栃尾城 〜軍神誕生の地〜 (2017.5.4)

毘沙門天の加護のもと、最強精鋭の越後軍団を率いて正義の戦いに明け暮れた戦国の軍神・上杉謙信。その居城として一般的に知られているのは上越高田の春日山城ですが、謙信が最初に城主となり戦国武将デビューを果たした城は中越地方にある栃尾城なのです。


軍神誕生の地

謙信は戦国大名・長尾為景の三男として生まれたので、(次男、四男説もある)もともとは家督を継ぐ予定はありませんでした。謙信が元服したときには長尾家の家督はすでに兄の晴景が継いでおり、謙信は一門の重鎮として越後の重要拠点である栃尾城を任されることになったのです。


なんでこんなに(略な山城です

謙信が元服して長尾景虎と名乗り栃尾城主になったのは14歳の頃とされています。越後という地は景虎の父・長尾為景というバトルマシーンが強引な下剋上をカマして統一した国だったため、そのカリスマが死んだあとの越後の国は当然大混乱となりました。
たかだか14歳のガキ城主などなにするものぞ! そのように思った近隣の国人衆がさっそく反乱を起こし、栃尾城に攻め寄せて来たのです。


こいつはTHE・土塁だなw

これが長尾景虎のデビュー戦・・・いや越後の軍神誕生の戦となった栃尾城の戦いです。景虎はこの初陣となる戦で早くも変幻自在に軍勢を操り、攻め寄せて来た国人衆を軽く蹴散らしてしまいます。それどころかその後は自ら打って出てケタ違いの戦闘力を見せ、中越地方の国人たちを一手に切り従えてしまったのでした。景虎は齢14にして早くも軍神の片鱗を輝かせていたのです。


栃尾城のある鶴城山の標高は227m

一方、景虎の兄である越後国主・長尾晴景は少々頼りない病弱武将でした。なればこそ為景死後の越後は大混乱を来たし、栃尾城近辺の国人たちは反乱を起こしたのです。
そんな状況下で彗星のごとく戦の天才弟が現れたとなれば、当然、晴景を廃して弟の景虎を越後国主に担ぐごうという動きが出てきます。結局その後紆余曲折あって、晴景は長尾家の家督を弟の景虎に譲り渡すこととなりました。


なかなかきれいに整備された本丸跡

晴景から景虎への家督相続については、すんなり行ったという説と骨肉の争いの末にそうなったという説の二つがあります。
でも上杉謙信と言えば決して私利私欲のためには戦わない戦国一の義将です。そんな義に厚い毘沙門天の化身が病弱な兄が頼りないからと言って力ずくで家督を奪ったりするものでしょうか? 長尾景虎はきっとその軍神としての才能を周囲のものに崇められ、越後国主に祭り上げられたのではないかと思います。
正式に長尾家の家督を継いだ景虎は栃尾城を後にして上越の春日山城に入ったのでした。


少年軍神が統一した戦乱の地を見下ろして

上杉謙信の城と言えば通常、春日山城のことを指しますが、春日山城は謙信在命中は一度も敵に攻められることはありませんでした。という訳で残念ながらというか幸いにというか、謙信は春日山城においては軍神としての真の姿を披露することは一度も無かったのです。


軍神の城と言えばむしろこっち?

長尾景虎が見事な采配で戦い守りぬき、縦横無尽に暴れ回る拠点とした栃尾城の方こそ、"軍神"謙信の城として訪れておきたい城ですね。


栃尾城
新潟県長岡市旧栃尾市

栃尾といえば名物のアレを食べないと☆


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