毎年恒例の夏休み史跡探訪旅行☆今年はこんな感じに巡って来ました。
9月12日:
紀伊半島のクジラ博物館 → 太地町のホテルでクジラ料理フルコース
9月13日
紀伊半島でイルカさんと遊ぶ → 白浜アドベンチャーワールドでパンダと遊ぶ → 大物浦
→ 高松宿泊
9月14日
屋島合戦城跡 → 淡路島・おのころ神社 → 同・絵島 → 山崎古戦場巡り
→ 義仲寺 → 大津市宿泊
9月15日
彦根城・埋木舎 →帰還
結果として、前半が動物と遊ぶ観光、後半が史跡巡りというふうになりましたね。
ってことで以下、旅のもようをお楽しみください☆
なお今年も、史跡探訪以外のもの及び食べ物関連のことにつきましては、ココチップにお任せしておりますw
9月12日
初日は紀伊半島に上陸してサンマ寿司と地場マグロを食べて、
クジラ漁の町・太地町のクジラ博物館を見学し、
花いろどりの宿・花游に宿泊してクジラ料理を堪能しました。
9月13日
朝は太地町をおさんぽし、
その後はいよいよイルカとの楽しいひと時です。
お昼ごはんは紀伊最南端・道の駅 串本橋杭岩で食べて、
白浜アドベンチャーワールドにパンダを見に行って、
南高梅のカキ氷を食べて尼崎に向かいました。
大物浦 〜栄光と暗雲の船出〜
この大物浦は源義経という人物を語るについて切っても切り離せない栄光と暗雲の港です。
義経はこの大物浦を出発の地とした船出を2回しております。1回目は一の谷の戦いで追い落とされて四国の屋島に逃れた平家を追っての船出、2回目は兄・頼朝と対立した際に再起を図ろうと九州に逃れようとしての船出という、まるで正反対の目的での船出でした。
大物浦は現在の尼崎です
さてその第一回目の栄光の船出においては、頼朝の重臣である梶原景時らが止めるのも聞かず嵐の海に船を漕ぎ出して行ったところ、その暴風にうまく乗ることに成功し、通常では3日かかる行程をわずか1晩で四国まで走破してしまうという、まさに天を我に味方させたような結果となりました。
一方、第二回目の都落ち船出の際には先だっての栄光の船出のときと同様、またも嵐に遭ったのですが、このときはまるで平家の呪いにでもあったがごとく、義経の船団はこっぱみじんに打ち砕かれ押し戻されてしまったのでありました。
義経一行は船出前にここで待機していたそうです
日本の歴史を紐解いてみますと、まるで混乱の時代を鎮めるために神が地上に遣わせたかのような人物が彗星のごとく現れることがあります。でもそう言った人物たちは、その役目が終わるや否やまるで歴史の神に見放されたがごとく散って行っております。そう、この源義経のように・・・
その場に建つのは大物主神社
歴史の神は平家を滅ぼすために源義経を地上に遣わし、暴風雨までも味方にして義経に協力して役目を全うさせたものの、その役目が終わるや否や、同じく暴風雨を持ってして義経を滅ぼしにかかったのではないか? そんなふうに思えてなりません。
大物主神社
兵庫県尼崎市大物町2丁目7の6
それから淡路島を素通りして四国へ上陸、
高松駅で讃岐うどんを食べて宿泊し、2日目は終了です。
9月14日(前編)
屋島 〜扇の的と与一の弓〜
源平三大合戦のうちの一つ、屋島の戦いの舞台となったのがこの高松市から瀬戸内海に少し突き出た半島・屋島です。
この屋島の戦いは、扇の的、弱弓を流した義経、佐藤継信の殉死と言った平家物語を彩る名場面のオンパレード戦場と言っても過言ではありません。という訳で前々から来てみたいと思っていた屋島の地にようやく訪れるに至りました。
おおっ!これが屋島(><)
義経は嵐の大物浦を出港後、阿波(徳島)に上陸して東から屋島乗りこんで来て奇襲をかけたのですが、アタシはその逆ルートです。神戸から淡路島を通って徳島に上陸したところまではおおよそいっしょだったのですが、一度屋島の向こう側の高松市までぬけて宿泊しました。
義経の時代には大物浦から徳島までは通常3日の行程、それを義経は嵐の中を4時間で走破して奇襲を成功させたと言われておりますが、現在は尼崎から鳴門まで高速道路で1時間30分。いやはや便利な世の中になったものです。
んで翌朝、義経とは逆に西から屋島に乗り込んだのですが、どう道に迷ったのか、屋島古戦場を一望できる丘の上に迷い込んで来てしまったのです(><)
なるほどあっちの方からなのね
屋島という地が谷あいの狭い干潟地形であることが一目両全だったことはもちろん、義経軍が背後に火を放って大軍に見せかけて進軍してきたというエピソードがなるほどこの狭い地形ならそれも可能だなとよく分かりました。
源氏はてっきり海から攻め寄せてくると思っていたのに背後から突如義経の大軍?が! 平家はこのハッタリにまんまとひっかかって総崩れとなり、慌てて船にのって海へと逃げ出したのでありました。
屋島で一番のお目当てはここ
屋島の地形をじっくり見て合戦のイメージが胸のうちに湧き上がったところで、いよいよ屋島で一番のお目当ての場所、那須与一が扇の的を射ったという岩にやってきました。
