五稜郭 〜弱ハリボテの五芒星〜 (2023.9.14)

※2023年夏の旅より

曲がりなりにも歴史家を自称しているエミールですが、その研究範囲はおおよそ大政奉還までで、それ以降の知識についてはほぼ世間一般人レベルでしかないのですよ。という訳で、今回訪れた五稜郭についてはギリギリ大政奉還後のイベントに登場した舞台なので、特別思い入れがある訳でもなければ詳しい解説が出来る訳ではありません(^^; 
それでも無いなりの知識でコメントさせてもらうのならば、箱館戦争における最終拠点であったはずなのに、会津若松・鶴ヶ城のような攻城戦の話が伝わっていないのはいかがなものかというところです。この辺を軽く調べてみたところではどうやら、この五稜郭は「防衛施設」としては全くもってハリボテ同然だったらしいのです。


なるほど確かにこれは・・・

今まで幾多の城を訪れて来たアタシですが、こんなに弱そうな城は見たことがありません。なんだこの低すぎる石垣は! 


こういう写真を見ても分からなかった

教科書とかでよく見るこの五稜郭タワーの上からの写真では分かりませんでした。いったいぜんたいなぜ五稜郭はそんなに弱いのか? でもこうして真横から見れば一目両全ですね。
それにこの五稜郭、写真で見たイメージよりもぜんっぜん狭い小さいんですよ。これじゃあ周り囲まれたら補給路もないし、すぐそこの函館湾からは簡単に大砲の玉が飛んできてしまいます。


箱館の港はすぐそこに

そもそも五稜郭がどういう経緯で作られたものなのかと言えば、日本初の国際港に指定された箱館港に、強くて映えてカッコいい奉行所を作ろうというものでした。箱館港とは、ペリー黒船の圧力に屈して1853年に日本とアメリカの間で結ばされた日米和親条約において開港された2つの港のうちの1つだったのです。


もともと防御力特化施設では無かった

そんなこんなで装い新たに20年計画!での建築が始まった新・箱館奉行所の五稜郭でしたが、北海道の過酷な気候のために工事が今一つはかどらず、図面通りの設計がままならないうえに未完成の状態で蝦夷共和国の本拠地となってしまったのです。五稜郭が城郭としての防衛機能が皆無に等しかったのは、このような事情によるものだったのでした。


あの上から見下ろしました

残念ながら当方は、旧幕府軍の残党によって建国されようとした蝦夷共和国と、その首領である榎本武明に関する知識が今一つなうえ、戊辰戦争後の日本史についてはそこまで深く研究する気もありませんので、これ以上気の利いたコメントをすることができません(^^;
ですがこの五稜郭&五稜郭タワーが観光地としてとてもおもしろ興味深く作られており、単純に函館一望展望台として訪れても十分におもしろかったと思います。


中にはこんなオブジェもありました

それより何より今回は、現地に行ったからこそ得たものがあったってのが嬉しいところです。


五稜郭
函館市五稜郭町43の9


◆◇◆ お便り感想♪
こちらの掲示板にてお待ちしております(^^) ◆◇◆


戻る

inserted by FC2 system