野尻池・長尾政景暗殺事件 〜未来に殉じた老軍師〜 (2015.9.5)

戦国時代のお殿様とは、決して泣く子も黙る絶対君主などではありませんでした。当サイトの常連さんならよくご存じのはずでしょう。
戦国大名とは小豪族連合体の盟主であるにすぎず、実のところかなり脆弱な権力基盤の上に存在していたというのは、あの軍神・上杉謙信にしても例外ではありませんでした。

戦国大名には得てして一門衆という血縁集団が控えております。その親族衆が主君と一体化すればその軍団はこの上なく強力なものとなるものの、その力が逆に働けば大名そのものの存在を脅かすことになります。前者の好例が武田信玄と信繁、毛利両川と輝元、島津四兄弟などで、後者の典型が織田信長と織田信勝(信行)、伊達政宗と小次郎などですね。
さて越後国主の上杉家はどうだったのかと言えば、謙信の4つ年上の遠い親戚の一門集、長尾政景が主君の座を虎視眈々と狙っておりました。でも政景は謙信の姉である仙桃院を娶っているほどの重鎮であるし、その勢力は謙信にとっては決して侮れるものではありません。一度謀反を起こした前科はあるものの、現在は素直に従っており、謙信にとっておいそれと鎮圧できる相手では無かったのです。そんな越後の爆弾をなんとかしようと立ち上がったのが、上杉軍団の老軍師・宇佐美定満でした。

定満:
「野望に燃える政景を葬ること自体は容易いこと。だがただ政景を殺しただけでは越後の国が混乱するだけのことであろう・・・政景派の国人たちが黙っていないだろうし、それに何より、仙桃院様と景勝様が謀反人の一族となってしまう・・・それに景勝様につき従う樋口与六という少年は、未来の上杉家をしょって立つであろう才気を見せておる。この二人の未来を奪うことは上杉家の未来を奪うことだ・・・」


上杉家の希望の星

上杉謙信には跡取り息子がおらず、唯一の血縁は政景と姉・仙桃院の間に生まれた甥の景勝だけでした。景勝はこのまま行けば謙信の王位継承権第一位であり、なればこそ、政景は景勝を主君に立てて自分は大御所として君臨することができるとも考えていたのです。
ということは、もし政景を謀反人として処罰すれば、景勝も謀反人の息子として処罰しなければならなくなり、謙信最愛の姉である仙桃院もタダではすみません。そんな事情があったればこそ、長尾政景とはまさに越後の火薬庫と言っていい存在だったのです。

定満:
「政景を葬りながらも政景派が反乱を起こすようなことがなく、なお且つ仙桃院様と景勝様、与六を救うには・・・もうこの方法しかあるまい・・・」

宇佐美定満は長尾政景に、誰にも言えない相談があるからと、政景の居城・坂戸城の近くにある野尻池で舟遊びをしようと誘いだしました。

政景:
「定満のヤツめ、一体何の用があるというのだ? でも単身我が城下に乗り込んでくるということは決して悪い話ではあるまい。ヘタなことをしようにも、舟の上では回りは俺の部下だけだ。そう考えるとヤツの用件はただ一つ! 謙信を見限って俺に付こうという話以外にはありえないだろうよ!」


一体何の相談を?

こうして定満と政景は、野尻池に舟を浮かべて二人きりで酒盛りをすることになったのです。

政景:
「さて定満よ、この俺に一体何の用なのか? そろそろ話してはくれまいか? 見てのとおりこの舟の上には俺とお前の二人だけだ。たとえそれがどのような話でも、決して回りに聞かれるようなことはないぞ。」

定満:
「知れたことよ謀反人め! 上杉家の未来のために、今キサマをこの場に葬る!!」

そう言うや否や定満は、政景に抱きついて池の中に飛び込んだのです!!!

対岸の政景の部下たち:
「おい、大変だ!! 殿と定満が酔っぱらって舟から落ちてしまったぞ!!!」

これこそが定満の狙いだったのです。

政景:
(ま、まさか定満め・・・自らの命など惜しくもないというのか・・・)

定満:
(こ、これでよい・・・政景の死が事故によるものならば仙桃院様と景勝様の経歴には何の傷もつかん・・・この老いぼれ一人の失態ということで片がつく・・・ワシの永らえた命一つで上杉家の未来が買えるのなら安いものよ・・・与六よ、景勝様のことを頼んだぞ・・・)

こうして長尾政景と宇佐美定満は、野尻池で"事故死"したのです。その後、宇佐美家は断絶、長尾家の家督はそのまま景勝が継ぐこととなり、後に正式に謙信の養子として迎え入れられました。
また、樋口与六は後に名門・直江家を継いで兼続と名乗り、定満の期待に見事に応えることになるのです。


謀反人と老軍師ここに果てる

齢76の老軍師の見事な機転と命を賭した覚悟が、二人の若者と上杉家の未来を救ったのでした。


銭淵公園
新潟県南魚沼市 国道291号線沿い 坂戸城そば

※野尻池の場所は、新潟県南魚沼市の坂戸城下にある銭淵公園内の池という説が有力ですが、その名のとおりナウマン象の野尻湖であるという説、あるいは湯沢町にある大源太湖という説もあります。



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