野麦峠〜岡谷蚕糸博物館 〜あゝ野麦峠〜 (2020.10.3〜4、25)

今日は明治の製糸工場を舞台とした映画で有名な、野麦峠に行ってきました。


あゝ野麦峠・・・

と言っても、今日はもともと野麦峠が目的の出撃だった訳ではなく、野麦峠はたまたまの通り道で、そこまで深入り探索するつもりは無かったのですよ。


せっかくだからね

でもせっかく駐車場があって、明治時代にも使われていた旧道が遊歩道となっているってのなら話は別です。
そういうことなら涼しい秋の森林散歩な寄り道をして行こうってことになりました。


やっぱり来てみてよかった

う〜んなんとも清々しい緑の空気が気持ちいいです☆・・・がしかし!アタシの軟弱さをナメてはいけません。10分も歩くと汗だらだらではありませんか(^^;


てかここ登山道じゃなくて普通の街道なんだよな

おいおいおいダラしねーぞ自分! かつて今から100年前には女工少女がこんな秋道じゃなくて雪道を、それも駐車場から1kmとかじゃなくって飛騨高山から100km以上の道のりを歩いて来たんだぞ! しかもアタシなんざ遊びに行く途中だからまだイイけれど、女工少女たちは親元から引き裂かれての奉公をさせられるために泣く泣く歩かされていたんだぞ! そんなことが頭に浮かび、なお自分が情けなくなってしまいました・・・
また、明治の女工たちはいったいどんな想いでこの坂道を登って行ったのか・・・そんなことも頭に浮かび、目には涙が浮かびました・・・


30分歩いた先にあったのは

1. 2kmの遊歩道を30分かけてようやく踏破した先にはこんな石碑がありました。

工女泣きし 野麦峠や 今若葉

そうなんだよな・・・こうして令和の我々が今若葉を楽しめているのは、かつて明治の先人たちが、列強に追いつけ追い越せと死ぬもの狂いで日本の近代化のためにガンガって来たからなんだよな。
そんな日本の礎を築いてくれた女工たちが歩いたのと同じ道を歩くことができたということに改めて深い感動を覚えました。


今はこうして車で行ける

つい最近、坂本城の記事にて、アタシが史跡探索する場合には、その場所にいったい何をしに来るのか?そんな心の準備をしてから行くみたいなことを書いておりましたが今回はその全く逆です。たまたま訪れた史跡にて、心の底から熱いものがこみ上げて来てどうしても記事が書きたくなってしまったのです。


資料館があったけど・・・

そしてもう一つ。アタシにとって完全想定外の心のゆさぶりがありました。それはここで売られている映画「あゝ野麦峠」のDVDが見てみたくなった!というものです。
でもこの野麦峠遊歩道の到達点にある野麦峠の館という資料館、開館まであと1時間半もあるではありませんか。


近くにあったこれも気になる!

これはおそらくは「あゝ野麦峠」の名場面のモニュメントなんでしょうけれど、こんなものまで見せられてしまったらもうダメでしたね。
そもそものアタシの今日の目的地は、野麦峠を超えたずっと向こうの渓谷にあるイワナ料理屋さんでした。でもこうして心のテンションが野麦峠MAXになってしまったのではどうしようもありません。急遽その予定はキャンセルし、その辺適当にドライブした後でまたこの場所に戻って来ることを決意しました。


野麦峠の館よ!わたしは帰って来た!

さっき汗だらだらに登って来た旧街道を今度は諏訪方面に向かって一歩一歩踏み下って行くと、改めて女工たちへの色々な想いが頭に浮かんで来ました。
また、旧街道を降りてまた車に乗り込み、女工たちの故郷・飛騨高山に向かって車を走らせると、改めて明治の先人たちへの畏敬の念が頭に浮かんで来ました。
そんなこんなで1時間半はあっという間にすぎ、野麦峠の館の開店時間に再びこの野麦峠に戻って来ました。
ちなみに2回目は遊歩道を使わずに全て車での走破でしたので、遊歩道入り口駐車場からものの5分でここまで登って来ることができております。いやはやほんと、昔の人はすごかったんですね。


かわいい女工たち

まあ正直、この資料館の展示物はそんなに大したことはありませんでした(^^;


