讃岐の悲しき大怨霊 〜崇徳上皇の流刑地を巡って〜 (2019.9.3)

崇徳上皇・・・歴代天皇の中でもベスト3に入るであろう数奇で悲しい運命を辿りながら、日本史上最大最強の大怨霊になった人物のことを皆さんは御存じでしょうか?
讃岐国の白峯御陵に祀られているこの悲劇の上皇がそもそもなぜ京都ではなく四国に眠っているのかと言えば、それは島流しに遭ったからなのです。ではなぜ島流しにされたのかと言えば、謀反の罪によるものです。ではなぜ謀反を起こしたのかと言えば、父親である鳥羽法皇に徹底的に嫌われていて、謀反を起こさざるを得ないような状況に追い込まれていたからです。ではなぜ鳥羽法皇に嫌われていたのかと言えば、それは崇徳の出生の秘密によるものだったのです・・・


崇徳の流罪先はこんなところ 崇徳が2年過ごした雲井御所跡

鳥羽法皇の祖父は、平安時代末期において、歴代天皇の中でも最も強大な権力を有したであろう白河法皇という人物です。この白河という人は大変な色欲魔神なうえに、自分の愛人だった女性たちを次から次へと配下の者に与えて行くというトンでも無い人物でした。しかもそれがあろうことに、なんと!自分の子供を身ごもった女御を、よりにもよって自分の孫である鳥羽の后にてしまったというのですから凄いものです。その戸籍上は鳥羽の子でありながら実の父親は鳥羽の父・白河であるという訳の分からない皇子こそが崇徳だったのです。


菊の御門の向こうには ※雲井御所跡

本来の血縁関係で言えば、崇徳は鳥羽から見れば祖父の子供であり父の兄弟・・・つまり叔父さんということになります。という訳で鳥羽は崇徳のことをオジゴ(叔父子)皇子と呼んで嫌いに嫌い抜いておりました。
鳥羽は自分に叔父子を押し付けたトンデモジジイ・白河のことも完全に軽蔑しきっていたことも言うまでもありませんが、絶対権力者である白河には絶対逆らうことは出来ません。とりあえず一度は天皇の位にはつかせてもらったものの、その皇位はすぐに崇徳に譲らされてしまったのです・・・
という訳で、崇徳の悲劇は生まれていたときからの運命によるものなので、本人にはどうしようも無いことでした。


・・・わびしいです ※雲井御所跡

やがて怪物・白河が死に、鳥羽が白河の次の治天の君となると、鳥羽は待ってましたとばかりに崇徳から天皇の位を取り上げ、崇徳を干しにかかったのです。

※治天の君とは、天皇家を代表し、院政を行う上皇(元・天皇)のこと。天皇よりもエラく、天皇の任免権も持っていた。

さらに月日が流れ、治天の君として絶対権力を握っていた鳥羽法皇も病に倒れてしまいます。治天の君の鳥羽が死んでしまったら、崇徳派が巻き返しをはかって自分たちの権力が奪われてしまうのではないか? そう恐れた鳥羽の息子・後白河天皇とその側近は鳥羽の崩御と同時に崇徳とその側近を威圧するべく平清盛、源義朝(頼朝・義経の父)らの武士を集結させたのです。
こうなっては是非もなし、後白河派に対抗するためやむを得ず、崇徳派の公家たちも平忠正(清盛の叔父)、源為義(義朝の父)を呼び寄せ、世に言う「保元の乱」が勃発したのです。
結果、先制攻撃をかけた後白河派が圧勝し、崇徳上皇は謀反の罪に問われ、讃岐国に流罪となったのでありました。


ここが御所跡らしいです ※崇徳が最後をむかえた地にある鼓岡神社

さて遠国で罪人生活を送ることになった崇徳ですが、これまでの自分の行いを多いに反省し、仏の道に邁進し始めます。
「せめて戦乱で無くなった人たちへの供養のために・・・」
崇徳は仏教の経典・五部大乗経を写本し、これを京の寺に収めて欲しいと朝廷に差し出したところ、なんと! 崇徳のライバルだった後白河は、
「きっとこの経典モドキには呪詛がこめられているに違いない!こんな怪しいもの受け取れるかっ!」
とその崇徳が平和への想いを願って一生懸命書いた経典を送り返してしまったのです!
崇徳(保元)の乱はそもそもが白河院の無茶苦茶という遠因があり、どちらかというと鳥羽と後白河の過度なる心配症が誘発したものであります。
にもかかわらず崇徳は自分の罪を認め、素直に平和への祈りを込めて写経に勤しんだのに・・・そのあまりに酷過ぎる仕打ちに崇徳は大激怒のヤンデレ化してしまったのでありました。

「オレは日本の大魔王となってやる! 皇族を平民に落としてやり、平民を皇とする世の中としてやるから覚えていやがれ! そのための呪いをこの経典にかけてやる!」

崇徳は自らの舌を噛み切ってその経典にこのようなことを書き込み、その後は髪も爪も切らずにまさに大魔王のような姿となって、天皇家のことを呪い続けたそうです・・・


ここで呪いの言葉を書いたんですね ※鼓岡神社

ってことで今回訪れたのは、崇徳が最初に配流となった雲居御所、それから崩御するまでを過ごしたとされる鼓岡神社の御所跡、最期に崇徳の霊を祀った白峰御陵です。
三箇所回った感想としましては、とてもじゃないけど怨霊怨念が満ちているような場所ではないなってことでした。


そんな場所には見えないです ※鼓岡神社

アタシはそもそも、崇徳はそんなに悪い人では無かったんじゃないかと思っております。
ただただ、数奇な悲しい運命に翻弄されただけで、本人は和やかなおとなしい人だったのではないか?そのように思っております。
そんな崇徳がこんなに温和で実り豊かな讃岐の地に流されて、本人としてはむしろ権謀術策うずまく今日の都でヒソヒソ後ろ指をさされながら生きているよりも、むしろ穏やかな日々が過ごせてよかったのではないか? そんなふうに思ってしまいます。


崇徳はここに祀られています ※白峰御陵

でもそんな崇徳が素直な気持ちで写した経典を無碍に扱われたんでは、そりゃあ崇徳がキレるのも無理もないことでしょう・・・ふだんおとなしい人だからこそ、爆発したときはおそろしいものですよ。
でもそんな崇徳の怨念ですが、この美しい瀬戸の海を見ていたら、きっと崇徳はもうそんなことは水に流して許してくれているんじゃないか? そんな気分にもさせられました。


崇徳も許してくれているはず ※白峰御陵

怨霊というものは宥め祀って浄化することができれば、むしろ逆に様々な恩徳を施してくれる善の神になってくれるようです。崇徳もきっと、この美しい瀬戸の海を眺めながら、恩徳の神となってくれていることでしょう。


崇徳の怨霊よ和やかに・・・ ※白峰御陵

ところでこの崇徳ゆかりの讃岐なんですが、実は去年も来ているんですよね(^^;
だったらなぜ去年は崇徳院ゆかりの地めぐりをしなかったのかと言えば、なんのことはありません。屋島のことで頭がいっぱいだったというだけの話です。
別に今回の崇徳院ゆかりの地めぐりは、西上中国一周作戦を実行するに当たって、無理矢理ひり出したという訳ではなく、前々から行ってみたいとは思っていたんですよ。にも関わらずなぜ去年はそのことが頭に浮かばなかったのか我ながらほんとに不思議です(><)
・・・怒ってませんよね?崇徳様(^^;


崇徳上皇ゆかりの地 雲井御所〜鼓岡神社〜白峰御陵
香川県坂出市


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