萩いろいろ 〜幕末長州藩ゆかりの地巡り〜 (2019.9.4)

この萩市には松下村塾跡をはじめ、幕末の長州藩関連の史跡が数多く残っております。
・・・ですが、みなさんは不思議に思わないでしょうか? それがなぜ"萩"なのかを。
先ほど紹介した前田砲台があったのは下関ですし、長州征伐こと四境戦争における唯一の海戦があった場所も萩城を望む日本海ではなく関門海峡です。
長州の地政的経済的中心地は何処をどう見ても関門海峡を望む下関なのに、なぜ長州藩の本拠地は山陰地方の外れの萩にあったのか? それは関ヶ原の戦いにおいて毛利家が属した西軍が敗れしまったために、戦略交通の要衝である下関に本拠地を置くことを許されなかったのです。毛利家の本拠地を置く場所として、江戸幕府はあえて辺鄙な萩の地を指定したのでありました。
とういう訳でこの萩の地は、実にイイ感じに小じんまりとした田舎感に包まれております。藩庁である萩城を中心に、幕末志士たちのゆかりの地が目白押しに点在しているのですよ。
そんなこんなでこの萩はいつか訪れてみたいと思っていたのですが、いかんせん幕府が選んだ辺境な地だけあって(萩の人ごめんなさい)エラく交通の便が悪いのです。それが今回ようやく念願叶って訪れることができたことに感極まってしまいました(><)
ってことで以下、アタシが巡った長州藩の史跡を紹介させてもらいますね。

◆萩城

実のところ、当初はこの萩城のことはあまり重視していなかったのですよ。
この萩城は戦国時代の城という訳ではないし、大きな戦が無ければ気になる人物がいる訳でもありません。


所詮江戸時代の引きこもり城?


ですが、いざ城の目の前に来て見たら、ふとあることを思い出して、やっぱりこれは絶対に行かなきゃならねえっ!って気になってしまったのです。


むむむそういえば!?

ってことで天守閣を目指してみたのですが、その前に一つ面白い発見をしました。


あれれこの石垣?


たいていの城はこういう場所は立ち入り禁止になっているものなのですが、この萩城の石垣にはなんと普通に登ることが出来るのです。


けっこう怖いぞ(><)

ってことで石垣を登ってみたところ、すぐ下に堀があってしかも柵とか何にもないからあぶねええっ!
でもまあこんなふうに堀にダイブできるロケーションを楽しめる石垣なんて滅多に無いので、これはこれでなんかお得感があってよかったですw


いよいよ天守閣に来たぞ

さてアタシがこの萩城においてどうしても行きたいと思った場所とは天守閣なのですよ。
アタシは基本、”構造物”としての天守閣にはあまり興味が無いところですし、この平城にして復元天主の無い萩城の天守閣跡では、町を見下ろすことも出来ません。
でもでもそれでも、アタシにはどうしてもこの天守閣跡でやりたいことがあったのです。


何もない、だがそれが・・・よくない!

普段から、城の本丸跡には「何もない、だがそれがいい」を是としているアタシですが、この萩城天守閣跡だけは話は別です。この萩城天守閣を管理している観光協会の連中は何も分かっておりません。


たぶんあっちで合ってるよな?

この萩城天守閣には一つの伝説があります。
それは、毎年正月になると藩主と家老が天守閣のてっぺんに登り、

「殿、今年はいかがでありましょうか?」

「いやまだその時期ではない」

というやり取りを交わす儀式を行っていたと伝えられているのです。
これはどういう意味かと言いますと、

「殿、今年”こそ””江戸に攻め込むには”いかがでありましょうか?」

「いやまだその時期ではない」

というやり取りなのです。
要するに、関が原の恨みを忘れずに、いつか江戸幕府に復讐してやろうという思いを先祖代々受け継いで来たっていうことなんですよね。

ってことで分かってもらえたでしょうか?
アタシはこの天守閣跡で、この長州藩儀式ゴッコをやろうと思っていたのですよ。
この萩城天守閣の跡に、復元天守閣や藩主と家老の銅像を立てろとまでは言いませんが、せめて「江戸の方角はあっちです」な看板くらい立てておけばいいのに・・・しょうがないんで自分でスマホのコンパスを起動させて江戸の方角を調べて、一人声を出して長州藩儀式を再現しておりました。
さきほどの功山寺のときも思いましたけど、なんで山口の観光系の人はこういう貴重な観光資源を大事にしないんでしょうね? この長州藩儀式なんて絶好の観光財産だと思うのはアタシだけでしょうか?