やっぱりこの映画なのね

でもでもそれでも、やっぱり改めて出直して、この資料館の中に入ることができてよかったなとは思いました。


女工たちもお助けされたのかな

そしてもう一つのお目当て、「あゝ野麦峠」のDVDが売っているのは野麦峠の館のすぐ裏にある、お助け小屋というところです。
DVDが欲しかったのはもちろんですが、ここであったかいそばを食べたいなとも思っていたところです。


あゝ野麦峠・・・

寒い雪道を凍えながら歩いて来た女工たちに、あったかいそばを食べさせてあげたかったなあなんてことを思ったのがその理由です。実際に食べた野麦峠そばは、なんとも言えないあたたかい味がしました。


野麦峠 
長野県松本市と高山市の県境

さて野麦峠そばを食べてからは速攻家に帰ってこのDVDを見たことは言うまでもありません。その感想はと言うと・・・

◆なんてすごい映画なんだ!これが40年も前の作品だなんて信じられねえ(><)
◆これだけのエキストラを使ってあんなに壮大なロケをする映画なんて今の時代には絶対撮ることできないだろうなあ・・・
◆涙涙涙涙涙(T T)

と言ったものでした。
なにしろ基本的に映画があまり好きではないアタシが154分の超大作をノンストップで食い入るように最後まで見続けてしまったというのですから凄い映画でしたよほんと(><)



ああ・・・飛騨が見える

あと、ここまで書いて思ったのですが、そう言えば明治の製糸工場&女工についての歴史的コメントを全くしてませんでしたね(^^; 
さすがのアタシもこの映画の内容を鵜呑みにしている訳ではなく、あれが歴史的事実だったとは思ってはおりません。それと映画の出来栄えとはまた別な話です。
そのへんについては今から10年くらい前に富岡製糸場に行ったときに書いたテキストをお読みいただけたらと思います。


翌日10月4日、再び野麦峠に行ってきました。

先日の野麦峠の出撃を追えてDVDを見た後で、改めて野麦峠&女工のことを調べてみたところ、なんと!あゝ野麦峠の主人公・大竹しのぶが演じた政井みねとは実在の人物で、あの映画のラストシーンも実際にあったことだというではありませんか(><)
そうと知ったら黙ってはいられません。政井みねを偲ぶために翌朝一番で再び野麦峠に出撃して来ました。


再び野麦峠へ

どうやら昨日歩いた野麦峠旧道にはまだ続きがあり、その更に上まで行くと、政井みねの慰霊碑があったのです。でも前回書いた通り、昨日の時点ではアタシは政井みねに関する知識を全く持ち合わせてはおりませんでした。なのでそのような状況下で慰霊碑を見たところで、昨日石像を見たときと同じように、ここも映画のなんかワンシーンでもあった場所なのかな?くらいの感想しか抱かなかったことでしょう。
でも今回は昨日とは違い、心の準備はできています。


みねねーさん・・・

お助け小屋からハイキングコースを10分ほど登ったところに政井みねの慰霊碑がありました。
この街道のどこかであのラストシーンのような出来事があったのかと思うと改めて、目に涙が溢れてくるのをおさえることはできませんでした・・・


野麦峠も色づいて

昨日来たばかりの野麦峠ですが、やっぱりもう一回来てみてよかったです。
もう少し秋が深まってなおかつ青空な時期にもう一回、野麦峠の紅葉と乗鞍岳と飛騨を見に来たいですね。

そのあとは実際に女工たちが歩いたであろうルートを通って帰ることにしました。
アタシは昨日の時点ではそもそも女工たちが諏訪湖畔の岡谷に向かったってことすら知らなかったので、そっち方面とは逆ルートを通って帰ってしまっていたのです(^^;
あゝ野麦峠の冒頭にて、女工たちの通ったルートは

奈川 → 新島島 → 波田 → 松本 → 塩尻峠 → 岡谷

としっかり解説してくれていたので、今回はそれに倣ってそのまま岡谷に向かうことにしました。どれもアタシにとっては馴染みの深い地名です。
劇中においてはこの野麦峠から岡谷まではもう2泊3日もかけて歩き続けてようやくたどり着いたところを、現代なら車でわずか2時間程度で行けるというのですから世の中ほんと便利になったものです。
天国の政井みねがそのことを知ったら、自分たちが作った絹糸のおかげで日本はここまで豊になったんだと笑顔で喜んでくれると思いたいものです。


