功山寺の決起 〜高杉晋作の肝っ玉〜 (2019.9.4)

「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけましょうぞ!」

これはアタシが選ぶ、日本史上1,2を争うカッコいい場面においての高杉晋作のセリフです。
時は幕末、舞台は長州・功山寺・・・幕府による長州征伐でボコボコにされ、親幕府派である俗論党の手に落ちてしまった長州藩に、再び維新の炎を灯すべく決起した高杉晋作が言い放ったのが上記の決意表明なのです。

この時の長州藩俗論党の兵力はおおよそ4000人・・・もちろん藩の首脳部は完全に幕府寄りの姿勢を示しております。そのうえ主だった急進派の面々は皆捕えられ、自らが天塩にかけて作り上げた奇兵隊すらもその圧倒的兵力差に及び腰です。
「ここで立たねば幕府を倒す機会は失われてしまう!日本の夜明けのために、今立ち上がらなくてどうするというのだ!!」
そうした晋作の決死の呼びかけに答えた同志の数はわずかに80人・・・これでは兵力4000を数える俗論党にはまるで相手になりそうにありません・・・
でもでもそれでも、晋作は決して諦めること無く、80人の同志たちと共にこの功山寺にて挙兵の決意を固めたのです。

「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけましょうぞ!」

功山寺に居座していた急進派の公家のリーダー的存在である三条実美にこう言い放った晋作は萩城へと進撃を開始します。
最初は80人だった晋作の部隊も、途中で俗論党の拠点を次々と攻略して行くと、晋作に同調する”正義党”の志士たちが次々と合流し、やがて奇兵隊も晋作の配下に戻って来ます。
その後は雪崩を打って”正義党”が勢力を増して行き、ついには俗論党を制圧した晋作が長州藩の実権を完全に握ることになったのでありました。

ってことで訪れた高杉晋作決起の地、功山寺。まず最初に目に入ったのがこの高杉晋作像です。


肖像画そっくりw

思わず、「おお〜っ高杉〜!(><)」って声に出してしまいましたよ(笑)
なにしろその顔が肖像画そっくりなのがすごいw
そんでもって銅像らしいシブ緑なコーティングが相まって、とにかくまずはこの高杉晋作像がちょーかっこよかったです。


寺の中はいたってふつう

それから寺の境内に入ってみたのですが、↑の銅像以外には特に功山寺決起に関する史跡やそこに触れている立て札などが何も見つからないのです。


入り口はこんな感じ

そうこう境内をさまよっているうちに山門に辿りつきました。
でもでもでも、相変わらず功山寺決起に関するものが何も見つからないので、本当にここがあの功山寺で合っているのか?って不安になってしまいましたよ。


やっと見つけた!

そうこうもうちょっと寺の中をさまよっていたら、どうやらこの寺のどこかに決起跡地があるらしいという案内を見つけることができました。そうしてようやくたどり着いたのがこの石碑です。
ええもちろん、声に出して叫びましたとも、
「これより長州男児の肝っ玉、お目にかけましょうぞ!」
ってねw これでようやくスッキリ、高杉の気分になって高揚して満足感を得ることができました。

・・・が、やっぱりこうまで功山寺決起のことに何も触れられていないことには腹立たしい気持ちを覚えます。実はこの功山寺の近くには、毛利長府跡やら毛利家屋敷を始めとした武家屋敷跡、その他にも美術館やら何やらがたくさんあり、そちらの方は十分整備されて観光客が結構来ていてにぎわっているのですよ。だから今更功山寺がどーのこーの言う必要が無いってことなのでしょうか?

この功山寺のとなりに小さなおみやげ屋さんがあり、そこの店主のおばさんと↑みたいな会話をかわしたのですが、
「やはり男児なら決起の場所に立ってみたいものですよねえ。」
みたいなことを言ってくれ、アタシと同じように功山寺決起のアピールが足りな過ぎることを嘆いておりました。

功山寺の決起というのは、決して高杉晋作の一事などという小さな枠に収まるような出来事ではなく、これが無ければ長州藩を完全倒幕路線には進まなかったと言ってもイイくらいの偉業なのですから、山口県、下関市の観光関連の方々にはもう少し何とかして欲しいものです。


功山寺
関市長府川端1丁目2の3



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