平林城・色部勝長 〜揚北衆最強の男〜 (2017.8.12)

今日は村上市と胎内市の境界を流れる荒川を見下ろす要害山に築かれた山城・平林城を探索して来ました。


これは登りがいのありそうな山城です

さてこの要害山、標高はほんの287mという小さな山なのですが、一つの大きな特徴があります。それはこの「要害」山という名前です。要害山という山は日本全国にいくつもあり、新潟県内だけでも5つもあるのですよ。そんでもって、筆者が知る限りでは、新潟県の3つの要害山にはかつて戦国の山城が存在しておりました。ということは、要害山とはその名のとおり、要害の城がある山につけられた名前なのではないかと思います。


こりゃ確かに要害の山だ

ってことで登り始めたこ要害山・平林城、久々の「なんでこんなに出入りするのに疲れ場所に立てるんだYO!」って山城でした。
てか本当、山城攻めるのってすげー大変だと思います。たまたま登山道に覆いかぶさっていたこの倒木、これをよいしょと乗り越えるだけでも結構ウザかったですからね。
実際、山城の山道にはこんな邪魔仕掛けがいくつもあったでしょうし、そこで立ち止った寄せ手には弓矢鉄砲石つぶてが雨あられのように降り注いだのでしょうから・・・


ようやく城らしい景色になったぞ

そんなこんなで、ハイキングコースとしては丁度イイ、でも鎧甲冑フル装備でバリケードがあったらたまんないだろうなあという山道を20分ほど登ると、ようやく城本体の入口らしいところに辿り着きました。
1枚目の写真を見れば分かると思いますが、山城とは山全てに建築物が施されているという訳ではありません。大抵の山城は、7合目くらいまでは普通に山で、残り3合くらいが防御施設というパターンなのですよ。
もっとも、さきほど語ったとおり、寄せ手からすればたんに「山」ってだけで攻めるのは大変なんですけどね。


空堀跡と言われてもw

もうすぐ本丸ってあたへんに「空堀跡」の案内杭があったのですが、草ぼうぼうでよく分かりません(^^; こういうのを見る度に、城の発掘調査をやって復元図を作ったりする人はすごいなって思いますよ。
ちなみに城の設計のことは「縄張り」と言うのですが、この縄張り調査をしているのは歴史学者だったり、たんなる城マニアの歴史好きな一般人だったりすることもあります。そういう人たちの不断の研究のおかげで筆者のようなライト城ファンが城めぐりを出来るのですから、縄張り調査をする人にはいくら感謝してもし足りることはありませんね。


土塁キターーーーー

空堀あとのすぐ上にはみんな大好き☆土塁がありました。さすがにこのレベルになれば当方のような素人でも縄張りが分かりますね。でもこの土塁にしても、しっかり整備して手入れをしていないと崩れ落ちてしまうことがあります。
城跡は貴重な史跡財産としてしっかり守っていなかくてはいけませんよ。


本丸跡にとうちゃく

土塁の上にはなだらかでちょっと広い台地が広がっておりました。これまた素人目にも本丸跡と分かりますね。かつて戦国時代にはこの場所に矢倉が立ち塀が張り巡らされていたんだなと思うとなんか感動してしまいますよ。


これを見に来た☆

やっぱり山城の本丸跡から領内を見下ろすのは気持ちのいいものですね。
この要害山・平林城、ゆるすぎずキツすぎずな山道を歩くこと30分でこの景色を楽しめて普通にハイキングコースとしてかなり優秀だと思います。
また、この写真ではちょっと分かりにくいですが、平林城本丸は連郭(段々の防御施設)もとても分かりやすく綺麗に残っておりますので、戦国山城の遺構としてもなかなか価値があるのではないかと思います。


連郭になってるのが分かるかな?

・・・って山城の説明ばかりで、この城がどういう城なのかの説明がすっかりおざなりになっておりました(^^;
この平林城は揚北衆・色部(いろべ)氏が本拠地としていた城で、上杉謙信の全盛期頃には色部勝長という猛将が城主として君臨しておりました。勝長は戦国時代最大の激戦と言っても過言ではない第四次川中島の戦いにおいても多大なる武功をあげ、謙信直々に血染めの感状を貰っているという剛の者です。でもそんなツワモノ中の強者の勝長なれど、そのすぐ隣には、勝長のさらに上を行く傾奇者が存在していたのですから揚北の地というのは恐ろしいものです。
平林の地の隣にあるのは村上地方、そこにあるのは本庄城・・・そう、あの本庄繁長がいたのです。揚北衆というのはもともと血の気の多い連中であり、本庄家と色部家の間にも代々色々な因縁がありました。そんな隣国ライバルの本庄繁長が上杉謙信への反乱を起こしたとなれば、色部勝長はもちろんすぐさま鎮圧を命じられることとなり、ここに揚北衆ナンバー1決定戦とも言える戦が勃発したのでありました。
さてこの揚北衆頂上対決、軍配は本庄繁長に上がりました。本庄繁長は村上城を包囲中の色部勝長の軍勢に夜襲をかけて見事討ち取ってしまったと伝えられております。

・・・って平林城と色部勝長のことを解説していたはずなのに、いつの間にやら本庄繁長語りになってしまいました(^^; うーん恐るべし本庄繁長!


※帰り道にコーヒーさとうに寄って来ました

平林城
村上市平林

※2017.9.2に再び平林城を訪れました。


あとで調べたところ、どうやらアタシが8月12日に訪れたのは有事のさいの詰めの城というヤツで、ふだんの生活スペースである城は前回訪れた入口の山を挟んだ反対側のふもとにありました(^^;
ってことで、改めて訪れたふもとの平林城本城の写真を以下貼っておきますね。


これが本当の平林城

前回アタシが登ったのはこの図の左上に赤字で書いてある山城スペースで、色部勝長ほか城士たちはふだんはふもとの城スペースに居住しておりました。


なかなか綺麗な土塁が残っております


空堀もバッチリですね

この平林城跡、かつての縄張りがなかなか分かりやすい上に山のふもとにあるので、城見学にはもってこいです。城めぐり初心者の方がこの城を訪れれば、きっと立派な土塁マニアとなることでしょうw


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