※あゝ野麦峠からの続きとなります。
10月25日に三たび野麦峠を訪れ、さすがにもう野麦峠に思い残すことは無いだろうと思っておりました。
ですが、やはり野麦峠の真実にもう一歩踏み込みたく、amazonにて昭和43年第一刷発行の「あゝ野麦峠」を発注して詠み終えたのがつい先日のこと。そこで新たにアタシを野麦峠越えを決意させる2つのことが発覚したので、今日は4度目の野麦峠越えを果たしました。
野麦峠の真実とは?
まず最初に分かったところによると、飛騨市の奥地・政井みねの生まれ故郷の河合町に政井みねの墓があるとのこと。そうと知っては黙ってはいられません。残念ながら野麦峠はもう冬季通行止めで越えられないため、安房峠を抜けて飛騨市河井町に行ってきました。
政井みねここに眠る
この政井みねの眠る恵勝寺は政井みねの実家のすぐ近くにあったとのこと。
みねねーさん、やすらかに・・・
早速、裏手に回り政井みねの墓標に手を合わせて来ました。
寺の裏手から見下ろした政井みねの故郷
これがみねが最後に見たかったであろう飛騨の景色だったんだろうなと思うと改めて涙が止まりませんでした。
河合村をあとにして、次は野麦峠に向かいます。
前述のとおり、野麦峠は冬季通行止めで越えることは出来ないのは分かっていたのですが、それでもやはり、政井みねが歩いたであろう河合村から野麦峠までの街道を少しでもなぞってみたいと思ったのです。
野麦峠に向かう途中、美女峠から見た乗鞍岳
河合村から野麦峠入り口までの距離はおおよそ50キロ、高山市はちょうどその中間くらいです。
アタシはてっきり、飛騨の女工はと言えば、高山市近辺の少女たちばかりだと思っておりました。それがなんと、製糸場の検番たちは高山から更にもう1日かかるであろう山奥部落までも工女漁りに来ていたのです。
当時の日本にとって、製糸業がいかに重要な外貨獲得産業だったのかということを改めて思い知らされました。
また、みねを背負ってこの道を歩いた兄の辰次郎のことを思うと、なんともいたたまれない気持ちになりました・・・
ちょっと一休み
あゝ野麦峠によれば、野麦峠から高山までは比較的ゆるやかな一直線道が続いており、工女一行の宿場町としてにぎわっていたそうです。
明治期からあったのかな?
お昼ごはんに飛騨名物の朴葉味噌をおいしく食べたところでありますが、あゝ野麦峠ではこの朴葉味噌という料理の記述は見かけなかったので、たぶん明治大正期にはこのようなものは無かったのでしょう。
工女たちは蕎麦まんじゅうや甘酒をよく食べていたようなので、もしもあれば食べてみたかったのですが、残念ながら、そんなメニューはありませんでした。
ま、朴葉味噌と飛騨牛がとってもおいしかったので問題は全くありませんが☆
さて、あゝ野麦峠の読破によって新たに発覚した事実・・・それは野麦峠山頂付近に、もう一か所絶対行っておかなくてはならない場所があるということだったのです。
でも残念ながら、野麦峠を超えることができる通じる県道39号線は冬季通行止めです・・・
ってことで最初は政井みねの墓参りだけをして、お助け小屋にはまたいつか来ればイイかなと思っていたのですが、やはりココまで来たらギリギリ行ける所まで行ってみようという気になったのです。もしかしたら、車で山頂までは行けなくても、目当ての場所までは行けるかもしれないという一縷の望みを抱いて・・・
なんとー!
おおっ! 車で山頂まで行くのは無理だけど、旧野麦街道跡を歩いて行くことは出きるじゃないですかっ! いやーやっぱりあきらめずに来てみてよかったー(><)
え?でも山頂まで4キロもあるって? その程度でビビっていたら政井みねに笑われてちまうわ!
雪はまだ積もってないな
前回は松本側から登った旧野麦峠街道ですが、今回は飛騨側からです。松本側からだと1.2キロしか無かったハイキングコースですが、こっちは登り口から2.6キロと倍以上です。
前回あれだけ苦労したってのにマジかよおいおい・・・でも今回の目的地は山頂のお助け小屋って訳ではなく、途中にある場所です。頼むから少しでも近い場所にあってくれよなと思いながら歩を進めます。
どこもかしこも熊笹の海
そもそもなぜここが野麦峠なのかと言えば、この一面に生い茂るクマザサの別名が野麦と呼ばれていることに由来するそうです。
雪積もってる!
ひーこらぜーこら休み休み歩くこと1時間ほどで、ようやく山頂近くを思わせる青空が見えたかと思いきや、足元には雪が見えて来たではありませんか。
でも工女たちが超えた真冬の野麦峠は腰まである雪をかき分け踏み分けて来たというのです。この程度の雪山道ですら大変だってのに当時の女工たちの苦労たるやいったいどれほどのものだったのか・・・改めて自分の軟弱さの情けなさと昔の人の凄さが実感できますね。
おぉっ!!
いやマジで思わず声が出てしまいました。
これこそがアタシが見たかった拝みたかった野麦峠のお地蔵様なのです。この山頂から少し飛騨側に下ったところにある小さな小さなお地蔵様ですが、工女たちは必ず手を合わせて旅の無事や両親のことや岡谷での生活のことなどなど、あらゆること色んなことを願っていたのだそうです。
このお地蔵様がどれだの工女の心を励まし、そして助けてくれたのか・・・そう思うと自然と深々頭が下がり、長いことお参りお祈りするために合わせた手がなかなか離れませんでした。
政井みねをはじめとする女工さんたちよ安らかに・・・
振り返れば飛騨
この野麦峠のお地蔵様は、ちょうど飛騨の地が見える見えないの境界線に立っております。
岡谷に旅立つ際には飛騨に一時のお別れを告げ、飛騨に帰るときにはただいまを言う、そんな場所だったのです。
こりゃ死人が出るわな
それにしても改めて、女工たちはよくもまあこんな狭い絶壁道、それも腰まで埋まる豪雪の中を歩いて来たものです。
1時間のトレイルで心身ともに疲れ切っていて、もともとこのお地蔵様を拝めば任務完了だった訳ではありますが、でもやっぱり、ここまで来て山頂まで行かないという選択肢はないでしょう。
4度目の野麦峠
そういえばあまり意識してませんでしたが、飛騨側からもお助け小屋まで行けば、女工たちが歩いた野麦峠徒歩全制覇ってことになるんですね。そう考えるとやっぱり無理して歩いて来て良かったです。
ああ、飛騨が見える・・・
あゝ野麦峠・・・
これで今度こそ野麦峠に想い残すことはありません。
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