳三はズバリ、川原正敏作・修羅の刻に登場する鬼の副長・土方歳三と、パチンコ・幕末鬼神伝CR鬼の歳三の主人公の土方歳三です。この二人の歳三のことを大まかに説明すると、修羅の刻の土方歳三は沖田総司のよき兄貴分であり、沖田が天才の剣なら土方は鬼の剣、どちらが"強い"のかと言えば土方歳三と言った感じの描かれ方をしておりました。
CR鬼の歳三に至っては、沖田のリーチならほぼハズレ確定、土方のリーチなら激熱であり、完全に土方>>>沖田という位置づけとなっております。
史実的な伝承を見る限りでは剣術の腕前は明らかに沖田の方が上っぽいのですが、でもでもそれでも不思議と、アタシ的にもこういったフィクションの描かれ方に「それ違うだろ」と言う気にはなれません。やはり新選組最強の男は土方歳三であり新選組=土方歳三なのですよ。
なぜ土方にはそのような鬼の歳三なイメージがつきまとうのか? それはズバリこの箱館における最後にあるのではないかと思います。沖田総司が病に倒れ、近藤勇が流山で捕縛されて斬首され、斎藤一が会津若松で降伏し、永倉新八が江戸に戻ってのらりくらりと生き延びたあとも、土方歳三だけは戦場を求め戦い続け、そしてその最後も戦場に散ることが出来たのですから。


戦場に散った鬼

土方にとっての最後の戦場なったこの箱館の地において、土方は新選組のシンボルマークとも言える、だんだら羽織と日本刀はとっくに捨て去っておりました。土方は戊辰戦争初期の段階においてすでに、剣術などはライフル銃の前には物の役にも立たぬとばかり、アッサリと洋装軍備を取り入れていたのです。
侍の魂とも言える刀と羽織袴を捨ててしまった土方ですが、それでもラストサムライであるというイメージは決して覆っていないように思えますがいかがでしょう? というかむしろ、勝つためには手段を選ばぬという戦の鬼っぷりが際立つと思うのはアタシだけでしょうか?
最後の最後まで前線指揮官として戦い続け、そしてこの箱館の戦場に散って行った土方歳三とはまさに、戦場こそ我が人生を体現した最後の戦人だったと言えるでしょう。


ラストサムライここに果てる

土方歳三終焉の地は、箱館港からほんの数百mしか離れていない街中の箱館総合福祉センターの敷地内にあります。こうして改めてその終焉の地を訪れてみると、先に訪れた五稜郭と合わせ、どう考えても勝ち目の無い戦いだったんだなということがよく分かりました。
でも逆にそうであればこそ、土方歳三という人物はやはり鬼だったんだなと思わされました。土方ほどの戦術家ならば、アタシが思うまでもなく、五稜郭に陣取った時点で100%勝ち目の無い戦であることくらい瞬時に悟ったことでしょう。それでも最後の最後まで、そこに戦場ある限り戦い続ける道を選んだ土方は、まぎれもないラストサムライと呼ぶに相応しいでしょう。


土方歳三最期の地碑

北海道函館市若松町33の6 函館市総合福祉センター内


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