このエピソードを簡単に説明すると、義経軍の奇襲を受けて慌てて船に乗って海に逃げ出した平家軍が、陸上の義経軍からギリギリ矢の届くところに小舟を漕ぎ出して扇の的を立てて、さあこれを射おとしてみせよと挑発したところ、那須与一という武者が見事その扇の的を射抜いたという話です。
あの岩の上から遠矢一閃したそうな
アタシはこの那須与一のことが大好きです。
与一が絶対外せないしくじれない超プレッシャーの中で見事に扇の的を射抜いた実力と度胸がすごいのはもちろんですが、そのたった一回の行為で後世までこのように弓の名人として語り継がれているというのが凄いと思うのですよ。ファイナルファンタジーシリーズで代々「与一の弓」が最強レベルの弓であることは伊達や酔狂ではありません。
アタシが日本史カッコいい場面ベスト10を選ぶとしたら、この扇の的のシーンは絶対選びたいところですね。
おや、向こうに何か見えるのは・・・
ふと与一の岩の先の方を見てみると、何やら派手派手な看板があるではありませんか。
あれ?これってもしかして・・・
wwwwww
なんと!近づいてみたら扇の的を描いた壁絵ではないですかwww
いいですねえこういうの☆ 思わずほっこり楽しい気分になりました(^^)
こうして楽しいのはもちろんですが、実際に与一はあんな遠くのあんなに小さな扇を射抜いたんだなってのが実感できたのもとってもよかったですね。また、扇の的の舞台となった浜は潮の満ち引きがある遠浅な干潟だったんだなということが分かったのも収穫でした。
平家はいずこに落ちのびる
扇の的の地から2キロばかし海の方に向かうとこんな景色が広がっておりました。
なるほど改めて、この屋島は前には海が広がっていて後ろには山があるという守りやすい地形なんだなってことがよく分かります。もっとも、この屋島でも同じような地形の一の谷でも平家は義経にボッコボコにされているんですけどね。
また、義経軍にやられた平家が瀬戸内海に逃げていったということも、こうして向こうの狭い水道を見ているとふつふつとイメージがわいて来ます。
義経が弓を流した場所なんてのもあります
一見すれば、コンクリートで固められ大きな建物や工場が立ち並ぶ屋島の地ですが1000年経った今でもその根本的な部分での地理や地質は変わってはおりません。
実地と地形を見ることにより古の戦場での出来事が頭の中にしっかりと浮かんで来た屋島の古戦場めぐりでした。
屋島古戦場跡
香川県高松市屋島東町
淡路島 〜国生み伝説の神話島〜
この日本という国はいかにして生まれたのか? 思いっきり簡単に説明すると・・・
まだ何もないドロドロ状態の現世に神の地である高天原からやってきた男神・イザナギと女神・イザナミの夫婦がまぐわってw現在の日本を構成する本州などの8つの島を生みだしたと古事記・日本書紀に書かれております。
更にもう少し詳しく解説すると、まずイザナギイザナミ夫婦は高天原の「天浮橋(あめのうきはし)」ってところからドロドロ地上に「天沼矛(あめのぬぼこ)」をブっ刺して引き抜くと、そこからしたたったドロが「オノコロ島」となり、イザナギイザナミはそのオノコロ島に降り立って「国生み」を行ったと語り継がれております。
ってことでやってきた淡路島なのですが、この国生みに関する伝承がたくさん残されているのです。国生みの際にイザナミが一番最初に産み落とした島と言われているかと思えば、この淡路島こそがオノコロ島そのものだとも言われております。
ってことで以下、この淡路島を巡って訪れた国生みの伝承地を紹介させて頂きます。
天浮橋。
イザナギとイザナミが天沼矛をグリグリした場所です。
おのころ島神社。
天の浮橋から400mほど離れた所にあります。
絵島。
この小さな島こそがオノコロ島で、イザナミはここで淡路島を産み落としたと言われております。
それにしても改めて、アタシはオノコロ島と天橋立の伝承地を訪れて感動すると同時に悲しくもなりました。以前にヨモツヒラサカの記事にも同じことを書いておりますが、なぜこんな日本神話でもっとも重要と言っても過言ではない「国生み」に関する伝承地がこんなに寂れているのでしょう・・・これらの場所はキリスト教で言えばゴルゴダの丘やノアの箱舟の浮かんだ丘などに匹敵するくらいの聖地ですよ。
日本という国の根幹をなすアイデンティティと言ってもいい日本神話のことを、日本人はもっと大切にしてもいいのではないでしょうかね。
淡路島SAの展望台にて
でも淡路島を去る際に立ち寄った明石大橋を見下ろす展望台にあった石碑にちょっと救われた気持ちになりました。
オノコロ島の入り口を見下ろす場所でイザナギとイザナミが天逆鉾をぐりぐりしているこの石碑、いつかこの絵を見た全ての人がニッコリしてくれる日が訪れてほしいものです。
おのころ島神社
兵庫県南あわじ市榎列下幡多415番地
絵島
兵庫県淡路市岩屋884の4
その後は道の駅あわじでお昼ごはんにしました。
9月14日後編に続きます。
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