女工たちも見た諏訪湖

あゝ野麦峠の序盤に、塩尻峠を超えて諏訪湖を見た女工たちが「あー海だ海だー!」って叫び喜ぶシーンがあるのですが、じっさい飛騨の山奥しか知らない少女が初めて諏訪湖をみたときはどんなに綺麗かと思ったことでしょうね。
今まで何度も超えて来た塩尻峠、飽きるほど見た諏訪湖ですが、今から120年前にも女工たちがこれと同じ景色を見ていたんだなあと思うと、いつもとはまた違った感動がありました。


旧中山道を下って

ちなみに↑に書いた女工たちが諏訪湖を見下ろすシーンについて。
先ほども書いた通り、アタシは今までに何度も塩尻峠を超えて諏訪湖を見下ろしているのですが、どうにも映画と同じアングルの諏訪湖が見える場所ってのが思いつかなかったのですよ。
あの諏訪湖はいったい何処から撮った諏訪湖なんだ!?それが気になって気になってしょうがなかったんで調べてみたところ、どうやらあのシーンは諏訪湖ではなくて、福島県の御霊櫃峠ってところから撮った猪苗代湖だったとのことでした。 なるほどそれじゃあいくら考えても分からない訳だ(><)


※参考 2023.10.14 御霊櫃峠に行って来ました☆

映画のあのシーンの場所はたぶんここ?


猪苗代湖がとても綺麗に見える場所でした☆

でも実際、塩尻峠から諏訪湖を見下ろすアングルではどこを探してもアスファルトの道路やコンクリートの建物が映ってしまいますからね。あゝ野麦峠のスタッフはよくもまああんなに明治の諏訪湖感がある場所を見つけて来たものだと感心しましたよ。
てことで実際に女工たちが街道を歩きながら見た諏訪湖の景色はこっちが正解ですw


目的地はここ

残念ながら岡谷市にはもう製糸工場は残っておりません。ですがその代わりに岡谷蚕糸博物館というものがあります。


あったよあったよこんな機械

過去に何度も書いているとおり、アタシは基本、博物館のたぐいがあまり好きではありません。ですが今回ばかりはどうしても、あゝ野麦峠の世界が体感したくて仕方がないのですよ。
ってことで訪れてみたこの岡谷蚕糸博物館ですが、劇中に出て来たような工場設備が実際に展示されていて大満足でした。


これが噂の?

この博物館ではなんと!実際に蚕の繭を似て生糸を取り出す実演を見せてくれているのですよ。そういうことなら是非とも確かめたいことあります。それは蚕の蛹のにおいですw  劇中において幾度となく、蚕の繭を煮たにおいがすざまじいものであるというシーンがあったのですが果たしてそれはいかほどのものか?
実際に繭を煮ている近くまで鼻を近づけてみたところ、臭いは臭いもそこまで酷いものではありませんでしたw
でもアタシはやっぱり劇中における繭のにおいの語り草のことがどーにも気になっていたんで博物館の人に聞いて確かめてみたところ、やっぱりあの映画のあの描写はちょっと盛ってるところがあるだろうと言っておりました(笑)
でもやっぱり、見学に来た人たちの中にはあのにおいがどうにもダメで、鼻を覆う人ってのもけっこういるそうですね。


いちばん知りたかったのはこれ

岡谷の製糸工場と言えば野麦峠の聖地です。ならばこの博物館でもあの映画のことについて少しは触れているのか? 当時の女工の生活のことはどのように紹介されているのか?
実際のところアタシがここに来た一番の目当てはこれでした。ですが残念ながら、この博物館においては、あゝ野麦峠のことは完全スルーされておりましたね。おみやげコーナーにDVDでも置いとけばけっこう売れると思うんですけどねえ・・・
これは富岡製糸場もそうだったのですが、当時の岡谷の製糸工場はどこもかしこも最先端に近代化された超ホワイト工場だったとの紹介がなされておりました。

