日本で一番綺麗な星空の地として有名な長野県阿智村から国道153号線を三河に向けて8里ほど南下したところに、戦国最強武将・武田信玄が終焉を迎えた地候補の一つ、信玄塚と呼ばれる場所があります。
この橋の向こうには
一般的な研究結果によれば、信玄は三河の野田城を攻略中に胸の病が悪化し、野田城を落とした直後に甲斐に引き返し、その途上で天に召されたと言われております。
この地で戦国最強武将・武田信玄が?
信玄は自らの死に当たり、
「自分の死は三年間秘匿せよ。」
と遺言したがために信玄終焉の地は未だ特定されておりません。ですが武田軍の退却ルートは現在の信州最西南端・根羽村から平谷村をかけて阿智村を通って行ったことは間違いないようです。
甲陽軍鑑によれば信玄は「ねばねの上村」にて亡くなったとの記述があり、この根羽村の信玄塚は信玄終焉の地の有力候補とされているところであります。
ああ風林火山・・・
という訳で、信玄終焉の地が果たしてこの信玄塚だったかどうかは分からないのですが、それでもかつてこの現在の国道153号線を武田軍が偉大なる戦国最強武将の亡骸を輿に乗せての失意の退却をして行ったことは間違いありません。またこの信玄塚は、武田軍が信玄の死を悼んで風林火山の旗を横に下した地とも伝わっております。この信州三河国境の山深い根羽の地において、瀬田に武田の旗を立てるという信玄の見果てぬ夢がいよいよ潰えたのかと思うと、自然と我が目には涙がたまってしまいました。
この山のどこかに信玄が葬られたとも言われております
信玄塚
〒395-0701 長野県下伊那郡根羽村 国道153号線沿い
このあと、平谷村でお昼ごはんにしました
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