三木城 〜天才軍師最後の舞台〜 (2015.9.11)

かつて羽柴秀吉が、干し殺し戦法などという身の毛もよだつ包囲網をしいたという大籠城戦のあった播磨の国人・別所長治の居城です。


この地で壮絶な死闘があったのです

別所長治はもともと織田勢力下の国人だったのですが、もろもろの事情によって信長に対する不信感が高まり、ついに離反して三木城に籠城するに至ったのです。


なかなかどうしてイイ立地

別所氏自体は国人レベルで大した勢力ではないのですが、この三木城は川を横にした小高い丘の上に建っており、結構な防御力を誇っております。そのうえ三木城には他の反織田勢力も結集し、なんと!7500もの大軍となったのです。


兵力ギッシリであったであろう本丸跡

多勢に堅城ではまともに戦っても勝てません。そこで秀吉は三木城周りの商人から高値で米を買い占めて、更に蟻の這い出る隙間もないくらいの包囲網を敷いたのです。
そうなると巨大な兵力というのが戦力ではなくむしろ弱点となってしまいます。たくさんの城兵で溢れる三木城はたちまち兵糧が不足して、飢餓地獄に陥ってしまったのです。


あなたはよく頑張りました

それでも三木城は2年もの間持ちこたえることが出来ました。
最後は城主・別所長治が切腹することにより、城兵は助けられることになったのです。


天才軍師ここに眠る

この三木城包囲戦の最中に、最終的な勝利者となった秀吉にも、大きな不幸が訪れました。
それは天才軍師・竹中半兵衛の死です。もともと病弱だった半兵衛はこの三木城包囲戦の最中に病を発し、秀吉からは病気療養のためにと京都に返されていました。
でも半兵衛は己の死期を悟ったのか、重い体を引きずって三木城包囲中の秀吉の元に戻って来たのです。


半兵衛、秀吉陣所に再び

結局半兵衛は三木城包囲戦の結果を見ることなく陣中で没してしまったのですが、きっと味方の勝利と秀吉の大躍進を信じていたのではないでしょうか?


半兵衛のためにもあの城を落とす!

1年以上にも及ぶ攻城戦です。包囲された三木城方が苦しかったのは勿論ですが、秀吉方とて決して楽な戦ではなかったことでしょう。
この三木城干し殺し戦法は、もともと半兵衛の献策によるものだったと言われております。
志半ばで死んでしまった半兵衛のためにも、秀吉は今一度気を引き締めて己を奮い立たせたのではないでしょうか?


戦い終わって・・・

それにしても改めて秀吉陣所から三木城を見上げてみると、三木城城下は平地の農村地帯であることになんとも皮肉を感じます。
城下でたわわに輝くこの黄金色の田園風景を、あの世の秀吉と長治に見せてあげたらどんな思いを抱くことでしょうね?

さてアタシがこの三木城を訪れたのは、平日ド真ん中の夕暮れ時のことでした。
細くて分かりにくい商店街を抜け、まともな案内標識も無い中でようやく三木城跡と言われる上の丸公園に辿り着いてみると、何やら案内板の後ろから威勢のよい講釈が聞こえてくるではありませんか。
なんとこの三木城跡にはいつもボランティアの歴史案内人がいるとのことで、この日も三木城を訪れた観光客相手に三木城攻防戦のことを説明していたのでした。2枚目の写真に移っている真ん中の案内板の裏をよく見ると写っております。
また、2枚目の写真、一番右側の案内板の前には、一人の女性が食い入るように解説を読んでおりますよね。どうやらこの女性もアタシ同様に一人、古城めぐりをしているようでした。(今にして思えば、なんか話しかけておけばよかった!)
この日この三木城に来る前に訪れた、別に歴史好きでも何でもない一般人がワラワラ溢れていた竹田城とは何とも対照的でしたね。
もちろんアタシは、歴史好きでも城好きでもないヤツは城を見に来るななんて言う気は全くありません。でもやっぱり、こんなマイナー史跡で自分と同様の趣向を持つ人を見かけたときは、何か嬉しい気分になります。

三木城
兵庫県三木市 神戸電鉄粟生線 上の丸駅駅そば



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