前田砲台跡 〜届け!関門海峡の豆鉄砲〜 (2019.9.4)

幕末の長州と言えば、ガイジンと見たらとにかく斬れ斬れ斬れ!な過激派攘夷人の温床のような危険地帯でした。
黒船来航以来、外国人にペコペコしまくりでいつまで経っても攘夷を決行しようとしない幕府にシビレを切らした長州藩。それなら腰ぬけ幕府に代わって我らが攘夷を決行してやろうじゃないか!と、瀬戸内海と外海とをつなぐ重要拠点・関門海峡を航行しようとする外国船舶を襲ってやれえ!というなんとも短絡的な思考のもとに無差別砲撃をした地がこの前田砲台です。

さてこうして外国"商船"に奇襲砲撃を加えてみたものの、なんと!長州藩自慢の大砲では外国"商船"すら一隻も沈めることができず、まんまと沖の方に逃げられてしまったのです(^^; それでもエキセントリック長州ボーイたちは、よっしゃ見事夷人どもを追い払った!攘夷を達成したぞバンザーイ!と大はしゃぎしてしまうという・・・しかもそのうえ、

「完全な奇襲攻撃で命中弾を与えたにも関わらず、商船一隻満足に沈めることも出来なかったのに、お前らはいったい何を喜んでいるんだ! これで分かっただろう?今の我らの持つカビの生えたような旧式の大砲では攘夷などできっこない! だから今は外国から最新鋭の大砲を買うなり作り方を学ぶなりしなければ真の攘夷など達成できないのだ!」

という至極真っ当な正論を述べた長州藩の軍事顧問にして西洋砲術研究家の中島名左衛門を、

「何をいうかこの夷人かぶれの腰ぬけめ!」

とばかりにメッタ斬りの惨殺してしまったというのですから何ともはやですね(><)

ちなみにこのとき我らが高杉晋作は何をしていたかというと、このような危険な連中とは距離を置いてひっそり謹慎しておりました。おそらくですが、晋作も中島名左衛門のような先進的思考を持っていたものの、それを言ったら西洋かぶれの腰ぬけ呼ばわりして殺されてしまうのではないかと思い、藩内の過激な連中が一度痛い目にあって目を覚ますのを待っていたのではないかと思われます。
さて偽りの攘夷達成に沸き立つ長州藩ですが、もちろんそのままタダですむはずはありません。その翌月にはアメリカとフランスの軍艦から報復攻撃を受けて大損害を受けてしまいます。
でもでもそれでも、なんと!長州藩の攘夷狂信者たちははまだ懲りずに関門海峡を通る外国商船に豆鉄砲をポンポン鳴らしていたのです。これにはさすがの列強たちも呆れ果て、ついにイギリスフランスアメリカオランダの四カ国連合艦隊が本気も本気の大砲撃をしかけたうえに陸戦隊まで上陸させて、この前田砲台を完全占領してしまったのでありました。
なお、その後この前田砲台と長州藩がどうなったかと言うと、我らが高杉晋作が四カ国連合との談判に及び、その責任の全てを幕府になすりつけてしまうというなんとも破天荒な形で和平交渉を成立させてしまったのです。
また、さすがに今度こそは長州藩士たちの大半が精神論根性論だけでの攘夷実行の不可能を悟ります。ここにきてようやく、長州藩も西洋近代化への道を歩み始めることとなったのでありました。


ペンペン草も生えてない?

ってことでやって来た前田砲台跡ですが、ものの見事に何も無い草むらでしたw


お☆帆船が走ってる☆

それにしてもほんと、こんなに狭い関門海峡を通る船だったら大砲撃てば百発百中だろうに、それでも商船一つ沈められなかったって情けなくないか長州藩!?
そんでもってそのことを誰も何もおかしいヤバいと思わなかったのか長州藩士!?


そりゃあ原っぱにされる訳だ・・・

今こうして前田砲台跡には復元建造物的なものは何も置かれていない訳ですが、なるほど四カ国にボコボコにのされ占領されたことを再現するために、あえてそうしているのでは無いかと思えてしまいますね。


その代わりと言っては何ですが

ちなみにこのようにカッコいい砲台跡が、前田砲台跡地ではなく、壇ノ浦古戦場あたへんに復元されております。一見するとこんなすげー大砲なら外国船の1隻や2隻くらいかんたんに沈められそうですが、実際のところ長州の大砲はほとんどこんな感じだったらしいですね(^^;


だめだこりゃ

それにしても改めて、やっぱり読むのと見るのではえらい違いですね。
まさか関門海峡がこんなに狭いとは思いませんでしたし、砲台跡ってのがこんな理想的な迎撃適応地形だったとも思いませんでした。
それでも外国商船の1隻も沈められなかった長州藩・・・しかもそれにも関わらず、長州藩士は誰もそのことに危機感を持たなかったという・・・改めて幕末と言う時代の分かりにくさを実感できたような気がします。


前田砲台跡
下関市前田1丁目7



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