山崎の戦い古戦場跡〜明智薮 〜謀反人と討ち取り人のその後〜 (2018.9.14)

※道の駅あわじからの続きです。(ココチップ)

天王山・・・超重要なココ一番の勝負のことをそのように言いますが、その語源となった場所こそがこの明智光秀と羽柴秀吉が戦った天王山なのです。


天王山を制する者は戦いを制す

なぜ明智光秀が本能寺の変を起こしたのか?諸説いろいろあるところですが、アタシは発作的犯行説を支持しております。

光秀:
「宿敵武田家を滅ぼしたところで今度は信長様は骨休めをしつつ毛利攻めの準備をしようと京都でのんびりしているみたいだけど、もしかしたら今って千載一隅の時なのでは? なにしろ信長様と来ればいつも大軍のド真ん中にいる上に逃げる時にはスタコラサッサな用心深いお方。それが今は嚢のネズミな京の真ん中で100にも満たない手勢しか持っていない上に柴田、滝川、丹羽、サルなどと言った連中もみな出払っておる。今の今まで信長様に逆らおうなんて気はぜんぜん無かったところだけど、こういうシチュエーションに出会ってしまったらやってみるしかないだろ!」

くらいのノリで何となくえいやーそれーってヤっちゃったのではないかというのが突発的犯行説です。というのは、信長を討ち取ったあとの光秀の行動があまりにもお粗末すぎるからなのですよ。
光秀は信長を倒して京を制圧すると、かなり限定的ではあるものの天下人的ポジションにつくことになりました。それから慌てて自分を支持して味方になってくれそうな大名に手紙を出すもことごとく断られてしまいました。
なおそのお誘い手紙についてなのですが、もし将軍や朝廷が黒幕だったとしたら、「天子(将軍)様からの勅命により信長を成敗したのだからお前も味方しろ!」とハッキリ書いてあるであろうに、そういうことが一切触れられていないのですよ。もしも光秀が計画的に反抗を起こしたのだとしたら、そのへんの根回しをしていないということがちょっと考えられないところなのですが・・・
さて光秀がそうこうアタフタしているうちに羽柴秀吉が神速で引き返してきて織田残存軍をまとめあげ、この天王山にて明智光秀軍と対峙します。


あの山が天王山です


本能寺の変勃発後も終始腰が落ち着かない明智軍に対し、カリスマ的リーダーのもと、さあ謀反人討ち取るべし!と士気旺盛な秀吉軍では最初から勝負にはなりませんでした。あっさり負けた光秀はわずかな手勢を引き連れて敗走したのでありました。


明智光秀ここに敗れる

明智光秀は本拠地である近江坂本城まで逃げようとするも、その中間地点・・・山崎の地から3里ほど離れたところにある小栗栖村にて落ち武者狩りに遭い、あえない最後を遂げたのでありました。その明智光秀が討ち取られた場所と伝えられているのが今回訪れた明智藪です。


なんともわびしい・・・

そりゃあ確かに華々しいことがあった史跡という訳ではないにしても、この寂しさはなんなんでしょう?


この竹で突かれたのか?

なんでも明智光秀は農民に竹槍で突かれて殺されたとのことですが、まさかその最期の地まで竹薮だとは思いませんでした。


その近くには明智光秀の胴塚もあります

いかに謀反人とは言え、やはり落ち武者狩りというのは狩る方にも何か負い目のようなものがあるのでしょうか? 
この明智藪は明智光秀を討った小栗栖村の農民たちの後ろめたさと無念の最期を遂げた明智光秀の怨念が今なお漂い続けているようなおどろおどろしさを感じる場所でした。


※義仲寺へ続きます。

山崎古戦場跡
京都府大山崎町

明智薮
京都府京都市伏見区小栗栖小阪町


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