秀吉による天下統一のための最後の大戦・小田原合戦のきっかけとなったのがこの上野にある小城・名胡桃城(なぐるみじょう)です。当初は訪れる予定など全く無かったのですが、厩橋城遠征作戦の途上でたまたま案内看板を見つけたので、おお!これはイイものを発見した(><)と、小躍りしながら攻略することとしましたw
よくある戦国の城ですね
ちょっと切り立った丘の上で土塁に囲まれているという、よくあるタイプの山城ですね。ただこの名胡桃城は、そもそも周り全部がグルリ山地となっておりますので、なぜこんなに疲れる場所に(ryなことが無い山城マニアライクな立地です。駐車場に車を停めてからものの50mほど歩いただけでこんな素晴らしい土塁遺構を見ることが出来ました。
綺麗な土塁です☆
さすがに戦国きっての謀将・真田昌幸(幸村の父)の城です。土塁と空堀の配置コラボレーションが見事に決まっておりますね。
本丸跡の石碑
この名胡桃城、武田氏の滅亡と本能寺の変のゴタゴタのあとに真田昌幸のモノとなっておりました。その後、北条氏政がこの名胡桃城のある沼田地方を自領に組み入れようとちょっかいをかける訳ですが、関白となった豊臣秀吉より停戦を命じられます。だがそれを良しとしない、というかそもそも秀吉の天下などは認めていない氏政は、その当てつけとして再び名胡桃城に攻め掛かったのです。これが秀吉の逆鱗に触れて小田原征伐のきっかけとなったのでありました。
分かりやすい山城の断面図
名胡桃城には余計な雑木があまり立っておらず、山城の構造や仕組みが素人目に見てもとてもよく分かる作りになっております。そのうえ国道17号線沿いという分かりやすい立地で駐車場からの距離も50m。↑のごとくそれなりのエピソードもあるという、なんとも色んな好条件が整ったオイシイ山城でした☆
本丸跡からの眺め
名胡桃城
群馬県みなかみ町 国道17号線沿い 関越自動車道・月野夜インターから3分
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