まあ以前にも書いた通り、アタシはあゝ野麦峠の内容を鵜呑みにしている訳ではありません。ですがここまで綺麗ごとばかり並べているのも眉唾なのではないかと思っております。
例えば、平成の世の飲食店従業員のノンフィクションを書こうと思ったとしてです、居酒屋〇タミや牛丼〇きやのバイトのインタビューばかり載せたら野麦峠になっちゃうし、かと言って半分趣味な金持ちの道楽的個人経営カフェでホワイトバイトしていた人からの話しか聞かなかったら、玉虫色のルポになってしまうことでしょう。


女工たちも見た諏訪湖

岡谷蚕糸博物館を楽しく見学したあとは、諏訪湖畔に行ってお昼ごはんを食べることにしました。
明治の女工たちはとりあえず、ごはんだけは飛騨の山奥では決して食べることができなかった白米をお腹いっぱい食べていたみたいなので、そこだけは救われる気がしますね。
さきほどの諏訪湖と同じく、今から120年の昔にも、女工たちもたまにはお弁当を持ってこの諏訪湖を眺めながらごはんを食べたりしたこともあったのかな?
そんなことを考えると、くらすわのパンがよりいっそうおいしく感じられました。


そういうことだったのか!!!!

おいしくパンごはんしたところでちょっくら湖の周りを歩いたところ、アタシの体に一筋の電流が走りました!!
いや実は昨日から不思議に思っていたことが二つほどあったんですよ。

一つ:諏訪湖と言えば広いのに、なぜ製糸工場は岡谷にしか無かったのか?
二つ:製糸工場は湖畔にあったわけでは無いらしい。なぜか?

ということです。
それがこの小さな橋を渡ったときに分かったんですよ!
そうだよこの岡谷って諏訪湖の一番低い場所にあって天竜川の流れ出す水源じゃん!
ってことは、諏訪湖から運河を引いて低い方に流せば内陸で水力が使えるじゃんかよ!
なるほどそういうことだったんですね☆

ということで改めて。
今回の野麦峠関連のことで改めて思ったことですが、やっぱり歴史を知ろうと思ったら、現地に行ってみて初めて分かる感じることがいっぱいあるものです。
そもそも最初に野麦峠を実際に歩いてみなかったら、女工たちの苦労を全く感じることなく、アタシの中ではたんなる歴史書の1ページな「知識」として終わっていたかもしれません。
それからこのなぜ岡谷に製糸工場があったのかの謎についても、実際にその場所を歩いてみて初めて気づいたことですしね。
それに何より、女工たちが見たのと同じ景色、歩いた道を同じく体感したという感動は何にも代えがたいものがありますよ。
これからもまたいつかどこかで、想定外予定外の出会いがきっかけな史跡探訪ができたらイイものですね☆


10月25日 三たび野麦峠へ

またまた後で調べたところによるとなんと!野麦峠のお助け小屋には政井みねさんの写真が飾られているというではありませんか(><)
そうと聞いては黙っていられません。映画のあのラストシーンと同じく、もみじが映えて青空の日に三度目の野麦峠に行こうと思っていたのが、本日ようやく叶うこととなりました。


もみじが映える野麦街道

前に来た時はあまり意識しておりませんでしたが、この現在はおみやげ&お蕎麦屋さんとなっているお助け小屋は、実際に工女たちが寝泊まりした場所にあったお助け小屋の跡に建っているとのことです。


今も昔も変わらず建ってる

今から120年前に実際ここで政井みねさんもお助けされたんだなあと思うと、改めてジーンと来るものがありました。


おおっ!これが!!

最初にこのお助け小屋でそば食べてDVD買ったときに気付かなかったのは仕方ないにしても、2回目の野麦峠来訪のときにもこのお助け小屋に入っているのに、こんな写真があったのことにはぜんぜん気づきませんでした(^^;


政井みねさんの貴重な一枚

こうして写真を見るかぎりの政井みねさんはなかなかの美人さんですね。


もう雪がちらついているんだな

映画のラストシーンな出来事があったのは11月20日頃のことらしいです。
まもなく冬が訪れ雪に閉ざされる野麦峠で政井みねさんはいったい何を思ったのか?


みねねーさん・・・

再び慰霊碑にて両手を合わせて来ました。


ああ、飛騨が見える・・・


※野麦峠完結編に続きます。


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