萩城を去る際に、受付のおじさんにそのことを話したらちゃんとそのことをメモって、観光協会の人に話しておくと言ってくれました。
もし今後、萩城天守閣跡に江戸の方角を示す看板が設置されたのならば、もしかしたらそれはアタシの功績なのかもしれません。


◆萩の町並み

それからアタシはレンタサイクルを借りて、萩で目当ての場所2箇所に向かったのですが、途中の景観がすんごくイイんですよこの萩の町。


これふつうの住宅街でっせ

ふつーの住宅街にこんなきれいな石垣があるの初めて見ましたもん。


街中にはこんな立て札もいっぱい

こういうところガンガるのなら、萩城天守閣に立て札の一つくらい立ててくれればいいのになあ・・・


◆高杉晋作生誕の地

今回の萩遠征に当って、2番目に来てみたかったのがこの萩城から自転車で15分ほど飛ばしてたどり着いた高杉晋作の生誕地です。


近いと言えば近いし遠いと言えば遠い

アタシ的にはけっこう遠いなあと思ったのですが、でもそれはふだん車ばかり乗っている現代人のアタシだからそう思うのであって、ふつうに考えれば近い距離ですよね。
萩城周りにはコンパクトに武家屋敷街が固まっていて政庁としてはかなり機能性が高かったように思えます。おかげさまで現代の我々にも観光巡りしやすくなっているのがありがたいですね


この場所で晋作が



雷電降臨


晋作ゆかりの品も


晋作ファンのアタシとしては、ここが晋作の生まれ育った地なんだというだけで、体が震えるくらい感動してしまいました。それ以上書くことはありません(><)


◆晋作生誕地近くのカフェ

この高杉晋作屋敷跡の近くには桂小五郎屋敷跡などもあるのですが、アタシ的には晋作以外の長州藩士にあまり興味はありません。
ってことですぐさま次の目的地に行こうとしたのですが、ふだん乗りなれていない自転車だけにすぐに汗ダラダラになってしまいました(^^;


ふらふらふら・・・

そんな息の上がっているアタシの目の前にこんなものが飛び込んで来たんですから、そりゃあ寄らない方が無理ってものでしょうw


夏みかんふるこーすw

今回この萩に来て初めて知ったんですが、萩って夏みかんの名産地だったんですね。
ってことで頼んだみたのが夏みかんゼリーと夏みかんスカッシュですw
もともとがすんごくおいしいであろうこの2品、疲れ&晋作感動補正がかかってうまさ3倍増くらいだったんじゃないかと思います☆


◆野山獄

萩巡りの目的地その3だったのがこの野山獄です。


獄舎なのか校舎なのか

ここがどういう場所だったのかと言うと、吉田松陰がここに囚人として収監されていた際に、ほかに収監されていた政治犯たちと色々なことを語らい、あげくの果てにかつて松下村塾で行っていたような講義まで始めてしまったという。
吉田松陰が天性の教育者であったことが忍ばれる獄舎跡地です。


◆近くの海w

今から200年前には晋作や松蔭もこの同じ海を眺めていたことでしょう。


もしかして?

何か嫌なことがあったらこの海に向かって叫んだり、夕日を前に友と熱く語り合ったりしていたのかもしれませんw


◆松下村塾跡

アタシはかねて公言しているとおり、一番好きな維新志士は高杉晋作ですが、今回の萩遠征において一番来てみたかったのはこの松下村塾跡です。


現在は松蔭神社となっております

アタシ的には人物としては晋作ファーストなのですが、幕末維新においての歴史的重大事としては、この松下村塾の存在が黒船襲来に匹敵するくらいの重要時だと思っているのですよ。


松蔭先生がいればこそ

だってこの松下村塾があったればこそ、高杉晋作も維新の志に目覚めた訳ですからね。
もっとも、松蔭の教えはあまりにも過激すぎて、なればこそエキセントリック長州藩士を生み出してしまったという負の一面もある訳なのですが、それを差し引いても幕末維新において松下村塾が果たした影響の大きさというものは計り知れないものがあるでしょう。


え、やっぱり!?

さてこの松下村塾、え!こんなに小さいの!?って驚くくらい狭見すぼらしくてビックリすると聞いてはいたものの、やっぱりそのとおりでビックリしてしまいました。松下村塾の部屋数はなんとたったの二間!あわせてせいぜい畳20枚くらいです。


松蔭の想いは今も

でもでもでも、この小さな古木造の小屋の中を眺めていると、何やら目の中に熱いものが溜まってくるのを感じました。


松蔭神社
山口県萩市椿東1537


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